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劇場に行くためにどこでもドアが欲しいミュージカルオタクの観劇記録と観るためのあれこれ

【観劇レポ】ミュージカル『インタビュー』 (인터뷰, Interview) @ TOM Theatre, Seoul《2017.6.10ソワレ, 2017.7.9マチネ》

2017/6/10 ソワレ、2017/7/9 マチネの『インタビュー』キャスト

 今年の3月の来日公演がとても強く印象に残った韓国オリジナルミュージカルの『インタビュー』(인터뷰, Interview)。本国韓国での2017年の公演ラインナップに入っている時点で観たいと思っていたのですが、来日版を観劇し、今年の再演でキャスティングされた俳優様たちのリストに気になる名前を見つけて、さらに観に行きたい気持ちが募ったというのは来日版のレポートでも書いた通り。そんな気になる俳優様たちの中で、今回の公演のニューフェイスの中で一番「観たい!」と思ったのは、『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』、『アランガ』などの作品でその圧倒的な演技力で魅せてくれた演劇派俳優のカン・ピルソクさん。再キャスティングメンバーの中で一番気になったのは、周りのテハンノ作品好きの韓ミュペンのみなさまから大プッシュされていて気になっていたキム・ギョンスさん。第一弾のキャスト組み合わが発表するや否やピルソクさんのユージン先生とギョンスさんのシンクレアの組み合わせを最優先して渡韓スケジュールを決めたのが6月の渡韓。

 さらに今回の再演から入った演出変更。大筋のストーリーは大きく変わらないものの、作品を観る視点がかなり変わってくる大きな設定変更に、「これはまたこの組み合わせでもう1回観なくては!」と強く思ったところに、タイミングよく7月の渡韓の空いている枠でこのペアのおかわりができることが判明。そんな経緯があり、2回の渡韓に分かれて連続でほぼ同じキャストで『インタビュー』を観劇することになったので、2つの公演の感想を併せて今回のレポを書きたいと思います。私が観た2公演のキャストは下記の通り、

[2017.6.10 ソワレ]
 ユージン・キム (유진 킴) : カン・ピルソク さん
 シンクレア・ゴードン (싱클레어 고든) : キム・ギョンス さん
 ジョアン・シニアー (조안 시니어) :  キム・ジュヨン さん

[2017.7.9 マチネ]
 ユージン・キム (유진 킴)
: カン・ピルソク さん
 シンクレア・ゴードン (싱클레어 고든) : キム・ギョンス さん
 ジョアン・シニアー (조안 시니어) :  キム・ダヘ さん

でした。

  ざっくりと2公演の感想を先に書いてしまうと、初めて観るギョンスさんの圧倒的な演技力と人格の演じ分けに目が離せずに見入ったのが6月の公演で、演出変更を受けて物語の見方が完全に変わり、ピルソクさんが演じるユージン先生の表情をついつい覗き見てしまい、先生とシンクレアの迫真の演技のぶつかり合いに固唾を飲みながら見入ったのが7月の公演でした。ミュージカルのあらすじは来日版のレポで書いているので今回は割愛させていただき、今回の演出変更中心にいきなりネタバレ全開でいきたいと思うのでご注意ください。妄想が暴走して無駄に長いので、それもご注意を…。

(以下、ネタバレありですのでご注意ください。)

 

 新演出での1回目の観劇は大筋のストーリーが変わっているわけではないので、細かい部分での演出変更に少しずつひっかかりながらもあくまで解離性同一性障害(いわゆる多重人格)であるマットの物語としてずっと観ていました。解離性同一性障害の患者の多くがそうであるように、幼い頃に虐待を受けて解離障害になったマットの半生を解き明かしていく、被害者としてのマットの物語。なので、序盤の 「서툰 아름다움」 (不器用な美しさ) が、今回の演出から別のやや短めの曲に差し変わっていても、「まあ、確かにあの曲はメロディが綺麗だけど、蛇足感はあったよね。別にあそこで先生がシンクレア(マット)に自分の若い頃を重ねる描写とかいらないよね。」ぐらいにしか思っておらず。まさか先生に積極的にマットに感情移入できない理由があるなんて思ってもみなかったのです。

