Sparks inside of me

劇場に行くためにどこでもドアが欲しいミュージカルオタクの観劇記録と観るためのあれこれ

【観劇レポ】ミュージカル『インタビュー』(인터뷰, Interview) @ Dream Art Center, Seoul《2018.9.29ソワレ》

ミュージカル『インタビュー』2018.9.29キャスト

 最終的に今季9回観た韓国創作ミュージカルの『インタビュー』(인터뷰, Interview) 。とても好きな作品ですが、「何回も観すぎてもうこの作品に対しては涙は枯れてしまったかな」と思っていたりもしました。私にとって今季ラストとなった千秋楽前日の『インタビュー』の公演。本当に素晴らしく、久しぶりに流れ出てくる涙をぬぐいながら観劇になりました。今回も公演の記憶を留めておくための備忘録的レポで、やたらと細かくて長いです。出演されていた俳優さんたちのマッコン1でもあった2018年9月29日ソワレの回。キャストのみなさまは下記の方々です。

 ユジン・キム : パク・ウンソクさん
 シンクレア・ゴードン : キム・ギョンスさん
 ジョアン・シニアー : チェ・ムンジョンさん

 実は9月16日のソワレにも全く同じ俳優さんたちの組み合わせで観ています。その日の公演もとてもよかったのですが、今回の公演は同じキャストなのにまた全然違った印象。さらにウンソクさんのユジン先生とギョンスさんのシンクレアの組み合わせに関して言うと、9月8日のソワレに観てから3回目。今季の『インタビュー』は4人のユジン先生、3人のシンクレアで観ることができたのですが、その中でも一番好きだったウンソクさんの先生とギョンスさんのシンクレアの組み合わせ。この組み合わせで一番多く観ることができて、最後もこの二人の組み合わせで締めることができてあらためて幸せだったなぁと思います。

 今まで書いた今季の『インタビュー』の観劇レポはこちら。

2018.7.29 マチネとソワレ theatre-goer.hatenablog.com 2018.8.25 マチネ theatre-goer.hatenablog.com 2018.8.25 ソワレ theatre-goer.hatenablog.com  


in・ter・view /ínṭɚvjùː/

  1. (公式の)会見、会談;〔就職などの/人との〕面接、面談;(医者の)診察
  2. 記者などの)インタビュー、取材訪問、聞きこみ捜査
  3. 訪問[会見]記事

感想

 今回は各場面ごとの印象とその場面で登場する「人物」たちについて思うことを書いてみたいと思います。各場面の名称は今年発売された『インタビュー』の台本から。私の韓国語力不足によって誤って解釈している部分もあるかもしれませんが、そこはご容赦ください。

(以下、ほぼネタバレしかないのでご注意ください)

一場:インタビューの開始 (인터뷰의 시작)

 「必ず明らかにするから自分にもう少し時間を与えて欲しい」と言って電話を切った後、深くため息をついから「オフィーリア殺人犯」が獄中で書いた遺書を机の上から拾い上げてそれを読み上げるユジン先生。「遺書」(유서) はその内容を歌に乗せたナンバーなのですが、この日のウンソク先生は丁寧に少し抑え気味に歌い上げていて曲の哀愁漂う雰囲気と相まって、なんだかそれだけで目の奥がツンと痛んだのが印象に残っています。ノートパソコンを閉じて、強い意志を感じる目線で先生が「開始」の合図を送った後に続く三度のチャイムの音とシンクレアが戸口を叩くノックの音。しっかりと時間を取り、腕まくりをしてからドアの方に向かうウンソク先生。ゆっくりと仕事モードへと集中しているように感じました。笑顔でシンクレアに手を差し出して握手を求めるウンソクさんの先生。ギョンスさんのシンクレアはそれにかなり戸惑ったようなぎこちない表情でそれに恐る恐る応じます。

