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劇場に行くためにどこでもドアが欲しいミュージカルオタクの観劇記録と観るためのあれこれ

【観劇レポ】ミュージカル『ネクスト・トゥ・ノーマル』(Next to Normal) @ Theatre Creation, Tokyo《2013.9.23-2013.9.28》 (Part 2)


 2013年9月23日から28日にかけて、日比谷シアタークリエに日本初演となるブロードウェイ・ミュージカル、ネクスト・トゥ・ノーマル』(Next to Normal、以下N2N) を観てきました。具体的な観劇日程とキャストの組み合わせとネタバレなしの感想については、前回の記事を参照ください。

 さて、ここから先はすでに作品を観ている方が読んでいる前提で、ネタバレ全開でいきます。大丈夫ですか?まだ引き返せますよー。これから観るなら本当に引き返してね!(しつこい)かなりの長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

 

 では、ストーリーのネタバレに言及しながら各登場人物と役者さんの印象など。

Diana

 前回の記事で書いた通り、ダイアナは女優さんによってだいぶ印象が違うのですが、最初に観たシルビアさんのダイアナは、感情豊かでいたずら好きな少女のようなダイアナという印象で、安蘭さんのダイアナは真面目で几帳面、少し頑固な雰囲気のあるダイアナでした。

 オフ・ブロードウェイ、ブロードウェイでともに主演したアリス・リプリー (Alice Ripley) さんのダイアナに近いのはシルビアさんという印象です。そもそもN2Nの舞台はアメリカの郊外なのでアメリカンなユーモア表現が多いのですが、そういった部分の表現が多い一幕はアメリカ居住経験のあるシルビアさんの演技がしっくりします。特に新納さん演じる二人のドクターのやりとりは、少しオーバーなくらいの演技が観ていてすごく楽しいし、かわいい。(細かいですが、ドクター・ファインの手に頬を自分で寄せに椅子に座ったまま移動するところに関しては安蘭さんが抜群にキュートです!)シルビアさんのダイアナで良かったと思うのは、激しいロック調の曲にのせた怒りの感情の表現。声量もあるので迫力満点です。曲調によって歌い方を変えている感じも好みでした。

 対照的に安蘭さんは細かい表情の演技や、台詞回しの自然さが本当に素晴らしかったので、彼女のダイアナが光ったのは一幕の後半から二幕の静かなシーンです。ダイアナがETCの治療後、なくした記憶を取り戻すために一心不乱にアルバムのページを繰る台詞のないようなシーンでも真に迫るような説得力がありました。息子の死因を思い出して涙しながら歌うシーンも、喪失の悲しみがすごく伝わってきて胸が痛かったです。ダンに「息子の名前を教えて」と迫って口論するシーンはすごく緊迫感があって、観ていてとてもドキドキしました。歌っていて音程が全然ぶれない安定感も素晴らしい!

 一幕の安蘭ダイアナは静かに狂っている感じなのですが、どちらかというと真面目な雰囲気を感じる彼女のダイアナは二幕でよりそれが強調されるので、一幕と二幕でなんだか違う人のように感じます。心理学の知識の知識がない私がイメージだけで書いてしまうのをご容赦いただきたいのですが、安蘭さんのダイアナが子供の喪失で精神を病むのであれば、躁鬱(双極性障害)ではなく、鬱病になりそうだなぁという印象もあって。彼女のダイアナは思い詰めるタイプに見えたので。対してシルビアさんのダイアナは、性格も感情の揺れ幅が大きいんだろうなぁという印象があって、一幕の狂気の表現の躁の部分と鬱の部分の落差が非常にわかりやすい。二幕でも怒りを爆発させる表現で一幕までの彼女との連続性を感じられるのですよね。「ETCの治療を受けた後は「生まれ変わったような気がする」という患者さんが多い」というドクター・マッデンの台詞がありますが、安蘭さんのダイアナはまさにそんな感じ。これは私の好みでしかないのですが、ずっと同じ人だと感じられるシルビアさんのダイアナのほうが作品のテーマには合っているような気がしました。(作品のテーマ、というより私自身が感じ取ったオリジナルの作品のテーマと言った方が正確かもしれません)

