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劇場に行くためにどこでもドアが欲しいミュージカルオタクの観劇記録と観るためのあれこれ

【観劇レポ】演劇『The Jungle』 @ Playhouse Theatre, London《2018.8.16ソワレ》

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 毎年恒例になりつつある夏の渡英。2018の夏の観劇旅行の最後に観た『The Jungle』が素晴らしかったので、その感想を書いてみたいと思います。「観た」というより、「体験した」という表現がしっくりくる『The Jungle』の舞台。作品の舞台となるフランス北部、ドーバー海峡沿岸のカレー (Calais) の難民キャンプの通称と同じ名前がつけられたこの物語。物語が扱うテーマ、その物語の提示の仕方。そしてその物語を一緒に体験する観客たち。色んな要素で本当に得難い観劇体験でした。

夥しい数の星々

 あまりあらかじめチケットを取らず、わりと行き当たりばったりで現地で観劇演目を決めた今回の渡英。観劇最終日になる木曜日のソワレについても、その前日になっても何を観るか決められていなくどうするか悩みながら街歩きをしていた私。特に最後に観る演目はハズレを引きたくないので、「しまったなー。『王様と私』はやっぱり今日じゃなくて明日に持ってこれば良かったかなぁ」などと考えながら歩いていた私の目に入ってきたのは、プレイハウス劇場 (Playhouse Theatre)と明るい星空を背景にした鮮やかな赤い文字が印象的な『The Jungle』のタイトル。そして夥しい数の星々。

 
 上演中作品の好意的な劇評を宣伝として劇場の外装をラッピングするのはロンドンやブロードウェイの劇場でよく見る光景なのですが、プレイハウス劇場を取り囲むメディアの5つ星レビューの数がただ事ではない。チケットセールスが好調なプロダクションでも、5つ星レビューを出すメディアが2、3でそれ以外が星4つのレビューぐらいが多いイメージであるのにも関わらず、『The Jungle』はすべてがこぞって星5つ。劇評家のレビューと自分がどう感じるかは必ずしも一致するわけではないですが、これなら大ハズレということは多分ないだろうということであっさり決定し、その足で劇場のボックスオフィスへと吸い込まれていきました。めちゃくちゃ安易な理由ですが、結果的にここで即決して本当に良かったです。

 参考までに5つ星評価以外の記事も含めていくつかレビュー記事へのリンクをブログ記事の最後につけておきましたので、興味ある方はぜひ。

アフガン・カフェとドーバーの断崖

 『The Jungle』の席種はざっくり分類すると二種類。「アフガン・カフェ」(Afghan Cafe) と呼ばれる1階席とドーバーの断崖」(Cliffs of Dover) と呼ばれる2階のドレスサークルの席。「ドーバーの断崖」は従来通りのふかふかクッションの劇場の席ですが、「アフガン・カフェ」はその名前の通り、劇場の1階をブチ抜いた空間に再現されたアフガニスタン風のカフェ兼ステージを四方に囲む形に設置されたテーブル付きベンチやクッションの席です。ボックスオフィスで席種を聞いて、迷わずカフェ席を選んだ私。カフェのありとあらゆる場所で色んなことが起きるため、同じカフェ席でもどこに座るかでまた異なる体験をできるのもこの作品の魅力の一つだと思います。

 ボックス・オフィスの係員の女性が勧めるままに決めた席は、劇場の上手側中央近辺の壁側の席。実際当日指定された席に案内されると、そこは「アフガニスタンの旗」(Afghan Flag) と書かれたキッチンの隣の席。やっつけ仕事の残念クオリティですが、ナショナル・シアターのチケット購入ページとあやしい記憶を頼りに座席図を描いてみました。☆印の部分が私が座った席です。

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(以下、ネタバレが多く含まれているのでご注意ください)

 