 「シンクレア・ゴードン」を名乗るギョンスさんのマットは、いつも共通してどこか壊れてしまいそうな繊細さを感じるのですが、ウンソクさんのユジン先生との組み合わせの時にはよりそれを強く感じます。この日は、繊細さに加えてずっとマットを付きまとうような憂い、悲しみ、静かな怒りを強く感じたギョンスさんのシンクレア。「シンクレアの話」(싱클레어의 이야기) でノーネイムが一瞬姿をのぞかせるように感じる部分があるというのは以前書いたとおり。ノーネイムにウッディが出会う話の所、台本や歌詞カードでは「名前は何?」(이름이 뭐니?) となっているところがギョンスシンクレアはいつも「名前はないの?」(이름이 없어?) と聞いてノーネイムが「そうだよ」(그래) と答えていて、「いっしょに遊ぼうか?」(우리 같이 놀까?) という部分も「友達になろうか?」(우리 친구 할까?) になっています。無意識ながらもウッディはノーネイムの正体に気づいて友達になることを決めたことを感じさせるこの歌詞の違い。さらにこの日は

조그만 더 빨리 날 봐주지 그랬어
もう少しだけ早く 僕を見てくれたなら
조그만 더 빨리 날 안아주지 그랬어
もう少しだけ早く 僕を抱いてくれたなら

と歌うところでは今までになく強くウッディの存在を感じ、泣きながら母親の絵に血を描き足す五場のウッディが重なって見えました。

 母親の瞼を閉じてから、遺体の背に手を入れて押し出すような仕草をするシンクレア。これは、マットがジョアンを湖の水へと浮かべる姿を彷彿させました。

 「僕の話は異常でしょうか?」と暗い声でいい、「先生の中にもいるんですね、『私の中の怪物』(내 안의 괴물) ?」とユジンに問いかけるシンクレア。それに対して、「そうだね」とまるで言うように穏やかな微笑みをたたえた表情でシンクレアに頷くユジン先生。物語に登場する人物たちの名前について聞かれて、記憶の断線に困惑するシンクレアに対して、気分を変えるように「物語を作るのは楽しいか?」と明るく話題を変える先生。こうやって細かい表情や仕草の端々に先生の優しさが滲み出ているところがウンソクさんの先生のすごく好きなポイントです。

그 괴물들에게도 인혁이 있을까요
その怪物たちにも人格があるのでしょうか

とシンクレアが呟く言葉。ここでも一瞬ノーネイムの人格が表出しているように妙に冷静で落ち着いた声色で。

二場:ジョアンの死 (조안의 죽음)

 『人形の死』の単行本にユジンのサインを貰った後、「オフィーリア殺人犯」についてどう思うかをユジンに尋ねるシンクレア。ギョンスさんのシンクレアは強張った表情で「オフィーリア殺人犯は実は先生じゃないですか」とユジンに言った後、大きく息を吐いてやっと重荷を降ろしたような安堵の表情を浮かべます。「シンクレアの攻撃」(싱클레어의 공격) に繋がっていくユジンとシンクレアのやり取りの中では、静かに怒り、憎しみ、悲しみの炎を燃やしているような印象を受けたギョンスさんのシンクレア。揺れる瞳と悔しさに耐えるように抑えていた声のトーンがかえってシンクレアの痛み、悲しみを際立たせているように感じられてとても胸が詰まりました。

三場:マット・シニアー (맷 시니어)

 「マット・シニアー」と名乗り、10年前にウィンダミアで起きた殺人事件の被害者であるジョアン・シニアーの弟であることを明かし、「お久しぶりです、本当のシンクレア・ゴードンさん」と挨拶するシンクレア改めマット。そして、自身の裡に棲む「また違う自分」が不意に顔を現し、『インタビュー』のタイトルアートのイラストのように「マット」という主人格の輪郭がぶれてぼやける瞬間を度々感じたこの日のギョンスさんマット。彼が本名を名乗った後のマットは、ジミーに近いマットの人格の欠片が浮上しているように感じることがありました。それを一番感じたのは、ジャケットの裾を押しのけてジーンズの両腰のポケットに手を突っ込んでユジン先生の顔を挑戦的に下から覗き込んだ時の仕草と表情。

 ジョアンの話」(조안의 이야기) の曲中でマットの記憶の中の姿として初めて舞台の上に登場するジョアン。ムンジョンさんが演じるジョアンはとても幼い少女のイメージ。

사랑 중 사랑으로 사랑할
愛の中 愛により 愛する

の歌詞の部分で胸に両手を当てて、円を描くような仕草をジョアンとマットが向かい合ってする部分。ギョンスさんのマットはジョアンと同じように両手を胸に当てつつも辛そうな表情で手で円を描かずに呆然と佇んでいることが多かったのですが、この日は手の動きをジョアンとシンクロさせていたことが印象に残りました。これが後の伏線になっているとはこの時はつゆ知らず...。

