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劇場に行くためにどこでもドアが欲しいミュージカルオタクの観劇記録と観るためのあれこれ

【観劇レポ】コンサート『ジーザス・クライスト=スーパースター』(Jesus Christ Superstar) @ Tokyu Theatre Orb, Tokyo & Festival Hall, Osaka《2021.7.18-2021.8.1》(Part 1)

ジーザス・クライスト=スーパースター In Concert

 某祭典をそっちのけて私が今年一番楽しみにしていたJCS祭りが素晴らしいグランド・フィナーレを迎えて終わりました。シドニーマンチェスターアムステルダムに弾丸したり、韓国で地方公演も含めて16回も観たりととこの作品に関してはよくわからない行動力を発揮してきた私。公演のために世界中から14日間の隔離期間を経て日本に集まってきてくれた豪華出演陣のみなさま。これだけのメンバーが集まることやこのご時世に日本に来ていただいて舞台に立っていただけるのに私が観に行かずにいられるわけがなく。というわけで前置きが長くなりましたが2021年のミュージカルジーザス・クライスト=スーパースター』(Jesus Christ Superstar, 以下JCS) in コンサート公演を東急シアターオーブで3回、大阪フェスティバル・ホールで3回観てまいりました。歌ウマさんしかいなくて手を合わせて拝みたくなるキャストのみなさまは

 ジーザス:マイケル・K・リーさん
 ユダ:ラミン・カリムルーさん
 マリア:セリンダ・シューンマッカーさん
 ヘロデ藤岡正明さん
 カヤパ宮原浩暢さん
 ペテロ:テリー・リアンさん
 ピラト:ロベール・マリアンさん
 シモン柿澤勇人さん
 アンナス:アーロン・ウォルポールさん
 アンサンブル
   福田えりさん、
   湊陽奈さん、
   則松亜海さん、
   鈴木さあやさん、
   高橋莉瑚さん、
   ジャラン・ミューズさん、
   大音智海さん、
   大塚たかしさん、
   仙名立宗さん、
   染谷洸太さん

でした。


Astage『スーパースターin コンサート』舞台映像 2021
 

 奇しくもCOVID-19の影響を受けた渡航制限厳格化前にギリギリ滑り込みで最後にソウルで観た舞台が同じくマイケルさんがジーザス役を演じた『Jesus Christ Superstar in Concert』でした。その観劇レポで簡単な作品紹介を書いたのでリンクを貼っておきます。また、韓国版のJCSはジーザスとユダの関係性が異彩を放っていますが、韓国版と今回のコンサート版の二人の関係性の比較がこのプロダクションの印象を語る上で大きなポイントなっているので韓国版の演出が気になる人は是非。

感想

(以下、ほぼネタバレしかないためご注意ください。)

Overture / Heaven On Their Minds

 ソウルでのコンサートの観劇レポでも同じことを書きましたが、「Overture」から「Heaven on Their Minds」までの流れは私がこの作品の中で一二を争うくらい好きな部分です。不穏な空気を暗示させる唸るようなベースの低音に空間をつんざくようなエレキギターの音が合流したメロディが奏でる歴史的大事件の予感。同じメロディが劇中の他のどの場面で流れるかを知っているとより一層募る緊張感。音楽によって弓のつるように張り詰めた空気が一気にはじける瞬間に一気に舞台の表へと躍り出てくるアンサンブルキャストのみなさま。不思議な「魔法の粉」を振りかけられ、物語の世界へと誘われる私たち。個性あふれる案内人たちに煽られ、エルサレム入りの日を今か今かと待ちわびていた民衆となったような観客の期待が最高のボルテージになったと感じるその瞬間。流れる「Superstar」の主題と共にジーザスとユダをはじめとするプリンシパルキャストのみなさんがライトアップされ、割れんばかりの拍手の中に大歓声の幻聴が聞こえるような気がしました。うれしそうに穏やかに薄く微笑むマイケルジーザスにハートを撃ち抜かれた直後に始まる、焦燥感に駆られて自分たちの立場を忘れるなと戒める言葉が「ジーザスの滅びの運命の預言」となってしまうラミンユダの「Heaven on Their Minds」。全くもって息をつく間がありません。