「君のためのチャイだよ。とても熱いから気をつけて」

 『The Jungle』の作品の世界観への誘いはプレイハウス劇場のロビーを通り抜け、「アフガン・カフェ」に足を踏み入れる前から始まっています。まず目を引くのが異国情緒が濃厚に漂うカフェの空間。床には土と木片が敷き詰められ、その匂いが微かにする気がするぐらいの徹底のしようです。その普段とは異なる劇場空間に席に座ってワクワクしていると、青色が鮮やかなガンバ大阪のジャンパーを着た中東系の20代ぐらいの男の子 (ヤシン, Yasin) がやってきておもむろに私の隣でポットから発泡スチロールのカップに何やら注ぎ始めます。漂ってくるのは甘いミルクとスパイスの香り。いくつかのカップに注ぎ終わった彼は、最初の一杯を私に手渡して言います。

This is chai for you.
これは君のためのチャイだよ
Be careful, it's really hot.
とても熱いから気をつけて

 カップを受け取ってお礼を言って、シナモンが効いたその薄めのチャイを啜りながらプログラムを眺めていると、今度は頭にターバンを巻いたアフリカ系の長身の男性 (モハメド, Mohammed) がビラを手渡してくれます。

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 手渡されたビラを見ると、英語、アラビア語などの複数の言語で以下のように書かれています。

2016年2月12日
緊急ミーティング!
今夜 @ 7.30PM1

サラーのレストラン (アフガンの旗) において、再度提案されているジャングルの立ち退きについて話すため - 話を拡散してください!
すべてのコミュニティの参加を推奨します!

カレーの「ジャングル」

 フランス北部、ドーバー海峡沿岸のカレーという地名。ミュージカルクラスタのみなさまには、『レ・ミゼラブル』の劇中でテナルディエ一派によるプルメ街のお屋敷襲撃未遂事件をジャベールの追っ手と勘違いしたジャン・バルジャンが歌う

Tomorrow to Calais
Then ship across the sea!
明日はカレーへ
そして船で海を越えよう!

の歌詞が一番馴染みが深いかもしれません。このようにドーバー海峡が一番狭くなる部分に面しているカレーは、ブリテン島への玄関口として『レ・ミゼラブル』の時代より前から交易の重要な拠点として栄えてきた街。すなわち、カレーはイギリスへと渡ることを希望する人々が集まる街なのです。Google Mapで" Calais, The Jungle "で検索してみると、「閉鎖」という無機質な文字とともに最大時には8,000人もの人が暮らしていたその場所があったところが表示されます。『The Jungle』は現実を元にしたフィクションで、どのようにしてカレーの「ジャングル」の難民キャンプが始まり、そしてどのように「解体」されたかを伝える物語なのです。

「ジャングル」に身を寄せる人々

 『The Jungle』の登場人物には往来で出会う見知ぬ人々にも名前があるようにその名前が劇中で明かされない人々にもすべて役名が与えられています。とても登場人物が多いこの物語。物語の鍵を握るいくつかの登場人物については、名前とそのバックグラウンドをある程度頭に入れておいたほうが物語を追いやすいと思うのでここで少し紹介します。

Safi (サフィ)

 大学時代に文学を専攻していたシリアのアレッポ出身の男性。物語の狂言回し役。穏やかで理性的な性格で行きがかり上シリア出身の難民たちのリーダーとなる。

Norullah (ノルーラ)

 15歳の血気盛んなアフガニスタン出身の少年。

Salar (サラー)

 自身の名前を冠するレストランを「ジャングル」内で切り盛りするアフガニスタンのカブール出身の男。やや気が短いが情に厚いアフガン系難民たちのリーダー。ノルーラを自身の息子のように世話をする。

Okot (オコット)

 「難民は何回も死ぬ」と語るスーダン出身の17歳の少年。20歳だと年を偽る。

Mohammed (モハメド)

 スーダン出身の元大学教授。スーダン系難民たちのリーダー。

Derek (デレク)

 「何かしなくてはと思った」といい、「ジャングル」にボランティアに来たイギリス人男性。

Beth (ベス)

 海岸に打ち上げられた難民の男児の遺体の動画を見て心を痛めて、「ジャングル」にやってきた18歳のイギリス人女性。難民たちに英語を教える。

Sam (サム)

 住居問題に関心を寄せるイギリスの名門イートン校出身の18歳。

Paula (ポーラ)

 子供たちを支援するためのボランティア活動に精を出すイギリス人女性。口が悪い。

Boxer (ボクサー)