 シンクレアの名前と『人形の死』の草稿が書かれたノートをマットが所持している矛盾を指摘するウンソクさんのユジン先生は、事実解明のための核心に迫りつつあることに少し熱くなりつつもやっぱりあくまで「先生」で。真剣な眼差しでマットの表情の変化を見逃さないように注視しながらシンクレアが犯人では有りえないことを説明するその姿は、荒療治になることを理解しながらも分断されたマットの記憶の欠片をつなぎ合わせるために敢えてそうしているように感じました。

四場:ジミー (지미)

 10年間姉の死をもたらした真犯人だと信じて追い続けた「シンクレア・ゴードン」がジョアンと同時期に死んでいたことがわかり、その事実をうまく処理しきれずに錯乱状態になるマット。取り乱すマットの肩を掴んで、「しっかりしろ」と呼びかけるユジン。ユジンから顔を背け、目を瞑って頭を抱えていたマットが急に振り返った瞬間。まるで空気が入れ替わる音が聞こえるような一瞬の後、目を見開いてユジンを押しのけて発せられる

그만해 씨발 새끼야
やめろ、クソ野郎

の言葉。ジミーの登場です。この日のギョンスジミーは今まで観た中で一番暴力的で、なんども「やめろ」と言いながら先生を押しのけた上に脱いだジャケットを先生に叩きつけて、床に落ちたジャケットをそのまま器用に蹴り上げて先生の机が設置されている下手側に飛ばしていました。その目つきは絶対に視線を合わせてはいけないと思わせるような据わりよう。粗暴でスイッチが入ると何をしでかすかわからないジミーですが、スイッチが入っていない時はどちらかというと気怠げで鷹揚に構えているのがギョンスさんのジミー。いつ豹変するかわからないことにビクビクする相手の姿をせせら嗤い、楽しんでいるようにも感じます。ウンソク先生はそんなジミーにも果敢に事実解明のために次々と質問を投げかけますが、急に声を荒げて接近してくるジミーの圧力に表情が強張るのは無理からぬことと思わせます。

 姉弟に暴力を振るって虐待し続けてきた継父の姿を映し、またその継父に対して対抗するために生まれたというのが私なりのギョンスさんのジミー像の解釈。ある意味ジョアンを守るために誕生したギョンスさんのジミーは、とても眩しいものを見るようにジョアンを眺めます。だけどそれはあくまでジョアンと直接対面していないときの話。普段のマットと別人の雰囲気、しかも継父に似た空気を発するジミーに怯えてマットに助けを求めるジミーの記憶の中のジョアン。苛立ちながら

아무것도 모르면서
何も知らないくせに

と発する言葉はジミーがあれこれ聞いてくるユジンに対する言葉だけではなく、怯えてマットを探す記憶の中のジョアンに対して、ジミーが彼女とマットのために引き受けた闇のことを指しているのかもしれないと思うのです。本当のシンクレア・ゴードンを殺害した実行犯はジミー。「マットが自ら目覚めた時はほっておくと決めただろう」と物語の終盤でノーネイムに詰め寄るジミー。ユジンに「なぜジョアンを殺した?」と聞かれたら「殺したのは俺じゃない」とはっきりと否定しながらも「ジョアンを殺したのは誰だ?」と聞かれても頑なに「俺は知らない」と声を荒げて突っぱねるジミー。もしかしたら、ジミーはマットの中の人格の中で誰よりもマットに共感しつつも誰よりもマット犯した罪を許せずに苦しんでいるのでは、という気がしてなりません。ノーネイムの干渉を何度も受けて本当に苦しそうにするジミー。マットはもしかしたらこれまでも何回も自殺未遂を繰り返してきたのかもしれない。ジミーは自ら死を選ぶことはできなくても、マットが死を選択することによって自分も死ねたらいいと考えているのかもしれない。そういったことがノーネイムに危険視されて、ジミーもマットと同じように一部の記憶を封じられ続けているのかもしれない。そんな痛みをこの日のギョンスさんのジミーから感じ取って、ジミー登場の場面で初めて泣いてしまいました。

