2018年、2019年の大邱国際ミュージカルフェスティバルでのトライアウト公演を経てソウル公演と相成った韓国創作ミュージカルの『ブルーレイン』(블루레인, Blue Rain)。『スモーク』、『インタビュー』、『ルドウィク:ベートーヴェン・ザ・ピアノ』などの作品と同じくチュ・ジョンファさん脚本、ホ・スヒョンさん作曲の注目夫婦タッグが携わっていること、豪華な出演陣に惹かれて観ることを決定。初めての世宗文化会館のSシアターにもワクワクしながら観劇してきました。私が観た3回の公演とキャストのみなさんの組み合わせは以下の通り。
- [2019.8.24 ソワレ]
テオ:イ・チャンフィさん
ルーク:パク・ユドクさん
ジョン・ルキフェル:パク・ソングォン1さん
ヘイデン:キム・リョウォンさん
エマ:ハン・ジヨンさん
サイラス:イム・ガンソンさん - [2019.9.13 ソワレ]
テオ:イ・チャンフィさん
ルーク:イム・ビョングンさん
ジョン・ルキフェル:パク・ソングォンさん
ヘイデン:キム・リョウォンさん
エマ:ハン・ジヨンさん
サイラス:チョ・ファンジさん - [2019.9.14 ソワレ]
テオ:イ・チャンフィさん
ルーク:パク・ユドクさん
ジョン・ルキフェル:キム・ジュホさん
ヘイデン:キム・リョウォンさん
エマ:ハン・ユランさん
サイラス:チョ・ファンジさん
作品紹介
まずはplayDBに掲載されている作品のあらすじをご紹介します。
1997年、米国ユタ州スプリングデールの有力者であるジョン・ルキフェルが自身の邸宅から冷たい死体になって発見される。殺害事件の最も有力な容疑者は現場で検挙されたジョンの長男テオ。テオの弁護を引き受けた未来を嘱望される弁護士でテオの異母弟ルークは兄の潔白を証明するために努める。しかし、幼い時から父親に無慈悲な暴行を受けたテオとルーク。過去の暴力によってルークは、誰かが実際に父親を殺していたなら、兄のテオが犯人かもしれないと疑う。
父親を避けて幼い頃家出したテオ、反対に父親を離れるために勉強ばかりしたルーク。歳月が流れ、実母が残した信託資金を受け取るために父親の邸宅を訪れたテオと、以前と変わらず邪悪なジョンは激しく争う。数日後ジョンは殺害され、そこでテオが逮捕される。食い違う証言と深まる疑惑の中で、ルークは父親が自分を通じて復活を夢見るという幻想に苦しみ、殺人が起きたあの日の真実に直面することになるが…。
血で染まった家族の歴史!悪人を殺すのが果たして悪いことなのか。雨ですべてが洗い流されるように、果たして彼らの残酷な過去がきれいに洗われるだろうか。
ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの長編小説『カラマーゾフの兄弟』を近代アメリカ西部の一家の物語にリメイクした本ミュージカル。アメリカのユタ州と言ってもどんなところかイメージが湧かない方も多いかもしれませんが、ユタ州の州都は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の総本山があるソルトレイクシティ。スプリングデールはソルトレイクシティから南西に位置するユタ州の南端近くの人口500人ほどの小さな街で、ここに住む人々は隣接するザイオン国立公園 (Zion National Park) を訪れる観光客を相手にしたビジネスを主な生業としています。
登場人物紹介
6人の登場人物がそれぞれに重要な役割を担っているため、簡単にそれぞれの人物像をご紹介。
テオ
ルキフェル家の長男。家を出てからジャック・エヴァンスを名乗っている売れない歌手
ルーク
ニューヨークで活躍している凄腕の弁護士でテオと母親を別にする弟
ジョン・ルキフェル
富豪で己の欲望に忠実なテオとルークの父
ヘイデン
苦い記憶を呼び戻す雨を嫌うテオの恋人の歌手の女性
エマ
ルキフェル家に長年仕える家政婦
サイラス
ルキフェル家に新しく雇われた使用人の青年
(以下、ネタバレが多数含まれるためご注意ください)
感想
不安感を煽るような不気味なサイレンの音とジョン・ルキフェルの不敵な笑みを湛えた衝撃的な台詞で幕を開ける『ブルーレイン』の物語。
1997년 7월 2일 23시 12분, 난 죽었습니다.
1997年7月2日 23時12分、私は死にました。
6つの木の椅子を組み合わせることによって様々な場面を表現するシンプルなセットと演出。死んだジョンも含めた主要登場人物たちがそれぞれの立場で「証言者」と言う名の狂言回しとして事件について語る場面を挟みながらテンポよく進むミステリー仕立ての物語。繰り返される複数の主題が耳に残る数々の音楽。効果的に使われた照明。その場面で物語の中心となっていないキャストがアンサンブル的に表現する心象風景の印象的なコーラス部分と振り付け。
ミュージカル『ブルーレイン』は挙げた様々な要素が本当にうまく組み上げられている隙のない完成度の高い作品だと思います。短い公演期間だったため、観たくても観れなかった人が周りに多くて本当に残念で勿体無い!