 バンジョー弾きの酔っ払いイギリス人男性。離縁した妻との間に娘がいる。

感想

 『The Jungle』は二幕構成になっているのですが、個人的には一幕を観終わった後の感想と、二幕が始まって最後まで観終わった後の感想ではその印象がだいぶガラリと変わりました。

 
 幕間中にツイートしている上記の内容のように、一幕はただひたすら舞台と客席が一体となったセットとその狭い空間の中で役者さんが時には走り回り、隣に座ったりという臨場感に興奮して、舞台の世界観へと観客を誘い込む仕掛けの見事さに浮足立つ気持ちが大きかったです。なにせ私が座った席は上で描いた座席図の通り、戯曲の中でも象徴的な「ジャングル」内のレストラン2の厨房の隣で、実際に本当にサラーやそのレストランの店員さんが料理を作り始めてめちゃくちゃいい匂いが漂ってきてお腹が鳴りそうになったり、そのレストランでお弁当を買ったジャングルの住人が私の隣に座って食事を始めるのを横目に羨ましそうに眺めたりできちゃうのです。ポンドしか手持ちがなかったけど、すごく美味しそうで3ユーロ出して私もお弁当買いたかった!

 二幕の始まりは、ベスがオコットから

A refugee dies many times.
難民は何回も死ぬ

と話す理由を訊き出す場面から始まり、オコットのスーダンからカレーに辿り着くまでの過酷な経験をベスとともに聞くことで始まります。ベスはその齢若さもあり、未熟でありながらも感受性豊かな女性として描かれています。彼女が感じる衝撃や悲しみを追体験することは、自分自身の無力感や未熟さを思い知らされることでもあり。さらに、少しずつ衝突しながらも絆を深めていく難民の人々と支援ボランティアたちが仮宿でありながら「ジャングル」に共同体を作っていき、つらい最中でも音楽やダンスを楽しむような空気が作られるようになってきた所で無情にも決まる「ジャングル」の強制立ち退き、解体。難民の人々がどれだけの回数、必死の思いで築き上げてきた拠り所を追われてきたのかと考えると本当に胸が痛くてしょうがありません。一人の人間でできることはとても限られている。だけど、できることもあるということも思い知らされた舞台体験でした。

 
 『The Jungle』は実際にカレーの「ジャングル」で Good Chance Theatre 3の劇場を運営していたジョー・マーフィー (Joe Murphy)、ジョー・ロバートソン (Joe Robertson) という二人の男性により脚本が書かれています。そのことが影響しているのか、『The Jungle』は痛ましい事実をもとにしたフィクションでありながら、音楽、芸術や芸能がもたらす希望や活気を信じているような雰囲気、構成になっているのが印象的でした。サラーのレストランの美食もその中に含まれていると言ってもいいのかもしれません。劇中、集まった人々が自然発生的に楽器を弾いたり、踊ったり、殺陣をしてみたり、歌ったりする場面があるのですが、この場面の土の匂いがするようなライブ感、楽しげで活気が溢れていながらも胸を刺すような哀愁を感じる空気感がとても強く印象に残っています。観劇後に知ったのですが、『The Jungle』には、実際にカレーの「ジャングル」に身を寄せたことがあり、カレーの Good Chance Theatre でも歌い手として参加したスーダン出身の歌手のモハメド・サラー (Mohammed Sarrar) さんがキャスティングされています。彼の母国語で歌われた歌だったのでしょうか。言葉はわからなかったけど、彼が歌った悲哀を帯びながらも美しいメロディー、とても心に残っています。

 『The Jungle』という作品をこういった形でロンドンで上演すること自体も、演劇が持つ力、影響力を信じているからだと感じています。そして、私もその力を一緒に信じたいと強く思います。

【参考】『The Jungle』劇評記事(英語)


  1. 7.30PMは『The Jungle』の開演時間。

  2. サラーのレストランは"THE TIME"のグルメ記者であった故 A.A. Gillによって星4つの評価のレビューを受けた実在した「ジャングル」内の名もなきレストランをモデルとしている。

  3. イギリスの慈善団体。詳細はこちらのHP参照: https://www.goodchance.org.uk/