What's the Buzz? / Strange Thing Mystifying

 このプロダクションでのジーザス、ユダ、マリアと使徒たちの関係性が一気に明らかにこのナンバー。ノリノリで楽しげなマイケルジーザスの姿を拝める数少ない曲の一つでもあります。浮ついたやつらとそれに同調しているようなジーザスの姿にユダは始終ご機嫌斜めで不貞腐れています。鉄パイプで組まれたセットの手摺りにだらんと体を預けて拗ねる体の大きなラミンユダの姿は可愛らしいですが、一言多めに口を挟まずにはいられない小姑のような性格(と勝手に断定)はどうやらマリアと相性最悪な模様。語弊を恐れずに書くと、"Women of her kind" 云々の後にげんなりと上を向くセリンダマリアの口からは「アイツうっせぇな」と言わんばかりに舌打ちが聞こえてそうで、そんなマリアを慰めるかのようにやってくる柿澤シモンはもしかしたらマリアの「ユダからよくお説教される」仲間なのかもしれないと思うのでした。素直で純朴そうなテリーペトロもマリアに同情的なのを見るに、ジーザスも含めて全員ラミンユダのお小言をくらっているのやも。

Everything's Alright

The problems that upset you

と歌う部分でユダに背を向けながらもユダを手で指し示し、ユダの言うことなんぞ全く意に介していないように感じるマリア。セリンダさんのマリアは私が今まで出会ったことのないタイプのマリアでその蠱惑的な魅力としなやかな強さがとても印象的でした。ストイックな雰囲気が匂い立つようなマイケルジーザスとは対照的に享楽的で何にも縛られない自由奔放さを感じるセリンダマリア。そんなマリアだからこそジーザスは一緒にいるひとときだけでも彼が背負うあまりにも重い使命を忘れて心安らかになれたのかもしれません。同じようにジーザスを案じるユダがそれをジーザスに突きつけてくるのとは対照的に。しかし

Forget all about us tonight

と歌う部分はユダに向かって歌い、ジーザスと私という「私たち」を放っておけとユダを軽快に追い払うセリンダマリアとても強い。

This Jesus Must Die

 高音シャウトのイメージが強いJCSの楽曲ですが、よく響く魅惑の重低音を披露してくれるのがユダヤの大祭司カヤパ様とその部下の司祭様。一部のJCSファンの間で「マスダイソング」の愛称(?)で呼ばれているこのナンバーも私のお気に入りの楽曲の一つです。高級感あふれる仕立てのいいスーツをパリッと着こなす長身の宮原カヤパ様はいかにも育ちの良いエリートの雰囲気。声楽家であることを随所に感じさせる歌い方も役柄に絶妙にマッチ。2019年のJCS in コンサート初演に引き続き来日してくれたアーロンアンナスのストレスフリーで綺麗に伸びる高音もすこぶる心地がよく。司祭たちの人数は各プロダクションによってまちまちですが、司祭軍団が大好きな私は男性アンサンブルのみなさまが総出で悪い顔で「This Jesus Must Die」を大合唱してくれて大満足です。

Hosanna

 観客もエルサレム入りしたジーザスを無邪気に歓迎する衆愚の一員になれるこのナンバー。普段はセット上部の中央に据えられている玉座で気怠げに下々の者たちを見下ろしている藤岡ヘロデ王の動向が見逃せないナンバーでもあります。東京公演初期では玉座にふんぞり返ったまま鉄パイプの手摺りに投げ出した足だけ民衆の手の振りに合わせて左右に動かしたり、途中で飽きておもむろにロングジャケットを脱いで毛布代わりにして居眠りを決め込んだりしていたしていた王でしたが、公演中断明けの東京公演では王も民草(観客)と同じくらいうれしかったのかノリノリで大振りでお手振りに参加。(その後やっぱり飽きて足だけ参加になっていましたが)大阪での大千秋楽ではなんとロベールピラト様も凄く控えめにお手振りに参加。渋くてダンディなピラト様が見せてくれたチャーミングでお茶目な一面に変な声が漏れそうになるのを必死に我慢していたら、そんなピラトを目敏く見つけて茶化す藤岡ヘロデ王も目撃。ノリノリで民衆の歌声にアドリブを乗せて歌うマイケル様ジーザスやそんなノリノリジーザスに怒られてややしょんぼりしながら渋々お手振りに参加するラミンユダなどとレアな光景を目撃する瞬間も多く、毎回目が忙しすぎました。

Simon Zealotes

 勝手な期待を暴走させる民衆のテンションが最高に盛り上がったタイミングで満を持してのシモンのターン。憎めない問題児の仮面の裏にそんな情念を隠していたのかと唖然とさせられたのはきっとジーザスだけではないでしょう。

You'll get the power and the glory

と声高にうっとりと歌い上げる柿澤シモンの脳内ではおそらくジーザスと自分は一体化していて、目の前に困惑の表情で弟子を見上げるジーザスの姿は全く見えておらず。そんなシモンにペテロまでが無邪気に同調している姿を見ているとラミンユダの胃の荒れ具合が心配になってきますが、衆愚の民の一員としては入魂のビッグナンバーを全力で歌いきった柿澤シモンにまずは大拍手。