 家を出て、薬に頼ることなく悲しみに向き合っていくというダイアナの選択には、「なんだかんだ言って彼女は強い女性なんだな」という印象をうけました。なんでそんな強い彼女が狂ってしまったのだろうと不思議な部分もあったんですが、よくよく考えてみたら、ゲイブが逝ってしまったのはダイアナがせいぜい24歳かそこらの時なんですよね。人の親になったことのない私には自分の子供を喪失する悲しみの本当のところはわからないですが、若くしてそのような悲しい出来事に見舞われた彼女に4ヶ月で悲しみに立ち直れというのは無理な注文だろうとは想像できます。息子が予定外のダンとの結婚を彼女なりに意味づける存在だったならなおのことでしょう。悲しみに向き合って気持ちを整理する暇も与えられず、抗鬱剤で薬漬けにされたダイアナの悲劇は、精神科医にかかることが日本よりカジュアルなアメリカならではの悲劇かもしれません。

 作品を見始めた段階では、ダンとの夫婦の関係や息子のゲイブとの関係に注意が向いていたダイアナのキャラクターですが、ナタリーを抱けなかったことに罪悪感を感じつつも薬を捨てて変わろうとしたきっかけがナタリーである辺りに、彼女はとても不器用ながらもナタリーにとってよい母親であろうともがいていたんだな、と思うようになりました。(それが成功しているかはさておき)

 余談ですが、ダイアナはローマ神話の月の女神の名前ですが、月と言えば狂気を暗示するシンボルでもありますよね。

Gabe

 さて、衝撃の展開のN2Nの鍵を握っているゲイブです。書いた通り、初回の観劇では辛源さんのゲイブで観たのですが、まさかゲイブがすでにこの世の人ではないなど全く想像だにしていませんでした。もう本当にびっくりです。ゲイブが生きていると信じて疑わなかったのは、「そこにいる」という主張が強い辛ゲイブで観たからかもしれません。

 やはり雰囲気の違う二人の役者さんが演じるゲイブですが、辛源さんのゲイブは「男の子はちょっと手が掛かるくらいが一番かわいい」というところまで見事に具現化した、理想の息子といった印象。こんな男の子が息子や弟だったら、母性本能をくすぐられてついつい構ってしまうんだろうなーという感じです。辛ゲイブは体の動きにバネとキレがあって、しなやかなネコ科の大型獣を連想させられました。「足音なく背後に回られて、気づいたら後ろに立っているかも」という雰囲気がゾクゾクする感じです。対して小西さんのゲイブは、王子様のようで優しそうなんだけど、危うい妖気を感じる。どこか別の世界の人の雰囲気を漂わせているんですよね。そして息子としてのゲイブよりも、ダイアナの理想の恋人としてゲイブの側面がより際立っているのが小西さんのゲイブでした。特に、妻としての側面が強い安蘭さんのダイアナとの組み合わせは「この人達本当に親子!?」と思わせる妖しい雰囲気。ダイアナを傷つけようとする存在への敵意の感情もかなりむき出しなので、「I Am the One」の最後でダイアナをダンから庇うように抱きしめるシーンではまた違った意味ゾクソクしました。

 上述のようなことがあるので、役者さんの特性を考えたときに個人的にしっくりくる組み合わせは、【シルビアダイアナと辛ゲイブ】、【安蘭ダイアナと小西ゲイブ】なんですよね。一幕のヘンリーがダンに招きいれられて家にあがりこむときに、ダイアナが食事を用意しているところにゲイブがちょっかいを出す場面がありますが、ここでは両者の違いはとても顕著。前者のペアは、仲のいい親子がじゃれあってる感じなのですが(ダイアナがハリセンよろしくゲイブの頭をタオルではたいたり)、後者は恋人同士がイチャイチャしているようにしか見えないんですよね(ほっぺにチューしてみたりとか)。作品の解釈としても、前者はよりオリジナルに忠実、後者は日本公演ならではの独自色が出ていると思います。

