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【コラム】ミュージカル『ビリー・エリオット』:なぜ私はこんなにもこの作品が好きなのか?

日本の5人のビリーたち

  東京公演6回、大阪公演6回の合計12回観たミュージカルビリー・エリオット』(Billy Elliot)日本初演。うまく表現できるかわかりませんが、なぜ私はこんなにもこの作品が好きなのかを物語と演出を中心に書いてみたいと思います。

 (以下、記事の性質上ネタバレを多く含んでいますのでご注意ください)

 

 冗長な気もしますが、ビリーの物語のあらすじをまずご紹介します。

 1984年。鉄の女マーガレット・サッチャー率いる保守党が政権を握っていた英国政府は採算の取れない20の炭鉱を閉鎖する合理化計画を発表し、イギリスの各地では抗議する炭鉱労働者による大規模ストライキが行われた。母を亡くし、炭鉱夫の父と兄、少しボケはじめた祖母といっしょに暮らす少年ビリー・エリオットが住むイージントンの町も、その「合理化計画」の対象となったイングランド北部の炭鉱町だった。緊張した面持ちで待つ人々が集まるイージントンの厚生会館にも、父ジャッキーと兄トニーが所属する労働組合によるスト突入の決定の報せが舞い込んでくる。団結を声高に謳い、奮い起つ若き炭鉱夫たちのリーダー格であるトニーを尻目にビリーにはなぜストをするのかもよくわからない。

 息子に男らしく育って欲しいジャッキーは炭鉱夫仲間のジョージがコーチを務めているボクシングのレッスンにビリーを通わせていた。ある日、町の厚生会館で行われているそのレッスンに遅刻したビリーはジョージに居残り練習と会館の鍵を「ウィルキンソン先生」に渡しておくことを命じられる。ビリーが一人残された部屋に雪崩れ込んできたのは揃いの白いチュチュを身につけたかしましい少女たち。ボクシングのレッスンの後に厚生会館で行われていたのは、ミセス・ウィルキンソンによるバレエのレッスンだったのだ。

 さっさと鍵を渡してお役目御免になりたいビリーを無視し、ウィルキンソン先生は強引にビリーをレッスンに参加させ、終了後にそのレッスン料として50ペンスを要求する。払えないというビリーに対し、また来週来た時に払えばいいと言ってのけるウィルキンソン先生。「バレエなんて」という気持ちがある一方、不思議と踊ることに心が浮き立って自己流で踊ってみるビリー。元々ボクシングにあまり前向きになれない気持ちがあったことも手伝って、ビリーはボクシングのために渡された50ペンスのレッスン代をバレエのために内緒で使い始め、次第にバレエに夢中になっていく。

 しかし、ある日とうとうビリーがボクシングをサボってバレエを習っていることが父ジャッキーに見つかってバレてしまう。苦しい家計をやりくりして絞り出した50ペンスを「オカマのように跳ね回る」ために使われていたと知ってジャッキーは大激怒。ビリーはバレエが好きであることを訴えるが、頭に血が上った頑なな父にバレエもボクシングも禁止されてしまう。ビリーにバレエダンサーとしての才能を密かに見出していたウィルキンソン先生は、父親には内緒でロンドンのロイヤルバレエスクールのオーディションを受けてはどうかとビリーに提案し、そのための個人レッスンを放課後につけることをビリーに持ちかける。

 …とここまでで一幕の半分くらいまででしょうか。

「あの星は影を見てる 光が生む影を」

 『ビリー・エリオット』の物語はダンサーとしての道を歩み始める少年の成長物語であると同時に、サッチャー政権下の炭鉱ストなど当時の社会情勢も取り扱った骨太の人間ドラマでもあります。ちょっとしたことをきっかけに、みるみるとバレエの才能を開花させていく綺羅星のような少年ビリー。その一方で町の大人たちを取り巻く環境は非情なまでに厳しい。長引く炭鉱ストを続ける父と兄はロンドンへのバス代も工面できないほど困窮しているし、バレエの師であるウィルキンソン先生も夫は不倫の挙句リストラされて酒浸りで、娘のデビーとも上手くいっていない。深い暗闇の中にあるからこそ輝く強い星の光。やがてその星がみんなを照らす希望となっていく。