Poor Jerusalem / Pilate's Dream

 ジーザスに怒られて気まずい雰囲気を残しながら物言いたげに去っていくシモンら追従者たちが一人ずつ舞台の上から去り、牢に閉じ込められたような照明の中に一人で取り残されたジーザス。その独白には常に人に囲まれているジーザスの内なる孤独が浮かび上がってきます。ジーザスと同床異夢ならぬ異床同夢を共有するかのようなピラト提督も相通ずる為政者としての孤独を抱えていたのかもしれません。朗々とよく響くロベールピラト様の美声にはただただ聞き惚れるばかり。

The Temple

 群衆から商魂たくましいエルサレムの押し売りに華麗にジョブチェンジするアンサンブルキャストのみなさま。それぞれの商人の個性あふれる決めポーズが見どころですが、すみません触れずにはいられないんですがラストに鋼の肉体を見せつけてくれる大塚さんはオチ担当ですか!?初見では思わず吹きそうになりましたが、そういえば映像化されている2012年アリーナ版でもビキニパンツのボディビルダーっぽいマッチョなお兄さんがいましたね。8人の商人たちの思い思いのポーズも印象的ですが、その後の4人ずつに分かれて体を車のワイパーのようにゆっくりとグライドさせる振り付けもとても好き。コンサートの全日程が終わってから言われても、と言う感じですが押し売りたちのカモにされそうになって全力疾走するテリーペテロにも注目です。

 人の子と神の子との間を行ったり来たり揺れ動くジーザスの姿がより顕著になっていくこの曲。病を患う人々、貧しさに喘ぐ人々に扮するアンサンブルキャストから距離を置くことによってジーザスが見えない糸で雁字搦めにされているように感じる振付から始まる演出はとても印象的。苦しみを訴える人々が近づくにつれ、その見えない糸がどんどんともつれていき、ジーザスを縛る様がまるで見えるようでした。

Everything's Alright (Reprise) / I Don't Know How to Love Him

 「Everything's Alright」の短いリプライズで半ば恐慌状態に陥ったジーザスにいつもの調子を心掛けるように声を掛けるマリア。マイケルジーザスはマリアに対して落ち着きを取り戻して穏やかに微笑んでみせますが、それも長くは続かず、真剣で苦悩がにじむ表情に戻ってマリアの手を取ることなく彼女に背を向けてまた一人に戻ってしまいます。さしずめセリンダマリアが歌う「I Don't Know How to Love Him」は奔放に振る舞う自分をありのままの姿で受け入れてくれながらも簡単には自分に心を許してくれないジーザスに感じる戸惑いの心情の吐露でしょうか。セリンダさんの伸びやかなメゾソプラノのソロはとても心地よく。語彙力が仕事をしてくれませんが、歌が上手い。

Damned for All Time / Blood Money

 前奏部分のギターソロ、間奏部分のサクソフォンがめちゃくちゃかっこよく、聞くと高頻度で太宰治の『駆け込み訴え』が脳裏をよぎる「Damned for All Time」「Blood Money」。JCSのユダは『駆け込み訴え』中のイスカリオテのユダほど錯乱はしておらず自己矛盾にも陥っていませんが、カヤパやアンナス、コンサート版の演出ではピラトやヘロデにさえも自分の行動を肯定する言葉を求めずにいられないほど自分の行動に自信がない状態。マリアやシモンらに理屈っぽいと煙たがれるほど何事も理詰めで冷静に考えることをよしとする雰囲気を感じられるラミンユダですが、その焦燥感には自分が得体の知れない何かに突き動かされている自覚が半分くらいはあるように感じます。

 最初から「スーパースター」の伝説を成就させるための片棒を担がされ、「裏切り者」の役割を与えられていることに自覚的な韓国版のユダとは異なり、今回のコンサート版のラミンユダはあくまで考え抜いた末に自分が良かれと思ったことを行動に移しているように感じられます。そんなユダが「神の意志」なるものを初めて感じ取った瞬間があったとすると、それはきっとこの一連のナンバーの最後。

Well done, Judas
Good old Judas

ジーザスがゲッセマネの園で過ごす予定であることを告げた途端に厳かなコーラスによって労をねぎらわれるユダ。白く眩い光がユダを包み、光の円がだんだん収束して明瞭になったと思ったらまたその輪郭はぼやけて消えていくその様子。ユダもその光のように何かを一瞬掴みかけるもすぐに見失ってしまったのかもしれません。

(Part 2に続きます)