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【観劇レポ】ミュージカル『ファンレター』(팬레터, Fan Letter) @ Dongsung Art Center, Seoul《2018.1.20マチネ》

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 2018年1月20日にソウル大学路 (テハンノ) で韓国創作ミュージカルの『ファンレター』(팬레터, Fan Letter) を観てきました。今年初の大学路での観劇。『ファンレター』が上演されているドンスンアートセンターは『ミスター・マウス』以来の2回目。大学路の中では大きめの中劇場ぐらいの劇場ですが、客席の傾斜がしっかりあって、後ろの方でも端のほうでも観やすいので結構好きな劇場です。私が観た回の文人たち、もといキャストのみなさまは

 チョン・セフン (정세훈) : ムン・テユ さん
 キム・ヘジン (김해진) : キム・ジョング さん
 ヒカル (히카루) : チョ・ジスン さん
 イ・ユン (이윤) : パク・ジョンピョ さん
 イ・テジュン (이태준) : ヤン・スンリ さん
 キム・スナム (김수남) : ソン・ユドン さん
 キム・ハンテ (김한태) : クォン・ドンホ さん

でした。どの俳優さんもみんな役にハマっていて、本当に素敵でした。

 韓国ミュージカルクラスタのフォロイーさんの多くに「好きそう」と言われていた本作。みなさまよく私の好みをご存知で…。(←)

 表現者にとって表現すること、ミューズの存在、最高の創作を残すために払う犠牲とそうせずにはいられない業、虚構を愛することと自分を偽っても愛されたいと思うこと、才能、創作物を愛するのと人として愛すること…本当に色んなテーマが盛りだくさんで観劇後色々と考えを巡らせずにはいられない作品でした。

  まずはInterparkに掲載されているあらすじをご紹介します。

 1930年代の京城。やり手の事業家セフンはカフェで休んでいたとき、驚くような話を耳にする。ヒカルという死んだ女性作家の小説が出版されるというのだ。知られざる彼女の正体も明かされるという。

 セフンは、留置場に入れられている文人団体「七人会」のメンバーで小説家のイ・ユンを訪ね、その出版を中止してほしいと頼む。イ・ユンは本当の理由を明かさなければできないと言い、ヒカルの恋人だった小説家、キム・ヘジンが彼女に残した最後の手紙まで取り出して自慢する。セフンはその手紙を自分は見る必要があると言い、ヒカルについて話し始めるが…。

 ちなみにこの作品は舞台の下手側に台詞と歌詞を日本語と中国語に翻訳した字幕がモニターに映し出されます。モニターが見やすい座席はかなり限定されますし、字幕の表示されるスピードとタイミングにも難ありですが、それでも台詞のかなり多いこの作品。内容を理解するのにものすごく助かりました。字幕がなければあれだけ泣いて感動できなかったと思うので、本当に感謝です。

(以下、ほぼネタバレしかないのでご注意下さい)

 
 

 この前提を共有しないと書きづらいので先にざっくりネタばらしをしてしまうと、セフンが敬愛する作家で「七人会」のメンバーでもあったキム・ヘジン宛に送ったファンレターの中で、セフンが使った筆名が「ヒカル」です。セフンはヘジンやイ・ユンを含む他の「七人会」のメンバーが集まる事務所で小間使いとして働き始めます。職場でセフンが憧れのヘジン先生と話しているうちに、「ヒカル」が送ったファンレターに感銘を受けたヘジン先生が、「ヒカル」が女性であると誤解し、自分が抱える孤独を唯一理解してくれる運命の人だと強く思っていることをセフンが知ったことにより物語が大きく動き始めます。

 『ファンレター』は大学路の創作ミュージカルでは珍しい二幕もののミュージカルなのですが、一幕はとにかくセフンとヘジン先生がそれぞれに自分の中で作り上げた「ヒカル」像に囚われて溺れていく過程がすごく倒錯的で「うわぁあぁあぁああ」と心の中で叫びながら観ていました。いわばセフンの分身のようなヒカルですが、最初は天真爛漫な男の子のような姿だったのが、ヘジン先生の思い込みから始まった恋心を守るために闊達で芯の強そうなお嬢さんの姿になり、さらにはヘジン先生も分身であるセフンですらも弄んで楽しんでいるようにすら感じる蠱惑的な妖艶さを漂わせる女性になっていって…。その理由はそれぞれ違うにしろ、二人共が自分の頭の中にしか存在する「ヒカル」のイメージと想いを深めていくとともに、お互いしか存在しないその想像の中の世界に深く、深く耽溺していく姿がなんかもう、凄いのです。