星たちが味方だ 見捨てられても
ゆくべき道を示し 導く
苦しみも痛みも 過去も乗り越えて
光浴び立ち上がる日まで
我々はひとつだ

ミュージカルのオープニングナンバーである「The Stars Look Down」の歌詞にも最初から暗示されているかのような見事な構成。その対比があまりにも鮮やかで残酷ながらも、そのどちらも否定しないのが『ビリー・エリオット』の素晴らしい所で、これほどまでに胸を打つ理由なのだと思うのです。

「使いな、これも」

 話はいきなり変わりますが、私がもし『ビリー・エリオット』の世界の住人の誰か一人になれるとしたら、なりたい人物として一番最初に思いつくのがこの台詞を「He Could Go and Shine」の曲中で言う役名さえ明かされていない一人の女性です。ビリーをロンドンで行われるオーディションに行かせたくとも、そのロンドンへのバス代も出せないジャッキー。同じくスト中の他の炭鉱夫の仲間たちも懐事情は似たり寄ったり。そんな中、先陣を切ってジャッキーにカンパを申し出るのが彼女で、有無を言わせずジャッキーの手になけなしのお金を握らせるその力強い言葉と姿がとてもかっこいいのです。

 こっそりとしわくちゃのお札をビリーに手渡すデイビーに、「アートを支援するぞ!」と言ってボクシングのレッスン料でコツコツためたお金をビリーのために使おうと言い出すジョージ。変な話かもしれませんが、私は彼らの姿にビリーを観るためにせっせと劇場に足を運ばずにいられない自分自身の姿を重ねていたのでした。

 選ばれた5人のビリーたちは、それぞれに違う「めったくそ特別」な少年たち。ジャッキーがその踊る姿に目の当たりにして動かされたように、「この子たちのために何かできることがあればしたい」と思わされずにいられないのです。また、その一年以上にも及ぶ育成を兼ねたビリーのオーディションからして、ミュージカル『ビリー・エリオット』を日本で上演することは相当な大冒険だったに違いありません。博打のような決断に打って出た関係者をはじめ、実際にその公演を成立させるために関わった数多くの人々に対して投資したい。もちろん、純粋にビリーが好きだという気持ちがあったから何回も劇場に通ったのではありますが、このような気持ちがチケット購入を後押しする動機の一つになったことも事実です。こんなことは初めてで、自分でも少し驚きました。

 「ビリーに投資したい」と思う自分自身と、「使いな、これも」と言ってお金を差し出す彼女に共通点を見出した時は、なんだかそれだけですごく泣けてきたことをよく覚えています。こうやってこの記事を書いているように、思ったことを表現したいと思い、たまにアウトプットしたくなるタイプのオタクである私。そんな私は、舞台に立つ俳優さんたちや制作に携わるみなさんのように「表現すること」によって生計を立てている人に対して果てしない憧れがあります。表現者として無限の可能性を感じるビリーたちに対しては言葉にするまでもなく。若い才能を信じて未来を託したい、その姿を見守りたいと思う。いつの間にか自分も気持ちの上でそちら側に立っていたんだなぁと思うと、ほろ苦い感傷が胸をくすぐるのです。

「みんながクソッたれダンサーになれんとよ」

 これは数秒前には弟のオーディション合格を全力で喜んでいたトニーが、組合が全面降伏してストライキを終了するという報せを聞いて、自身や仲間の今後を嘆いて捨て台詞のようにビリーに投げつける痛々しい弱音です。

 そう、誰もがダンサーになれるわけではない。ましてやそれで生計を立てられるほど成功するのは本当に一握りの人たち。さらにその中でスポットライト浴び続けられる存在となると…。残酷で不都合な真実

 ビリー役を選ぶ大規模オーディションの過程を考えても、それだけでもこの作品のテーマを包含するひとつの大きなドラマです。本当に、本当に積み重ねられてきた数々の奇跡で成り立っているのが『ビリー・エリオット』の舞台。ビリーとして選ばれた5人が舞台に立つことは、町のみんなの期待をその小さな肩に背負って故郷を旅立つ彼らの姿にも重なります。

 「舞台はナマモノ」、「舞台は一期一会」とはよく言われる言葉ですが、ビリーは、公演を重ねることによって配役された少年少女たち、さらには大人キャストの絆が成長することを含めてビリーの成長物語のようなドラマになっていて、これほどこれらの言葉の重みを感じた作品は他にありません。