『ブルーレイン』とその原作である『カラマーゾフの兄弟』の登場人物を照らし合わせてみると、テオはドミートリイ、ルークはイヴァン、ジョンはフョードル、ヘイデンはグルーシェンカ、サイラスはスメルジャコフが元になっていることは原作を読んだことがない私にも容易に思いつくのですが、悩むのがルキフェル家で長年家政婦を務めるエマの存在。愛情深くテオ、ルーク、サイラスを平等に迎え入れるその慈悲深さは神の愛によって肉親を和解させようとしたフョードルの三男アレクセイの要素も含んでいるのかもしれません。登場人物が絞られ、さらにその名前の通り「悪魔」のようなジョンとジョンに抱く悪感情とどのように向き合うかに焦点を当てた『ブルーレイン』。自分の中に巣食う恐れ、憎悪、憤怒、強欲などの感情を乗り越えるきっかけは自分に向けられた他人からの愛情と自分自身が注ぐ愛。「善と悪。境界はどこにあるか?」というのが作品タイトルのメインビジュアルに添えられたコピーですが、テーマを絞ったことにより、原作の複数巻におよぶ長編の物語が無理なく二時間弱の一幕ものミュージカルの尺にすっきりと収められていると感じました。
一人一人の登場人物がそれぞれに重要な役割を担う中、特に印象に残ったのが父の不審な死の謎解きの主体となるルーク、誰よりも大きな秘密を抱えているサイラス、そして死後もなお悪霊のように兄弟たちを呪縛するジョン。悪意に満ちた世間を斜に構えて見ているポーズの裏に隠した善良さが印象に残ったユドクさんのルークにクールに振る舞いながらも正義への理想を燃やす熱血漢のように感じたビョングンさんのルーク。皮肉屋のエリートの仮面を被りながら誰よりも自分が悪に堕ちることを恐れていたルークに対して、気弱で善良な青年の姿の裏にグツグツと燃えたぎるような憤懣と憎悪の感情を隠し持っていたサイラスの人物造形の対比もとても印象的でした。「神は人間が作り出したものだ」と言う、原作のイヴァンと同じく無神論者のルークと彼に心酔するサイラス。後半のサイラスの豹変ぶりは物語の中でもかなりの衝撃度。前半では地味で目立たない気弱で善良な青年そのものだったのに大変身するガンソンさんのサイラスも、目を輝かせながらルークを慕っていることをほのめかす証言に狂気が少しチラついて感じるファンジさんのサイラスもどちらも変貌具合が大迫力で素晴らしかったです。『ルドウィク』をきっかけに注目する俳優さんになったファンジさんはやっぱり声が良すぎる!ガンソンは細やかな演技がとてもよかったです。
警察官役として登場してもテオの憎悪を煽っていくように振る舞う演技、演出が印象的だったジョン役。ソングォンさんのジョンはマフィアのドンのような眼光鋭く血も涙もない悪党、ジュホさんは俗っぽい粘着質な嫌らしさの滲ませ方が絶妙なジョンでこちらもどちらも素晴らしく。悪魔の化身となり、サイラスを悪の道に引き摺り込むように手引きする段になって初めてサイラスを「俺の息子」と呼びかける残酷さ、悪魔の囁きを退けて「俺は貴方とは違う!」と叫び、自分を刺したサイラスに投げかけた「とんでもなくつまらないものを見た」とでもいいたげな表情も秀逸。原作とは異なり、無罪が確認されて釈放されたテオとヘイデン。彼らのエピソードを「証言」のようにルークが語りながら、悪に打ち勝った人々のめでたしめでたしの大円団で終わると思いきや、ライトアップされたジョンの不気味な笑みで締めくくられるラスト。自身以外のすべての登場人物を嘲笑うように揺り動かすジョンはこの作品の主役と言っても差し支えないのではないでしょうか。悪魔、または堕天使の名前として有名なルキフェル(ルシファー)ですが、その名前はラテン語で明けの明星、「光をもたらす者」という意味なのもなんとも皮肉で象徴的だなとも思ったり。暗闇にあるからこそ光が輝く、ということでしょうか。「輝く者が天より墜ちた」ルキフェル。普通に暮らす人々のごくごく身近なところで、悪は表出する機会を伺って潜んでいるということを暗示しているように感じました。
ジョン・ルキフェルが作品を通しての悪の象徴だとすれば、その対極に存在するポジションなのが自分自身の息子のようにテオ、ルーク、さらにサイラスと接するエマ。ジヨンさんもユランさんも愛情深いエマを好演されていて、お互いのために犠牲を厭わないテオとヘイデンを演じていたチャンフィさんとリョウォンさんのお二人も不器用に愛情を示しながらも必ず相手を守り抜くという固い決意の演技がとてもよかったです。
物語、音楽、演出、振り付け、俳優さんたちの熱演のどれをとってもバランスがよくて大変好みの作品だった『ブルーレイン』。再演があれば是非また観たい作品のひとつです。音楽が本当にいいので、再演の暁には是非キャストアルバムも売っていただきたい!
[2020.2.7追記]
ミュージカル『ブルーレイン』の日本公演が決定した模様です!日本版の脚本、演出は荻田浩一さんが手がけるとのこと。登場人物名はそのままハングルのローマ字読みに近いものになっていて、ヘイデン (Hayden) はヘイドン (헤이든)、ルキフェル (Lucifer) はルキペール (루키페르)になっているので、若干本ブログとは違うようです。韓国版の椅子を使ったシンプルなセット、演出、振付がかなり好きだったのでそれがどこまでそのまま輸入されるのかが気になるところ。なんとか日程調整して観に行きたいです!
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後にパク・シウォンに改名されています。↩