海外からの招聘キャストと日本人キャストの豪華カンパニーで英語公演をするということで話題になったミュージカル『チェス』(Chess the Musical)。招聘キャストとして私がウェストエンド沼にダイブするきっかけになったラミンさんや、ヒュー・ジャックマン主演の映画『レ・ミゼラブル』でエポニーヌを演じたことをきっかけに大ブレイクして活動の拠点がウェストエンドだけに留まらず広がり続けているサマンサが来日してくれる。そんなわけで東京公演千秋楽間際に観劇してきました。豪華出演陣のプリンシパル・キャストのみなさまは以下のみなさま。
アナトリー:ラミン・カリムルーさん
フローレンス:サマンサ・バークスさん
フレディ:ルーク・ウォルシュさん
アービター:佐藤隆紀さん
モロコフ:増原英也さん
スヴェトラーナ:エリアンナさん
作品紹介
ミュージカル『チェス』は「Dancing Queen」や「Mamma Mia!」などの楽曲でおなじみ、スウェーデンのポップグループABBAのベニー・アンダーソン (Benny Anderson)、ビョルン・ウルヴァース (Björn Ulvaeus) 作曲、ティム・ライス卿作詞の東西冷戦時代を舞台にしたミュージカル。同じくライス卿が作詞を手掛けた『ジーザス・クライスト=スーパースター』や『エビータ』と同様に舞台公演の前に資金調達のためにコンセプトアルバムが制作されています。このコンセプトアルバムの発売が1984年、最初の舞台公演がその2年後の1986年ロンドン。『チェス』はロンドンのプリンス・エドワード劇場 (Prince Edward Theatre) で3年間上演されている間にブロードウェイでも大きく物語と演出を変えて1988年に上演されていますが、ブロードウェイでは2ヶ月のランとかなり短命に終わっています。以降、世界各国でウェストエンド版、ブロードウェイ版の要素をそれぞれ取り入れたバージョンが上演されていますが、ロンドン初演を超える長期ランはなく比較的短い期間の公演を繰り返している作品となっています。
そんな『チェス』の日本初演は2015年東京芸術劇場にて。荻野浩一さんが演出、訳詞を手掛けたこのプロダクションは2012年、2013年のコンサート版を経ての舞台版となっており、2013年のコンサート版では今回(2020年)の東京公演の会場と同じ東京国際フォーラムCで上演されています。今回の日英キャスト1でのプロダクションはこれまでの日本公演とはキャストメンバーを一新し、演出もイギリスを中心に振付家および演出家として活動しているニック・ウィンストン (Nick Winston) さんが手掛けています。2015年の日本初演同様、今回もベースとなる脚本はロンドン公演のもの。
あらすじ
以下、公式サイトからの引用です。(以下、ネタバレが含まれるためご注意ください。)
舞台は米ソの冷戦時代。イタリアのメラーノでチェスの世界一を決める選手権が開催される。時の世界チャンピオンはアメリカ合衆国のフレディ(ルーク・ウォルシュ)。傍らには、彼のセコンドを務めるフローレンス(サマンサ・バークス)がいる。対戦相手はソビエト連邦のアナトリー(ラミン・カリムルー)。チェスの天才フレディは、フローレンスの忠告もむなしく、記者会見で対戦相手を罵り、記者たちから非難を浴びせられる。天才チャンピオンの成功と孤独に苦しむフレディ。
一方、アナトリーは共産主義のソビエト連邦という国家を背負ってチェスをプレイすることの重圧に苦しんでいた。競技場には、彼らの世界を冷徹に支配するアービター(佐藤隆紀)が待つ。精神的に追い詰められたフレディは、試合を放棄、それによりアナトリーが不戦勝で新たな世界チャンピオンとなる。葛藤の中で、敵味方であるはずなのに恋に落ちてしまうフローレンスとアナトリー。しかしアナトリーには故郷に残してきた妻と子供がいた。フローレンスは1956年のハンガリー動乱で親を亡くした孤独な身の上だ。アナトリーは亡命を決意する。
1年後、再びチェスの世界選手権がタイのバンコクで開催される。世界チャンピオンであるアナトリーは出場者としてフローレンスと共にこの国に来ていた。そしてこの地に、テレビ業界に転身したフレディ、アナトリーの妻スヴェトラーナも現れる。試合を前にKGB(旧ソ連国家安保委員会)、CIA(米国諜報機関)の思惑も交錯する。
彼らの人生はどのような軌跡を描いていくのか……。
すべてを賭したゲームが始まる。
いつまで梅田芸術劇場の特設サイトが残っているかは不明ですが、そちらにより詳しいシノプシスが載っていたので以下のリンクも併せてご参照ください。
感想
「豪華出演陣による夢の共演!」
「素晴らしいパフォーマンスに拍手喝采!」
公演宣材のあおり文で使いそうな文句。実際に私が観た公演もその通りだったのですが、その結果「大満足でホクホクした気分で劇場を後にしました」とならないのが『チェス』という作品の難しさだなと実感した観劇でした。早い話、出演者のみなさんは本当に素晴らしかったのですがモヤりました。いや、素晴らしかったこそモヤったと言ったほうがいいのかもしれません。(以下、割と辛口なのでネガティブな感想が苦手な方はご注意ください。)