 ゲイブは二回目以降の観劇で歌詞を追っていると、ダンに対する呼び掛けがとても切ないです。

「ねえパパ、僕さ」
「見えないの?」

 「I Am the One」は、一回目の観劇では父親とダイアナを巡って対立している部分に気を取られていたのですけど、実はこんなことを歌っているんですよね。こんなことがあるので、ゲイブは単純にダイアナの見ている幻影という存在では説明できない。ダイアナだけではなく、あの家族の想いを色々吸い上げて育った何らかの存在である、というのが私が落ち着いた結論です。I’ve Been」でダンが歌っているところにコーラスで合流する部分も好きな部分です。

 辛源さんは自身のブログでN2Nの解説記事を書かれていますが、これがとても素敵で素晴らしいので、2回目以降の観劇に行く方でまだ未読の方がいれば是非読んでみてください。この記事を読んだ後に観たくなること請け合いなのは、ラストシーンでナタリーを見守るゲイブの姿ですが、辛ゲイブの眼差しは本当にあたたかくて、見ている方まであたたかな気持ちになります。

Dan

 少数派かもしれませんが、一回目の観劇では結構ダンに感情移入して観ていました。ダンに関しては悲しい人だな、という印象が強いです。一幕終わりでダイアナが自殺未遂をした後に、血で汚れた椅子を掃除しながら、一人になれないという心情を吐露する場面で私の頭に浮かんだ言葉は「共依存」。N2Nの場合、男女が入れ替わっていますが、心理学でピーターパンとウェンディの関係で有名なアレです。ああ、この人は妻を献身的に支えているように見えて、その裏でとてつもなく苦しんでいるんだなと思うとぼろぼろと泣いていました。ダイアナが記憶をなくしてから、必死にゲイブの思い出をダイアナから遠ざけようとする姿ももの悲しい。

 作中で使われる色については先述の辛源さんのブログで紹介されているのでここでは詳細は省きますが、ダンは圧倒的に暗い色の服を着ているシーンが多い。黒は死や悼む気持ちを象徴しているとのことですが、ダンの着ている暗い色の服は秘められた息子の死を悼む気持ちと同時に、時を止めて死んでしまったようなダンの心の一部を表しているような気がしました。ナタリーに対して負担を強いるばっかりであまり父親らしく振る舞えないのも、彼の時間が夫婦二人だけに戻った時で止まってしまっているからかもしれません。ダイアナが家を出て、彼を支えていた「妻を守る」というつっかえ棒がなくなったラストで初めてダンの硬直していた時間が動きだし、死にかけていた心に光が差して見えてきたのが、ダンの臙脂色の服に象徴される狂気に似た喪失に対する恐れなのかな、と。今ではそう考えています。

 ゲイブが生きた存在ではない、という衝撃は一回目の観劇ならではの驚きでしたが、「I Am the One (Reprise)」でダンにゲイブが視える瞬間は不吉に鳴り響く心音のようなベース音ともに毎回心拍数が上がってゾクゾクしていました。5回観劇した後にやっと気づいたんですが(遅いよ)、ゲイブの名前を呼ぶのってダンただ一人、ラスト直前の一回きりなのですよね。ゲイブの名前を呼んだ後に、ゲイブが見せる邪気のない笑顔と岸さん演じるダンの泣き笑いのような表情にも毎回心を揺さぶられました。

 ダンを演じていた岸さんですが、比較的劇場の後ろの方の席に座っていても届く圧倒的な声量、しかもシングルキャストでひどい時には10連続公演だったりするのに毎回衰えないパワーに驚かされました。欲を言うと、もう少しロックな歌い方のほうが役柄に合っているかなぁ。とはいえ、よく響く素敵ないい声です。色んなところで感想を読んでいると、岸さんのダンはブロードウェイのダンとはまた違った雰囲気らしいので、まだ途中までしか観れていないBWの動画もそこに注目して観てみたいです。

 また余談になりますが、ガブリエルはキリスト教では三大天使の一人ですが、ガブリエルの名前が登場するのが旧約聖書の『ダニエルの書』、すなわち預言者ダニエルが遺した書、というのも興味深いですね。

Natalie

 本当に不遇で不憫な境遇なのに、根っこの部分がとても優しいナタリーにはかなり泣かされました。彼女にまつわる場面で特に切ないのは、ダイアナが記憶なくしてしまい、本当にナタリーがダイアナにとって「透明」の存在になってしまったことがわかったとき。「ありえない」とダイアナに対して顔を背けて静かに下を見つめる彼女の心中を思うと本当にたまらないです。そんな打ちのめされるようなことが起きたばっかりなのに、ダイアナの記憶を取り戻すためになんだかんだ言って協力するナタリーは本当に親思いの優しい子だな、と思うのです。まあ、その協力の仕方には両親へのささやかな反撃も含まれていますし、彼女自身の「自分を思い出して欲しい」という願いも含まれているとは思うのですが。

