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【観劇レポ】ミュージカル『ファン・ホーム』(FUN HOME) @ Theatre Creation, Tokyo《2018.2.17ソワレ》

ミュージカル『ファン・ホーム』ポスタービジュアル

 2018年2月17日、日比谷シアター・クリエでミュージカル『ファン・ホーム』(FUN HOME) を観てきました。国内でのミュージカルの観劇はこの作品が今年の観劇初め。この作品に関しては、チケットを購入する前から「きっと素敵な観劇体験になるに違いない」という予感にワクワクていたのですが、その期待を裏切らない本当に素晴らしい観劇初めになりました。

 終演のアナウンスが流れて席を立って移動しようとした瞬間にまたブワッと涙がこみあげてきてしまい、立ち止まって鞄からタオルを取り出さないといけなくなる始末。自分が少なからず親の影響を、特に父からの影響を大きく受けて育ってきて、それが今の自分のアイデンティティにつながっていることを自認する私にとっては、本当に色んなことが訴えてくる作品でした。

 幼少期のアリソン、アリソンの弟たちのクリスチャンとジョン以外のキャストのみなさんはシングルキャストですが、私が観たときのキャストは以下の通りです。

 アリソン (現在) : 瀬奈じゅんさん
 ブルース : 吉原光夫さん
 アリソン (大学生時代) : 大原櫻子さん
 ヘレン : 紺野まひるさん
 ロイ : 上口耕平さん
 ジョーン : 横田美紀さん
 アリソン (小学生時代) : 笠井日向さん
 クリスチャン : 楢原嵩琉さん
 ジョン : 阿部稜平さん

「ある家族の悲喜劇」

父も私も、同じペンシルバニアの小さな町で育った。
そして父はゲイだった。
そして私はレズビアンだった。
そして父は自殺した。
そして私は・・・レズビアンの漫画家になった。

ー劇中の43歳のアリソンのモノローグより

  ポスターにも書いてある通り、2015年にトニー賞作品賞を受賞した『ファン・ホーム』は原作であり、本作の主人公でもあるアリソン・ベクデルの自伝的漫画と同様に「ある家族の悲喜劇」(A Family Tragicomic) というサブタイトルが付いています。

Fun Home: A Family Tragicomic

Fun Home: A Family Tragicomic

 

 先ほど紹介したアリソンのモノローグにある通り、この物語の主人公のアリソンと彼女の父であるブルースはセクシャル・マイノリティです。それが二人のアイデンティティの中の大きな要素なので、彼女たちの物語を語る上では避けては通れないポイントではあるのですが、見方を変えるとそれ自体はアリソンとブルースという二人の人間が持つ共通項の一つにしかすぎず、作品のサブタイトルの通り、父と娘、家族の物語でもあるように私は感じました。

 実は私、原作の漫画を原語で読んでいて、まだブロードウェイで観れるタイミングでニューヨークに遠征していたのにも関わらず、結局この作品を観なかったのですよね。今になってそれをとても後悔しています...。ブロードウェイで『ファン・ホーム』が上演された The Circle in the Square の劇場ではスケートリンクのように舞台の四方を囲む形で客席が配置されていましたが、今回は舞台が正面にありその後ろに客席があるオーソドックスな形式の劇場であるシアター・クリエでの上演。劇場の作りからしてかなり違うので、両者を比べて観ることができたならまた違った面白さがあっただろうなぁと思う反面、昨日観た公演が本当に素晴らしかったので、まっさらな状態で今回観劇できて良かったとも思ったり。まだまだ日本での観劇回数<<海外での観劇回数な上に、ミュージカルしかほとんど観ない私にとっては、小川絵梨子さん演出作品は初めてだったのですが、早くもファンになりそうな予感がしています。