五場:ウッディそしてアン (우디 그리고 앤)

 ジミーが苛立ちと苦しみを滲ませた叫び声をあげ、表に出ている人格がウッディに変わる前後、ウッディに寄り添うアンの姿を感じる瞬間があります。最初は雷鳴とともに雨が降りはじめた後、ジミーがテーブルの下に潜り込んだとき。左手で胸を優しくトントンと小刻みに叩く仕草はとてもジミーがする動作に思えません。この人格が入れ替わる前後の瞬間はどこまでがジミーでどこまでがウッディなのかが酷く曖昧ですが、ここはウッディを落ち着かせようとするアンの姿を彷彿とさせます。次は完全に人格がウッディに入れ替わった直後、通雨を浴びて、膝を抱えてうずくまるウッディを慰めるように頭を優しく撫でる右手。しかし、ジョアンがマット(ウッディ)の姿を見つけて「アン!」と一言声をかけた瞬間、アンはその手を引っ込めて隠れてしまいます。

 内気でとても気が弱い男の子のウッディ。そんなウッディが一生懸命アンのふりをして高い裏声で「子守歌 Rep.」(자장가 Rep.) を歌っている。ジョアンに抱きつかれられて褒められてもその表情はとても暗く、心細そうでいまにも泣きそうです。実際にジョアンに「今日はもう遊ばない」と言って姿を消す直前のジョアンの目が据わった表情とヒステリックな声とウッディの怯えよう。ユジン先生に優しく声を掛けられ、「姉さんはもう死んだから、怖がる必要ない」と言われても、「僕は何もしていない」と逆にしゃくりあげるように泣き始めてしまうギョンスウッディ。しゃくりあげて泣きながらも一心不乱に母親の絵を吹き出す血の色で塗りつぶし、その直後に泣きながら手を擦り合わせてアンに謝る姿を見ていると、幼い日のマットが両親だけではなくジョアンからも日常的に虐待を受けていて、それによって受けた心の傷があまりにも深いことを感じ、気がついたら私もウッディと同じように泣いていました。

 ウッディが「異常な想像をすること」にだけはとても厳しいアン。それはアンが幼いながらもマットの中の人格たちが繋がっていて、「想像」を「現実」にできてしまえることを理解していて、それを誰よりも恐れている部分が彼女の人格に表れているからだと思います。ジョアンが嫌いなアン。そのアンが怖がる「異常な想像」。ウッディに対しては気丈に厳しく接していたのに、ユジン先生と応対しているうちにウッディと同じように泣き出してしまうアン。アンはマットの中のどの人格よりもジョアンがいなくなってしまうことを望んでいて、そして誰よりもそれを恐れていたのかもしれません。「みんないなくなってしまえばいいのに」という思いをウッディとアンという双子の人格に分けて、その思いを必死に宥めすかすことによってマットが虐待を受けた幼い日々をなんとかやり過ごしてきたのだと思うと、本当に胸が痛くてしょうがありません。

六場:ノーネイム (노내임)

 迫り来るジョアンの姿にパニックになり、失神したアンと入れ違いに表に姿を現わすノーネイム。理知的、冷静で言葉遣いも丁寧だけど2温度を感じない冷たいノーネイム。私自身、独りで思索に没頭しているとき、俯瞰するような客観的な立場で冷静に自分を見つめている自分自身を感じることがあります。喜怒哀楽の感情に心が支配されていても冷めた視線で物事を見下ろしている自分自身。ノーネイムはマットの中のそういう部分が独立した人格になった存在なのでは、というのが私の解釈。

 ギョンスさんが演じるノーネイムの特徴はなんといっても人差し指を鼻と唇の前に立てて「静かに」と示すジェスチャー。その姿はかなり序盤から見られて、「シンクレアの話」 の中でのウッディとノーネイムの会話の中がまず最初。次がノーネイムがアンと入れ替わるタイミング。その次が「断ち切られた記憶」(끊어진 기억) でユジンに問われてマットの記憶の問題について話し始めようとする前。これは、ユジンにあれこれと話すことをアンやジミーあたりに反対されたのを押さえ込んでいたのかもしれません。「맷의 이야기」(マットの話) を聞いて、「ジョアンとシンクレアを殺したのは誰だ」と感情が昂ぶったユジンに肩を掴まれたときもこのジェスチャーで先生を制するノーネイム。感情を揺らして不安定になることがノーネイムが最も忌避することなのだと思います。