 二幕ラストに向かい、ダイアナとナタリーが母娘の関係を取り戻していく過程の描かれ方もすごく好きです。ゲイブの姿が再び視えるようになったダイアナが真っ先に名前を呼ぶのがナタリー。人ってどうしようもないピンチに陥ったときに一番先に縋ってしまうのが、自分のことを一番優しく守ってくれる存在だと思うのですけど、物語の終盤になって、ダイアナにとってのそれは、ゲイブでもダンでもなくナタリーになっていたんだなぁ、と思うと感慨深いです。母親の叫び声を聞きつけて飛んで駆けつけるナタリーはやっぱり優しい子で。ドクター・マッデンの診察後に二人で話をするときに、「ママなんて信じない!」と泣きそうな声でそっぽを向くナタリーも、そうはいいながらも「信じたい」と心の底から思っていることがすごく伝わってきて、毎回ぼろぼろぼろぼろ泣いていました。

「ノーマルな暮らしなんて遠すぎるから
 普通の隣くらいで、それでいい
 そうよ、ネクスト・トゥ・ノーマル」
「そうね」
「そうね」

 歌詞は5回も観たくせにうろ覚えなのですが、ナタリーとダイアナが交互に「そうね」と歌い合う部分、英語では "to go by" で「やりすごすために」というような意味で日本語の歌詞とは全然違う内容なのですが、前向きな明るさがあって、とても好きな部分です。ダイアナが家を出た後、静かにその決断を受け入れる彼女も受け止めきれずにいる父親に対してハンカチを差し出して電気を点けてあげるシーンも、彼女の優しさがうまく描かれていて好きなシーンです。

 村川さんのナタリーは歌も上手くて、自然に感情移入できる演技でとてもよかったです。彼女は ミュージカル『ラスト・ファイブ・イヤーズ』(Last 5 Years) の日本公演でキャシーを演じていたそうですが、観てみたかったな。ロック音楽ベースの作品で是非もう一度彼女の演技を観てみたいと思いました。

Henry

 5回の観劇が終わった後に、ヘンリーはナタリーのどこに惹かれたのかを少し考えていました。強がっているけど実は脆くて繊細でほっとけない感じがしたのか。ツンデレな彼女が実はすごく優しいことを見抜いていたのだろうか。いずれにせよ、ナタリーがおそらく人生で一番辛い思いをしているときに側にヘンリーがいてくれて、いてくれたのがヘンリーで本当に良かったな、と思います。"Crazy is perfect, fucked-up is perfect" とさらっと言ってしまえるヘンリーだからこそ、ナタリーを救えたと思うので。

 ナタリーとヘンリーの、お互いに "Hey" と声を掛け合うことから始まる一連の曲が好きです。挨拶で "Hey" と呼び合う感覚は、ずっと日本で暮らしている人には少しわかりづらいような気もしますが、訳す適当な日本語の挨拶がちょっと思いつかないです。「やあ」、とか「よぉ」とかが近いような気がしますが。ちょっと元気がなくて、投げやりな気分なときとか、控えめに声を掛けるときの挨拶としてピッタリな感じなんですよね。もちろん元気よく言うこともできますが。

 年の割にすごくバランス感覚のいい少年だと思います。松下洸平さんのヘンリーは、ナタリーだけではなく、観ている観客に安心感を与える、そんな存在だったと思います。作中、「えっと」という台詞が結構何回も登場しますが、かわいいなーと思いながら毎回観ていました(笑)。彼は急に音程があがるときの高音がきれいですね。