 原作を読み終わったときには、この物語がどうやったらミュージカルになるのか想像もつかなかったのですが、実際に観てみて、原作の重要なエッセンスと空気感を取り入れながらもミュージカル『ファン・ホーム』はまた別の形で語られるアリソンの成長と家族の物語になっていて。とても100分一幕ものの作品とは思えないような濃密な時間を体験できるリサ・クロン (Lisa Kron) さんの脚本の秀逸さには脱帽です。原作のラストはミュージカルとはまたちょっと違うのですが、同じくらい素敵なので興味を持った方はぜひ。電子書籍版は英語のみのようですが、紙媒体のものは日本語に訳出されたものが去年の年末に新装版として売り出されているようです。

 いざ物語の中身に関して具体的な感想を書き始めようとすると、個人的な話にも触れずに書くのは難しいので、何から書けばいいのか本当に悩んでしまうのですが...。

(以下、ネタバレが多く含まれるのでご注意ください。)

 

「私、あなたがわかる」と感じる物語

 茫漠と過ごしていた少女時代、つまらないことをきっかけに喧嘩を始める両親を見ながら、「大人と言えど、親は完璧ではない」ということは認識しながらも、本当の意味で大人たちがどんなことに折り合いを付けながら日々を生きているかについては圧倒的に想像力が足りなかったな、と今なら思います。実際にそれについてリアリティと実感を持って想像ができるようになったのはそんなに昔のことではないな、とも。

 女三人姉妹の長女として生まれた私は、きょうだいの中に男の子がいたらきっとその子に寄せられていたんだろうなぁと思う一種の長男的な期待を父から受けて育ったと思っています。実際のところ、私には妹しかいないので、男兄弟がいたらどうだったのかは知りようがないのですが。

 この記事の冒頭でも触れた通り、父からの影響が今の自分の大きな構成要素の一つだと感じている私にとってはアリソンは他人のように感じられません。私と父は似ている。でも全然違う。「Ring of Keys」中の幼いアリソンの発見とはまた違いますが、私もアリソンに

私、あなたがわかる

と思ったのです。アリソンと私も似ている。でも全然違う。父とブルースもどこか似ている。でも全然違う。でも私はあなたたちをよく知っているような気がする。

 この作品がトニー賞の作品賞を受賞していることを考えると、これは多分は私だけが感じとり体験したことではないのでしょう。親の下で育った子供にとっては、多分自分たちが思っている以上に親の影響力は大きい。でも同時に、反対のことも言えるのだと思います。

 自分が自分であるために必要な大切な部分。自分しか知らないその大切な部分。それが受け入れて貰えるのかを知るのが怖い。これは大人になったからといって、簡単になくなるものではありません。とりわけ、それがきっと受け入れて貰えないし、そのことに自分は耐えられないだろうと思っている人たちにとっては。

 アリソンにとっての一番の悲劇は、おそらく、彼女にとっての自身の解放の始まりがブルースが守り続け、秘匿し続けたものの崩壊の始まりだったこと。父をめぐる記憶を的確に表現する言葉を整理する中で、父の死に対しては

私は、ひとりぼっちになった

という言葉がこぼれ落ちてしまうくらい父の存在を身近に感じていたアリソンにとって、「自分のせいで父は自死を選んだのかもしれない」という思いを抱え続けて生きること、それに正面から向き合うことはどれだけのことかと思うと胸が潰れそうになります。終盤に、大学時代のアリソンから今のアリソンへと視点が切り替えられて歌われる「Telephone Wireにも、自分の選択したことと、それがもたらす結果を見つめることに対する恐怖と、それでも何かをしなくてはと思うヒリヒリとした気持ちがとてもわかりやすく表現されていて。実際のところ、交通事故で亡くなったブルースの死が自ら選んだものだったのかどうかはわかりません。でも少なくともアリソンは父が自殺したことは疑っていないのです。

 そういう意味で、『ファン・ホーム』は父と娘、家族の物語であると同時に、戻らない時間、刻まれた記憶に対してどのように向き合って、自分の中で納得をつけて、それを乗り越えていくのかというお話でもあり。舞台のラストで