「個性が世界 救うのさ」

 バレエスクールのオーディションを受けることについてどう思うかを、ビリーが親友のマイケルに相談した時に歌われる「Expressing Yourself」のナンバー。見応えのあるビリーとマイケルのタップダンスがとても魅力的な明るくて前向きな内容のナンバーでありながら、観る公演回数を重ねるうちにどうしようもなく涙が溢れるようになっていった場面でもあります。

 ダンスを踊りたければ踊ればいい、炭鉱夫になりたいならなればいい、好きなことをして自由に自分を表現することの何が悪いのさと、キラキラとした笑顔で屈託なく笑って歌う少年たち。物語の幕が下りた後のフィナーレでも全員で歌われるこのナンバーは、どんな形でも、好きなことを追い続けてるだけで、誰もが表現者になれると言ってくれるのです。

「誇りを抱いて 歩け力強く」

 誰もがダンサーになれるわけはない。でもダンサーにならなくても、日々を自分らしく精一杯生きるだけで誰もが表現者になれるという作品のメッセージの肯定感。その証拠に、踊っている時だけ自由になれたと語る祖母の姿も、一人バレエを踊る息子の姿に心揺さぶられ突き動かされ、仲間を裏切りスト破りを敢行しようとしたジャッキーの姿も、仲間と家族の絆を思い必死に父を止めようとするトニーの姿も、若い才能の未来をを思ってビリーを突き放すウィルキンソン先生も、戦いに敗れて炭鉱で働く日々に戻っていく炭鉱夫たちの姿もみんなとても凛としていてかっこいい。炭鉱夫のヘルメットに付けられた眩い無数のライトに照らされるビリーとは対照的に、暗い炭鉱へと降りていく男たち。不器用ながらも自分なりに一生懸命真摯に生きる彼らの姿はとめどなく愛おしく、輝くビリーとその才能と同じくらい胸を打つのです。

どんなときにも
心のままに
あなたらしく生きて

 自分らしく生きること。これはすでに故人であるビリーの母が息子に向けて遺した言葉でもあり。

 今回この記事を書いてみて改めて実感しましたが、私がビリーをこんなにも大好きになった理由はその物語の根底を流れる大きな愛と希望と、人が生きていく上での悲哀をまるごと受け止めてくれるような懐の深さがあり、そしてそれが舞台の上だけではなくて今を生きるみんなの現実にも繋がっているからなんだと思います。そして、このみんなには舞台に立つ人、それを支える人、観客の全員が含まれる。

「またな、ビリー」

 映画では成長したビリーが出演するバレエ公演を父と兄、そして親友のマイケルが観に駆けつけるところで幕を閉じますが、ミュージカルではビリーが手紙で母親に別れを告げ、マイケルに見送られながら生まれ育った町を旅立つところで幕が閉じます。

 ビリーに別れを告げるのはとてつもなく寂しい。だけど、彼の夢を応援していつか逞しく成長したビリーの姿に再会したい。涙をこらえて笑顔でビリーを送り出そうとするマイケルの姿まで、まるで自分の気持ちを代弁するかのようです。いつか再会できると信じたい。日本の『ビリー・エリオット』の舞台然り、ビリーたちを始めとするキャストのみなさん然り。このような感動を届けてくれた日本のミュージカルの未来の姿にも。

 目を背けたくなるような暗い現実が待っている炭鉱町に残された人々の未来にも、ビリーの明るい未来を願うこの祈りのような気持ちが一筋の明るい星灯りのような希望となって照らすことを祈りながら。

 遠く離れたイギリスの炭鉱町で繰り広げられるこの物語を、オリジナルの演出のままながらもすっと沁みて入ってくる日本語の台詞と歌詞に翻訳し、それぞれが役を生きている素晴らしいキャストで配役して、ビリーたちとともに舞台が成長する姿を見届けられる日本に持ってきてくれたことには、本当に感謝しても感謝しきれません。素晴らしい舞台を見せていただいて、本当にありがとうございます。

 随分と時間がかかり長くなりましたが、この記事を「またな、ビリー」と送り出す気持ちに代えて。

「いつまでも」

 2018.1.14 satoko