すっかり夢中になっている2020年再演版ミュージカル『ビリー・エリオット』(Billy Elliot) 。私にとっては5回目の再演ビリーのキャストは以下の方々でした。
ビリー:川口調さん
お父さん:益岡徹さん
ウィルキンソン先生:安蘭けいさん
おばあちゃん:根岸季衣さん
トニー:中河内雅貴さん
ジョージ:星智也さん
オールダー・ビリー:永野亮比己さん
マイケル:佐野航太郎さん
デビー:小林桜さん
トールボーイ:石井瑠音さん
スモールボーイ:豊本燦汰さん
バレエガールズ:
下司ゆなさん1、咲名美佑さん2、新里藍那さん3、増田心春さん4、柳きよらさん5
お母さん:家塚敦子さん
ブレイスウェイトさん:森山大輔さん
デイヴィ:辰巳智秋さん
アンサンブル6:
加賀谷真聡さん、茶谷健太さん、倉澤雅美さん、
板垣辰治さん、大竹尚さん、大塚たかしさん、斎藤桐人さん、佐々木誠さん、
高橋卓士さん、照井裕隆さん、丸山泰右さん、小島亜莉沙さん、竹内晶美さん、
藤咲みどりさん、井坂泉月さん、井上花菜さん、出口稚子さん
海外、日本初演と合わせて通算20回目のビリーとなったこの日の観劇回。今回がお初となったキャストの方々は航太郎くんのマイケル、瑠音くんのトールボーイ、そして永野さんのオールダー・ビリーで調くんビリーは2回目です。
私の2020年再演ビリー初日の観劇レポはこちら。簡単な作品紹介もこちらの記事で書いています。他の観劇回、日本初演や韓国の観劇レポはカテゴリーの『ビリー・エリオット』から飛べるようになっています。
調くんビリー初日のオープニング公演の観劇レポはこちら。カーテンコール撮影OKだったので少しだけ写真もあります。
感想
(以下、ネタバレが含まれるためご注意ください。)
前回調くんビリーを観た回と周囲のキャストのみなさんがほとんど入れ替わり、さらに座席も二階から一階に移動したことによって色々と新鮮な気持ちで観劇できたこの回。初回から共通して感じるのは調くんビリーの演技の細やかさ。演技しているように思えないほど自然に調くんはビリーという炭鉱町の男の子として舞台の上に存在するのですが、調くんのビリーは表情や行動のひとつひとつに緻密に考えられたディテールを感じるのです。例えば「The Stars Look Down」(星たちが見ている)でビリーがスモールボーイからロリポップを取り上げてからかい、それをデビーに咎められてロリポップをデビーに渡してから駆け出していく場面。デビーに怒られて椅子から飛び降りた後、調ビリーは一瞬だけ「なんだよ、もう」とも言いたげに頭を傾げて少し不貞腐れたような表情をします。バレエを続けるべきかをマイケルに相談したときに
ロイヤル、何?
と生返事気味のマイケルに聞かれて
ロイヤル、バレエ・スクール!
と答えたときの妙に自慢げで誇らしげな表情と声の響き。驚くほど自然に積み上げられている調くんのビリーの人物像。生意気だけど何事にも全力で一生懸命で負けず嫌いな調くんのビリー。そんな調くんのビリーには小さいながらも「炭鉱町の男」としての矜持が感じられて、ビリーが父ちゃんやトニーの背中を見ながら育った十余年の歴史を感じるのです。
演技が驚くほど精緻でありながら決してきれいにまとめようとはしておらず、全力でこの役に体当たりをしていると感じるのも調ビリーの魅力。「Angry Dance」(怒りのダンス)での圧倒的な爆発力は前の観劇の感想でも書きましたが、調くんビリーのダンスには「Swan Lake Pas de Deux」(白鳥の湖 パ・ド・ドゥ)でも、「Electricity」(電気のように)でも小さい体には到底おさまりきらない勢いとパワーを感じます。
そして「Electricity」では調ビリーはとってもいい表情をするのですよね。きれいなボーイ・ソプラノの歌声にのせられた感情の変化も素晴らしいのですが、この曲では調ビリーの目まぐるしく変わる表情の感情表現に釘付けになってしまいます。調ビリーが踊ることやバレエに抱く想いはシンプルな「大好き!」という感情とは異なり、オパールのような少し複雑な輝きを持っているように感じるのです。トニーが
俺らは恐竜だ
と吐き捨てるように言ったように、時代に合わなくなりつつある「炭鉱町の男」たちの価値観。それとは全く異なるバレエの世界。調ビリーにとってバレエは大好きだけど、それまで疑うことなく信じていた人生を完全に覆す、痛みを伴う創造と破壊をもたらす存在なのかもしれません。
僕を動かす
燃え盛る炎
僕を開く もう逆らえない
まるで不死鳥のように自分を生まれ変わらせるもの、それがバレエ。「Electricity」のフィニッシュでの調ビリーの表情には、湧き上がる喜びの感情と同時にどこか切なさと安堵に似た感情が感じられて、グッと胸が締め付けられます。素晴らしい役者である調くんの裸の感情をそこに感じるのも私があの表情にどうしようもなく惹かれる理由のひとつかもしれません。
そんな調くんのビリーを観てからというもの、私はこれまであまり考えてこなかった不思議な感慨に捉われるようになりました。それは、いつか『ビリー・エリオット』の物語がお伽話のように遠く感じ、陳腐化してしまう日が来るのだろうかという疑問。ビリーが少年時代を過ごした日々からはだいぶ世の中の価値観や生き方の多様性に対する考えも変わってきていますが、今でも「男らしさ」、「女らしさ」などの誰かが考えた「枠」に囚われて息苦しさを感じることは少なくありません。「昔はそんなことみんな気にしていたんだね、自分にとってはちょっとピンとこないなぁ」とこの作品を観た子供達が思うようになるその日。それはきっとビリーの物語が「遠い思い出」になる日。この作品を愛して止まなない私にとってそれは想像すると少し寂しいですが、「それはきっといいこと」なんでしょう。
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