 話はシンクレアに戻って、すごく演技の上手な役者さんだと聞いていてすごく楽しみにしていたギョンスさんのシンクレアですが、百聞は一見に如かず。人格が入れ替わるたびに、身長とか体格、骨格まで変わったように見えて、本当にすごい俳優さんだと感嘆せずにいられませんでした。ジミーのときのくわえ煙草のまま喋って煙草の灰を撒き散らすガラの悪さと、ませた少女ながら、ジョアンの影には本気に怯えておどおどと逃げ惑うアンを同じ人が演っているなんて到底信じられません。物語の終盤に眠っていたマットの人格が目を覚ます前に中の人格が次々に表に現れては消えるシーンがあるのですが、このシーンでは人格が入れ替わるたびにマットの体を照らす照明の色が変わって、今どの人格が表に出ているのかを表現する演出がありました。2回目の観劇ではこの照明の演出がなくなっていて。この演出結構好きだったのでそれが見れなかったのは残念だったのですが、ギョンスさんの演技は別に照明の色がなくてもどの人格なのかがはっきりわかるので、改めてその凄さを実感しました。アンの人格が表に出てくるときの高速でアンとウッディの人格が入れ替わる演技もすごい。本当にどの人格の演技も素晴らしいんですけど、個人的には、ノーネイムが表に出てきているときのどことなくセクシーで妖しい雰囲気が好きです。一見落ち着いていて穏やかだけど、マットの人格の中で一番狂気を孕んでいる人格であることが感じられて。自分の語った物語の中に没入してしまうマットの危うさの演技もすごく良かったです。ジョアンに対する思いもすごく思い詰めたものを感じて、見ていて痛々しくて、本当に胸がギュッとしめつけられました。「인형의 죽음」 (人形の死) の悲痛な魂の叫び、繰り返される

타오른다 없어진다
燃え上がる なくなる
모든 것이 사라진다
すべてが消え去る

の歌詞にはただただ涙。

 解離性同一性障害をもつ人の人格はそれぞれが役割を負っていることが多いと知った後は、マット以外のジミー、ウッディ、アン、ノーネイムのそれぞれがどんな役割を担っていたんだろうと考えてしまいます。ウッディは幼いマットがそのままの年をとらずに存在している人格で、アンはマットが姉に求めた姿を映した人格で、ジョアンに対して密かに抱いていた恐れや嫌悪感を担っている人格なのかなぁとか。ジミーは義理の父親の暴力に対抗するために生まれた人格なのかな、とか。ギョンスさんが演じるジミーにはそことなくジョアンへの鬱屈した愛憎が感じられて、それもゾクゾクしました。ある意味ジョアンを守るために生まれたジミーの人格なのに、ジョアンは自分に対して異物を見るように怯えるばかりで苛立ちが募る…みたいな。ちょっと妄想が過ぎてますかね^^;そして調整者のノーネイム。一番理性的なように見えて、主人格であるマットが生き延びるためには手段を問わない残酷さを隠し持った人格。それでいてノーネイムは一番マットに近いというか、マットの影のような人格なんだろうなと思います。何が言いたいかというと、こういう物語の背景を妄想せずにいられない説得力のある演技のギョンスさんすごい。

 序盤の 「서툰 아름다움」 (不器用な美しさ) の曲変更を除くと、後半に集中している2017年公演からの演出変更。その一連の変更の発端がマットの過去とジョアンの死の真相が判明した後のノーネイムとユージン先生の会話です。先生がノーネイムに対して、「何故またジョアンのように女性たちを殺したのか?」と聞いた後に、ノーネイムが「殺された女性たち」と言ったことに過敏に反応するユージン先生。「殺された女性たち」と簡単にくくられた女性たちにも名前があり、それぞれの人生があったと。殺された女性たちの写真と名前が書かれた紙の束を持って、名前を一人ずつ読み上げては紙を床に散らしていく先生。泣きながら、それでもノーネイムを大声で恫喝し、ただならぬ気迫迫った雰囲気のピルソクさんの先生に圧倒されました。6月の観劇のときは、最後の一人だけ「レイチェル」、とファーストネームだけしか呼ばれず。7月の観劇のときは、最後の一枚は読み上げることも紙を散らすこともできずに、深くうなだれたピルソクさんの先生はそのままノーネイムに紙を乱暴にひったくられ、ノーネイムに挑戦的に顔を覗き込まれます。

 ここで張られた伏線が回収されるのは、物語の終盤も終盤、マットの裁判中の「精神科学者」ユージン・キム先生への審問の後のシーン。次の審議の日取りを伝えて、その日の審議が終了した後に先生は裁判官とおぼしき声に呼び止められます。

率直な質問ですが、マット・シニアーは先生のお嬢様レイチェル・キムの殺人犯です。本当に続けて治療が可能なのですか?