七場:きょうだい (남매)3

 幼き日のマットの話をしたことによってマットの記憶が呼び出され、「ジョアンが呼んでいる」と目を覚ますマットの人格。沈黙を強要する人差し指の合図で覚醒したマットの人格を抑え込もうとするノーネイムに食ってかかるジミー。マット、ノーネイム、ジミーの三つ巴の争いに巻き込まれて浮上するウッディの意識。マットの中の人格が一瞬のうちに入れ替わってお互いに言い争う場面のギョンスさんの演技は何度見ても身震いがするほど圧巻です。

 ノーネイムに対してジミーが猛烈に反発して発する「マットの幼年時代の話をクズ作家に告げ口したのは俺じゃない」の言葉がマットが泣いているような悲痛な声で繰り返す「これは僕じゃない」の言葉に変わり、「助けてください」といいながらも「死にたい」と繰り返すマット。マットが生きてきた壮絶な人生を思うと、その気持ちが痛いほど胸に迫ってきます。この日のギョンスさんが演じる幼き日のマットは泣きべそをかきながら絵を描いていた気弱で大人しいウッディそのまま。ジョアンがマットに身代わりになることを求める際も最初は怖がっていやいやと頭を振っていたマット。幼いマットよりさらに幼く身勝手なジョアンに、何かを諦めるかのように頷いて約束をするマット。成長したマットも、そのウッディがそのまま大きくなったように気弱でおとなしいけど優しい雰囲気を醸し出している青年で。マットを玩具扱いし簡単に弟を捨てることを決めたジョアンはただでさえ自分のことだけで精一杯なので、マットが自身の中に「怪物」を飼いならしていることに全く気づけなかったとしてもおかしくないと思わせられます。

 「人形の死」(인형의 죽음) ジョアンに押し付けられたおさげの女の子の人形を悲しそうに、だけどどこか愛おしげに見つめるギョンスさんのマット。それは同じように捨てられてしまった人形に対して見せる同情と憐憫の情だったのかもしれません。マットの中の人格たちに共通して心の奥底でずっと血の涙を流し続けているような痛みを感じたこの日。

달리고 싶었어 벗어나고 싶었어
走って行きたかった 逃げ出したかった
날 죄는 고통 내리찍는 채찍
僕を締めつける苦痛 振り下される鞭

달리고 싶었어 도망치고 싶었어
走って行きたかった 逃げ出したかった
너 하나 때문에 내 모든 걸 포기했지
あなた一人のために 僕のすべてを諦めた

この日の公演ほどこの歌詞がこれほど説得力を持って胸を抉られるような気持ちになったことはなく。利用されていると薄々と気づいていても、自分に苦痛をもたらす存在の一人であっても、マットが心の底から渇望していた温もりや愛情を与えてくれる唯一の存在だったジョアン。その温もりと愛情に縋るしか生きる術を見出せなかったマット。行かせはしないと目の色を変えてジョアンを羽交い締めにし、ついには彼女を殴り殺してしまうギョンスさんのマットは彼が恐る「怪物」が彼の中から出てきていてもすべてのことに対して自覚的であるように感じました。ジョアンを湖に浮かべて

걱정하지 마
心配しないで
나도 갈께
僕も行くよ

걱정하지 마
心配しないで

と言っていたギョンスさんのマット。

사랑은 허황된 꿈
愛は空虚な夢
사랑은 부질없는 환상
愛はつまらない幻想

といいながら、ジョアンの話」の中の「愛の中 愛により 愛する」と同じ身振りをするマット。しゃがみこみ、抱えていた『人形の死』が書かれたノートをパラパラとめくり、「本当になってしまった」とでも言うように自嘲気味に笑うマット。燃え盛る家の中へと歩みを進め、手を伸ばし、「ジョアン...」と呟いたところでノーネイムに強制的に記憶を断ち切られるマット。マットは、自分の元を離れていくジョアンを予感していて、最初から彼女が自分を捨てるなら、彼女を殺して自分も死ぬつもりだったのかもしれません。その悲壮な決意にはただただ涙するしかありません。