 是非ヘンリーには誓いだけではなくて、誓ったときの気持ちも覚えている男性になって欲しいものです。気持ちさえあれば誓いなんていらないし、逆は重すぎるもの。

Dr. Fine / Dr. Madden

 まず作品を観る直前に公式パンフレットを見て思ったのは、「Dr. Maddenって、精神科医なのになんちゅー名前…」でした。"Mad" はマッドサイエンティストの"Mad"の自動詞、「狂わせる」という意味です。対してDr. Fine の "Fine" は「良好」の意味。明らかに何らかの意図があってこのような役名がついているのが想像できます。いざ実際に作品を観た後では、新納さんが二人のドクターに独特の存在感を役柄を与えていたので、私の中では新納さんの演じ方と切り離して語れなくなっていまっています。新納さんのドクターを観てから、OBCのキャスト盤を聞くと、「あれ…?なんだかドクター・マッデンが普通の先生っぽい…?」と少し物足りなさを感じてしまうくらい(笑)

 初回に観劇したときには、なんとなくドクター・マッデンはただのいいお医者さんだけではない何かがあるような気がしていました。まず名前からして怪しいし、二幕で治療の再開をダイアナに促すときや、ダンに相談できる人の斡旋を申し出るときも、なんだか善意以外の何かがあるような気がして。もともと私自身には向こうに住んでいた頃の経験から、「アメリカ人は、精神科医は弁護士同様、人の不幸を飯の種にしている不愉快な存在と思っている人が多い」というイメージもあって。実際にはいいお医者さんもたくさんいらっしゃると思うのですが、「奴らはただ座って話を聞いているだけなのに高給取りだ」というやっかみのような感情を持っている人が一定数いる気がするのです。初回観劇後に日本公演のリステージを担当したローラ・ピエトロピントさんと新納さんの対談記事を読んだのですが、新納さん自身がドクター・マッデンに「いいお医者さん」だけでは片付けられない何かを感じ取っていたんですね。ですが、不思議と観劇回数を重ねて行くうちに、「ドクター・マッデンは医学の力を信じるプロのお医者さんなんだ」と思うようになっていました。そう感じるようになったのは、新納さんの役柄へのイメージにも心境の変化があったりしたのでしょうか?受け止め手の心境の変化の問題なだけな気もしますが、ちょっと気になります。

 新納さんのドクターは、何と言ってもロックスターになる瞬間、「ロックスターに見えない」とダイアナから告げられたときの反応が大好きです(笑)ドクター・ファインのときに密かに披露している華麗なファンキックも素敵です。

 

 このように観劇後に「これはどういう意図がこめられていたんだろう?」とあれこれ考えを巡らせるのは結構好きで、色んな人の解釈を聞くのも新たな発見があって刺激的で好きです。そういった意味でもN2Nは十二分に楽しめる作品で、全体的に大満足の観劇体験でした。

 5回目の観劇は、東京公演前楽、さらにシルビアさん辛源さんペアの楽日で、シルビアさん、辛源さんそれぞれから挨拶がありました。そのときの辛源さんの挨拶がとても素敵で。N2Nのようなパワーのある作品を日本に持ってくることができて本当にうれしい、このような作品をどんどん日本に紹介したいと思っている、そのためにはみんな(観客)の愛が必要、是非応援して欲しいといった内容でした。N2Nのような作品をまた日本で観れるのなら、是が非でも何回でも劇場に通いたいし、心からそんな活動を応援したいです。辛源さんは、これから活動の拠点をNY中心に移していくということですが、かの地での活躍も含めてとてもこれからが楽しみな役者さんです。(今回の公演ですっかりファン)シルビアさんも、是非またN2Nを再演したいと言ってくれたのもうれしくて。是非また今回のメンバー+αでやってほしいなぁ。違うダンの組み合わせとか、ナタリーの組み合わせとかも観てみたい。各キャストに対する感想でも書いた通り、私のイチオシは【安蘭×小西】、【シルビア×辛】なんですが、個人的には後者が好み。なので、N2N東京公演の観劇締めくくりをお気に入りの二人で締めくくれたのは幸せでした。大好きなペアなんですが、なんと兵庫公演ではこの組み合わせはないんですよね。もったいない!

 BW公演の動画だとか、ワークショップの内容だとか、まだまだN2Nに関して調べたくて手が出せていないことは多いので、今しばらくこの熱は続きそうです。

 こんな無駄に長い文章にここまでお付き合いいただきありがとうございました。みなさまの感想、解釈もシェアしていただけるとうれしいです!

 

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