(※ヒアリング力不足により少々妄想で補完されています)

 実は私、6月の観劇ではこの衝撃的で超重要な台詞をちゃんと聞き取れていなくて、「あれ、先生 「유서 (Reprise)」は歌わないの?なんで??結構楽しみにしてたのに…」とモヤモヤしていました(汗)先生が読み上げた女性たちの名前の最後の一人が「レイチェル」と名前だけなので「もしかして身内なのかな?」という考えが頭を過ぎったくせに、何故ここを聞き逃すんだと自分を問い詰めたい気分ですが過ぎ去った過去は戻らず…。今回の演出変更から追加された先生の設定が明かされる大どんでん返しの真相を知った直後に思ったのは、「もう1回最初から観ないと!」です。運良く推しのコンサートに合わせた渡韓でピルソク&ギョンスペアがまた観れて本当に良かった!

 真相を知った後だと、序盤の一見何気なく言っているように聞こえる 「내 안의 괴물」 (僕の中の怪物) 中の先生の歌う歌詞も全然違って聞こえます。

하나의 지정한 자아란 게 있을 수 있을까
一つの純粋な自我とういうものがあるのだろうか
영원히 변치 않은 본질적인 자아
永遠に変わらない本質的な自我
영원히 나로만 존재할 수 있을까
永遠に私だけが存在することができるだろうか

내 안의 어린 아이
私の中の幼い子供
내 안의 불만투성이
私の中の不満だらけの私
내 안의 광대
私の中の舞台役者
내 안의 예술가
私の中の芸術家
내 안에 너무 많은 내가 존재해
私の中にあまりにたくさんの私が存在する

 注目してみると、ここでのピルソクさんの先生はどこか瞳が揺らいでいて。ここでもソク様の先生は「患者を治療する医者」としての自分と、「自分の娘を殺した犯人を糾弾したい父親」としての自分を意識して葛藤しているんだなぁ、と考えると涙を流さずにいれません。舞台の一番最初の映写機でブラインドに投影された写真を先生が眺めている場面でも、二度ほど先生がずっと下を見て俯いているときがあって。特に長いこと写真が映し出されている、アジア人っぽい目を見開いたまま亡くなっている女性の写真はレイチェルの写真なのかなぁ、と。そんな感じで7月の観劇では色々と先生に対して妄想が止まらない感じになっていました。

 そもそも『インタビュー』のキャストが発表されたときに、演技の切り替えの素晴らしいピルソクさんがシンクレア役ではなく、ユージン・キム役でキャスティングされていることが意外でした。(まあ、お年は確かにシンクレアの設定年齢から離れていますが…スヨンさん、ジェボムさん、ジフンさんがシンクレア役にキャスティングされるならソク様も余裕かと。四人とも多分私とは違う時空の流れで生きているに違いない…。)雑誌のインタビューで、シンクレア役を演じたいと考えていたけど、今回の演出変更を活かすためには、シンクレアを導くユージン先生が重要だと考えて、先生役を引き受けることに決めたと話されていたそうです。なんかもう、本当にさすがソク様だなぁと。

 真相を知った後の観劇だからなのか、一ヶ月の間にピルソクさんの演技の方向性が変わったからなのかは判然としませんが、注目して観ていると、ソク様の先生はマットのそれぞれの人格に相対するときの態度をわりと明確に使い分けているように感じました。「医者」としてのユージン・キムが優先される人格と、「父親」としてのユージン・キムが頭を覗かせる人格と。それはそのまま、先生が「レイチェルを殺した犯人の人格」として疑っている度合いと比例しているようで。対ウッディやアンだと、すごく優しいユージン先生。対ジミーだと、何度か治療の中で対面を果たしているせいか、一緒にガラが悪くなる対応のテキトーさは感じつつも「多分コイツではない」と思っていそうな気が。一番アンビバレントな感情を抱いているのは、やっぱり主人格のマットに対してかな。

 件の裁判の審議の後の場面ですが、最初に観たときのピルソクさんの先生は、眉間にしわを寄せて長い沈黙の間も無神経な質問をした裁判官を睨めつけるような演技だったのですが、1ヶ月後の観劇のときは長い沈黙はそのまま、すごく悲しげに、揺れる瞳でわずかに微笑んでいて。その表情があまりにも悲しげで優しくて、もう私は泣くしか…。その後の、ゆっくりゆっくりと先生が書斎を片付ける場面も含めて悲しい余韻が本当に堪りませんでした。