父の上で飛んだ時、時々完璧なバランスが取れた瞬間があった

と過去を振り返れるようになった大人のアリソンは父の死があり、それを背負って生きることを決めたからこそ、強くて優しい素敵な人なのだろうなぁと思い、彼女の強さが眩しく感じるのです。

魅力的なキャスト

 『ファン・ホーム』の登場人物を演じるキャストのみなさんは、ブルース役の吉原さん以外はみなさん初めましての役者さんばっかりだったのですが、みなさん本当に素敵で。

 どこかジャクソン・ファイブの楽曲を彷彿とさせる架空の葬儀社のCMソングの「Come to the Fun Home」でのダンスと歌のパフォーマンスがとてもキュートなクリスチャン役の楢原嵩琉さんとジョン役の阿部稜平さんはただただ可愛らしく。

 瀬奈じゅんさんのアリソンは若い日々の自分も見つめる楽しそうで少し恥ずかしそうな優しい表情と、対照的に複雑で苦しそうな表情で過去を見つめる視線がとても印象的で。舞台の端から思い出を見つめていることが多い大人のアリソンですが、気がついたらついつい彼女の表情を探っていました。

 大学時代のアリソンを演じる大原櫻子さんは感受性豊かながらも、自分自身にいまひとつ自信が持てずに揺れ動く感情が瑞々しく感じるアリソン。ジョーンがかわいいと思うのも頷ける初々しさを感じるアリソンでした。

 そんなアリソンの初めての恋人となったジョーンを演じる横田美紀さんも、自信に溢れる姿がとても眩しく魅力的で。思わせぶりな視線でアリソンを誘惑する艶やかな表情には私もドキッとしてしまいました。

 ブルースの元教え子であり、秘密の恋人のロイを演じる上口耕平さんもロイの表の顔の屈託のない好青年っぷりと、裏の顔としてみせる蠱惑的な表情のギャップが印象に残っています。

 そんなロイや、それ以外にも幾度と感じるゲイの夫の愛人たちの影に表情が強張りながらも、「理想的で幸せな家庭」で暮らしているという虚構に必死にしがみつこうとするヘレンを演じる紺野まひるさんも、その痛みがヒリヒリと胸に迫ってくる演技が心に残りました。

 キャスティングが発表された時には、それまで拝見した舞台の役柄からはどんな雰囲気になるのか想像もつかなかった吉原さんのブルースは、びっくりするぐらいすんなりと「芸術と文学を愛し、それに傾倒する厳格な父ながらも、自己矛盾を抱えながら生きている一人の人間」役のイメージにはまる演技で。トニー賞の主演男優賞を受賞したマイケル・セルベリスさんや原作で描かれているブルースとはまた少し違った雰囲気を感じるブルースですが、吉原さんの演技の魅力の新たな一面を発見したような気分です。

 でも一番驚かされたのは、小学生のアリソン役の笠井日向さんの演技力かもしれません。幼いながらも色んなことを感じ取りながらアリソンがペンシルバニアの田舎町で育ったことが胸に迫ってくる説得力。アリソンが「彼女」と自分自身の一端を発見した瞬間を表現する「Ring of Keys」はやっぱり、作中でも特に印象に残るナンバーです。

「おいでよ、ファン・ホーム」

 また来週にもこの作品を観劇するのですが、一度、こうやって感じたことを書き出してみてからの観劇ではどのように感じるのか。来週の観劇も楽しみです。

 『ファン・ホーム』はシアター・クリエでは2月26日(月)まで。その後3月3日(土)、3月4日(日)に兵庫県立芸術文化センター、3月10日(土)に愛知・日本特殊陶業市民会館での公演が予定されています。

 私の文章じゃ作品の魅力の1割も伝わらないと思いますが、観に行くかどうか迷っている方がいらっしゃればぜひ。


『FUN HOME』プロモーション映像