八場:沈黙 (침목)

 壮絶なマットの過去に打ちひしがれるウンソクさんのユジン先生は、それでもマットの解離性同一性障害の治療を最後まで諦めることのない強い意志を感じます。生き延びるために名前を捨てた存在として独立することを選んだノーネイム。想像を絶するような闇を抱えたマットに残された、それでも生きたいと思う部分。そのためにノーネイムは凶器をユジンに向け、彼をも「黙らす」ことを選択しますが、それに熱い思いを持って対抗するユジン先生。ユジン先生にとっては「ノーネイム」も「マット」なのだと感じさせます。自分の身の危険を感じて身を守るために必死に合図を送るのではなく、しっかりと凶器を持ったマットの腕を掴み拘束してから強い意志を感じる視線で合図を送るウンソクさんのユジン先生。それは自分の身を危険から守るというよりは、マットにこれ以上罪を犯させないという強い思いを感じます。

エピローグ (에필로그)

 マット・シニアーの裁判の法廷に立つユジン先生の力強い言葉。どれだけ困難が伴おうと、マットの治療をしてみせるというその強い使命感、優しさに悲しすぎる過去を背負ったマットの精神鑑定にあたったのがユジン先生で本当に良かったと思わすにいられません。そして、マットがもっと早くに先生に出会えていたならという気持ちも。囚人服、あるいは治療着を着て再度舞台に現れ、「遺書 Rep.」(유서 Rep.) を歌うギョンスさんのマットの頬には涙の筋が光に反射して光って見えて。そして再度始まる「インタビュー」。物語冒頭の「インタビュー」とは少し違い、「シジョ・プラン出版社から来ました、補助作家をお探しだと」と挨拶するマットの表情には屈託のない笑顔が浮かんでいて、それを見たユジン先生がフッと強張っていた表情を緩めて微笑むのを見て、なんだか救われたような思いになったのです。

舞台挨拶 [2018/10/7追記]

 先述の通り、この日の公演はそれぞれの俳優さんの最終公演だったので、終演後に俳優のみなさんから舞台挨拶がありました。挨拶の順番はキャストボードの順番と同じでウンソクさん、ギョンスさん、ムンジョンさんの順番。挨拶の内容の全部は聞き取りできなかったですが、良い音楽、脚本、そして俳優たちとで仕事ができて幸せでしたというようなことを仰っていました。他の俳優さんが挨拶をしている間は体全体をそっちに向けて熱心に聞いているギョンスさんの姿になんだかほっこり。挨拶は撮影OKでした。写真や動画を撮るのが壊滅的に下手なので、残念なピンボケクオリティですがせっかくなので貼っておきます。

千秋楽挨拶写真1 千秋楽挨拶写真2 千秋楽挨拶写真3 千秋楽挨拶写真4 千秋楽挨拶写真5
 

 エピローグの先生とマットの笑顔に引き続き、挨拶中の俳優さんのふんわりとした雰囲気にも暗く悲しい『インタビュー』の物語からの癒しをいただきました。素晴らしい熱演、ありがとうございました!

[2021/2/26修正]

 先生の名前の表記を英語風読みのユージン・キムから来日公演時に発売されていた台本準拠のユジン・キムに訂正しました。


  1. マッコンをハングルにすると막공。「最後の公演」という意味の 마지막 공연(マジマク コンヨン)の略語と思われ、千秋楽のこと。

  2. 『インタビュー』の台本を確認してみたところ台本上の台詞ではノーネイムはユジン先生に対してパンマルで話しているので、それと比較してもギョンスさんが演じるノーネイムの言葉遣いは丁寧です。

  3. 七場につけられているタイトルの「남매」は漢字にすると「男妹」、兄姉弟妹をひっくるめた兄弟の意味。マットとジョアンの関係は弟と姉ですが、ムンジョンさんが演じるジョアンは幼くて自分勝手で弱い人という印象で時々兄弟の関係が逆転しているようにも感じるので、多分そんな深い意味はないんだと思いますがなんとなく気になってしまうタイトルです。