 さて、ピルソクさんとギョンスさんの演技について熱く語りすぎて完全にお留守になっていたジョアンの二人の女優さんに対する感想ですが…。ジュヨンさんのジョアンが幼い残酷さと狂気を感じるジョアンなら、ダヘさんのジョアンは少女の頃から大人びていて強かな女性の打算と冷たさを感じるジョアンでした。ジュヨンさんのジョアンはちらつく狂気を感じずにいられないのですが、ダヘさんのジョアンは心を殺していて奥底はとても冷静な印象。かなりタイプの違ったジョアンでどちらも良かったのですが、個人的にはジュヨンさんのジョアンがかなり好きです。なんというか、ジュヨンさんのジョアンは幼くて残酷で移り気だけど、マットを捨てることにするまではかなり歪んではいても曲がりなりにもマットへの愛情を感じられたので、より悲劇性が増す気がして。それこそお人形さんのように可愛いのに、幼いジョアンのときの演技では口を大きく開けて雨を飲み干そうとするアホの子の顔がためらいなくできるのも好きです(笑)赤ちゃんのマットに対して、「お前なんか死んでしまえばいいのに!」と言った直後にそれを後悔して泣きそうな顔で必死にマットをあやそうとする演技とかもすごく良くて。かと思えば、気に入らないことがあるとすぐ怒ってマットに手を上げようとするときの目が、未遂でも本気で据わっていてゾクリとしたりとか。ああいう表情を見た後だと、ジョアンが無邪気に歌う

앤, 내 친구
アン、私の友達

のメロディもホラーじみています。「애너벨 리」 (アナベル・リー) で無邪気にマットとじゃれあっていた後に一転してマットを誘う目の熱っぽさと妖しさは到底正気には見えなくて、そこにもゾクリ。来日公演で観たときも思いましたが、彼女もすごく演技のうまい女優さんだと思います。

 演出変更前の来日公演を観たときも少し思ったのですが、今回『インタビュー』の感想を改めてまとめてみて思ったのは、ジミーが苛立ち、ウッディが顔色を窺い、アンが怯え、ノーネイムが冷静に見つめ、マットが愛した「ジョアン」もウィンダミアの事件の後にマットの中に生まれた表出していない彼の人格の一つなのかもしれないな、ということです。彼女が負っている役目はマットがジョアンを手にかけたことを忘れないことなんじゃないかな、と。マット自身は生きていくためにその記憶を手放すことを強いられたけど、そのことを忘れることを許すことができないマット自身がジョアンの姿となってマットを責め続けている。そう考えると、マットがオフィーリア殺人犯になった理由に説明がつくような気がするのです。レイチェルたちを殺したのは主人格であるマットだけど、それは彼の中にあの日に焼きついたジョアンでもある。それは過酷な境遇を背負った悲しい二人の悲しい負の連鎖の象徴なのかなぁと。

 そして、その悲しくて忌まわしい負の連鎖を断ち切るためのキーパーソンがユージン・キム先生なんだろうな、とも思います。ユージン先生自身に「娘を殺害された父親」という悲しい過去の設定と葛藤を与えることによって、負の連鎖を断ち切ることの難しさと、だからと言って立ち止まっていられないという作品のメッセージが強くなった気がします。6月に観たときには演出変更の意図を消化しきれずにモヤモヤしてしまったのですが、改めて観てみると、今回の演出変更によって観客に「爪痕」を残す作品になっていて、「『インタビュー』は本来こうあるべきだったんだ」、と胸が痛みながらもすっきりした気持ちで劇場を後にすることができました。こう思えたのも、ピルソクさんの先生の儚くて悲しい笑顔がすごく大きかったと思います。

 しかし、「今回はソク様の先生をガン見するぞ!」と意気込んでのぞんだ7月の観劇だったのですが、それでもやっぱりついつい見ちゃうんですよね、ギョンスさんのシンクレアを。そんなピルソクさんとギョンスさんの組み合わせは、お互いの細かい演技の相乗効果がすごくよかったし、歌声の相性もすごく良くて。思ったほどいろんなキャストでこの作品を観ることができなかったのは残念なんですが、ピルソクさんとギョンスさんの組み合わせで2回も観れたことは本当に良かったと心から思います。