本公演前に発売したコンセプトアルバムが大ヒットしているくらいですから、楽曲は良ナンバー揃い。歌い手もウェストエンド、日本を代表する歌ウマ揃いですから聞き応えは抜群。ラミンさんはこれまでも何回もたっぷり歌い上げてくれる作品で拝見してましたが、サマンサを生で観た経験はそこまで歌い上げナンバーのない『シティ・オブ・エンジェルズ』でだったので素晴らしく良く伸びる彼女の歌声に鳥肌が立つ経験ができたのはかなりの収穫でした。佐藤さんのアービターもよく響く声で存在感たっぷりだったし、増原さんモロコフの美声バリトンには聞き入ったし、エリアンナさんのスヴェトラーナも難しいナンバーを見事に消化していてとても素敵。
ミュージカル『CHESS』舞台映像ダイジェスト版
アンサンブルの俳優さんたちのフォーメーションダンス、ソロのダンスも見応えたっぷり。キレッキレでビシッと揃ったダンスを見るのは爽快ですらありました。演出を手掛けたニックさんがロンドンで10本の指に入る人気の振付家でもあることにも超納得。
ここまでは大絶賛できるのに…。如何せん脚本が乱暴で雑すぎる、というのが正直な感想です。1回だけ観た2015年公演の方がもう少し時代背景や登場人物達のバックグラウンドを丁寧に描いていた気がするので、そちらとの比較でも辛くなる点数。いかんせん5年も前の話なので自分の都合のいいように記憶が書き換わっている可能性もありますが…。
今回の演出ではアナトリーが何をしたかったのが全く理解できず。自由を求めて西に亡命したはずなのに、妻に説得されても自分の自由な意思を優先させてチェスでの勝利にこだわったのに国に帰るのはなんで?そりゃ息子の写真を対戦相手が出していたけど家族を心配する素振りなんか今まで見せていたっけ?彼が帰国する理由の一端にフローレンスの父親の件が絡んでいることが今回の演出ではスルーされているのはなぜ?そこかなり重要なポイントちゃうんかったん?
スヴェトラーナに出会ってフローレンスが急にアナトリーの妻子を気にしだして「貴女は家族の元へ帰るべきよ」と言いだすのも、彼女と父親が引き裂かれたバックグラウンドが劇中であまり説明されていないのでピンとこず。大阪公演ではあったらしい「Someone Else's Story」が丸々一曲カットされたことによって、スヴェトラーナの行動も唐突感度がアップ。貴女達「I Know Him So Well」って歌ってましたよね?本当にわかっていらっしゃいます?というか、エリアンナさんのソロ聴かせてよ!と募るモヤモヤ。なんだったら、フローレンスはフレディが歌う「Pity the Child」で語られるフレディの母親のように自分を大切にしてくれない人ばっかりを好きになっているようで。
レア・サロンガさんが歌う「Someone Else's Story」
いい曲なのに...なぜカットした
元々『チェス』は登場人物達に対して感情移入することが難しい物語ですが、彼らの心情に寄り添えなくとも、その言動の背景なり理由が想像できればこんなにモヤらなかったと思うのです。オタクなので想像力で補完するのは割と好きなタイプですが、今回の演出では私の想像力と知識では追いつかず完全に置いてきぼりをくらった感じです。「何をしでかすかわからないキチガイ」とか言われたはずなのにフレディの方がわかりやすくて可愛く見えてくるのはどういうことやねん。
映像を使った演出についても、効果的に使われている部分もあったものの全体的に情報過多。パフォーマンスをしている演者に集中したいのに注意を削ぐうるささで好みじゃなかったです。ニュース映像以外は「Mountain Duet」のような屋外の場面で木がそよいでいたり星が瞬いている以外は動きのある映像はないくらいのシンプルさの方がいい気が。セットもシンプルでアービターを筆頭に衣装もどこかゴシックな雰囲気ですし。
ここまで割とボロクソに書いておきながらも「観なきゃ良かった」とは全く思わなかったし、なんならいまだに頭の中を『チェス』の楽曲がぐるぐるしているのも不思議な感じです。マクロな演出に対する文句は今まで散々書いた通りですが、アナトリーが亡命の手続きをする「Embassy Lament」の大使館職員のキャラクター設定と演技2、「The Soviet Machine」でモロコフからウォッカにありつけなかったメンバーが手酌する場面とかそういうミクロで芸細な演出は好きだったり。乱暴にまとめると色んな意味で問題作、ということでしょうか。私の観劇レポもたいがい色々問題ありな気もしてきました。(←)
海外からキャストを招聘して国内外合同キャストでコンサートではなくミュージカルを上演するスタイルに関しては個人的には大歓迎です。同じくラミンが出演した昨年の『ジーザス・クライスト=スーパー』はコンサート版と銘打ちながらも舞台公演と言っても差し支えないぐらいしっかり演出も振り付けもされていましたが、「In Concert」形式の上演を含めて今後も観たいです。特にミュージカルは日本語版の上映脚本だけじゃなくて訳詞を作るのにそれなりに時間がかかると思いますし、英語公演が増えれば輸入できる英語圏の新作ミュージカルの数、スピードもだいぶ変わってくると思うので。英語公演を日本で演る際に一つ提言したいのは、日本語字幕だけではなく英語字幕もつけること。ソロは問題なく聞き取りできても重唱となるとそれが難しい場合も多いので、初見の作品ではオリジナルの歌詞を知りたい海外ミュージカルファンも結構多いんじゃないかなと思います。主催の梅田芸術劇場さんは海外招聘モノの面白い公演に色々と取り組んでいらっしゃるので、今後もこういった公演に期待したいと思っています。