 やがてヒカルと彼女と共に書き上げる小説とその二人の共同作業によって表現する愛の形に溺れていくヘジン先生。持病の肺結核が進行し、病が身体を蝕めば蝕むほど執筆作業に没頭していきます。春風のように優しげな先生の変貌。追い討ちをかけるようにヘジンを「七人会」から脱退させ、世捨て人ように小説を書き上げること以外のことを許さないような環境に追い込んでいくヒカル。二幕以降ヒカルはセフンの手を離れて、理想の文学のためには何でもするエゴイズムの塊のような手に負えない存在になっていきます。それはセフンの中に存在した彼の一面とも言えるわけで。セフンにとってヘジン先生は、自分が一番辛い想いをしているときに一条の希望の光を与えてくれた尊敬してやまない存在。憔悴するまでに一途な愛を注ぐ相手を意のままに操り自分の掌で転がす快感を悦ぶヒカル。創作にその創作者自身が表出すること…なんだか深く考えるのが怖いことを突き付けられているような気がしてならないのですが、目を逸らすことを許さないようなゾッとするような凄味がヒカルにはあるのです。

 傑作を世に送り出すこと以外に作家の存在意義はないと言わんばかりのヒカルと、病身を顧みないヘジン先生になんとか生きようと足掻いて欲しいセフン。自分の中のミューズ像に命を削りながらも傾倒するヘジン。ヒカルの正体に勘づき、その罪深さを認識しつつもその余りある才能をそのままにしておけないと決意するヘジンの友人のイ・ユン。本当に人間や表現者の業の深さを実感せずにいられません。

 「ヒカル」なしでは自分は書けないのかもしれない。ただの小間使いの男の子であるセフンが、才気溢れるヘジンのミューズ「ヒカル」のようには愛してもらえないかもしれない。それどころか自分は受け入れてすら貰えないかもしれない。悩みに悩みぬいた後、最終的にセフンはヒカルに克ち、自分の手を傷つけることによって「ヒカル」を消すことを選びます。そしてヘジン先生への最後の手紙は、「セフン」自身としての「ヒカル」の正体の告白する内容。この手紙は直接セフンの手からヘジンへと手渡され、セフンの目の前でヘジンはその内容を読みます。「ヒカルは僕です」「ずっと僕だったんです」と更に告白を重ねるセフンに対して「彼女が…そんなはずがない」「何故私が死ぬまで隠し続けてくれなかった」とヘジンに拒絶されるセフン…。双方の気持ちのどちら側に立っても、とても見ていられなくて、本当に胸が苦しくなりました。そして気がついたら、「どうなってしまうんだろう?この物語はどのように終わるのだろう」とすっかり物語にのめり込んでいる自分に気づくのです。

 次の場面では実業家になったセフンがイ・ユンを訪ねている物語冒頭の時間軸に戻ります。「留置所に囚われている身の自分が手紙を隠し持てるわけはないだろう」と必死なセフンを気がすむまでからかった後、ヘジンから「セフン」宛の手紙を預かっており、それは「七人会」のメンバーが集会所としても使っていた事務所にあると伝えるユン。「さすがヘジン先生だな。また読者を一人救った」と意味ありげな言葉を残して。

 ヘジンから「セフン」への最初で最後の手紙と思われるその手紙は、赦しと救済の手紙でした。舞台ではヘジン自身が手紙を書きながら読み上げるような演出のこの場面。「彼女の正体がなんであろうと、あの手紙を書いた人を愛さずにはいられない」と読み上げる先生の少し哀しげで、でもとても愛に満ちた優しいなんとも言えない笑顔。お約束のようにもう私の涙のダムは決壊です。セフンを赦して、その後間もなく亡くなったヘジン先生。あの世でヘジンに寄り添うように共にあったヒカルが、セフンがヘジンの赦しと愛を得ることにより、セフンの元へと還っていくような演出も本当に本当に素敵でした。セフンに裏切られたも同然なのに、重大な役目を引き受けたユンのセフンに掛ける期待と思いとか、それをユンにヘジンが託したことから感じ取られる二人の固い友情と、文壇に立ち、その発展を願う同士としての絆にも熱いものを感じます。

 ヘジンと同じ病に冒されていたユンもやがて息を引き取り…。ラストは色々なことを乗り越えて、「七人会」にできた空席を埋めることになったセフンがその所信表明をする場面で舞台は幕を閉じます。長い間筆を折っていたセフンが、また彼自身が納得できるような文章を書けるようになるまでは時間がかかるのかもしれません。でも、ヘジンをはじめとした文人たちの思いが未来へと繋がっている。悲しい気持ちも残りつつも希望が持てる幕引きで、本当に素敵な余韻が残る作品でした。