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【観劇レポ】ミュージカル『蜘蛛女のキス』(Kiss of the Spider Woman) @ Tokyo Metropolitan Theatre, Tokyo《2021.12.4マチネ》

ミュージカル『蜘蛛女のキス』(Kiss of the Spider Woman) @ Tokyo Metropolitan Theatre, Tokyo《2021.12.4マチネ》

 気がつけば2021年もあっという間に師走です。どうにもこうにもしばらく国外観劇遠征はできそうにないので、それならば以前は優先順位の関係から観劇枠の捻出が難しかった「有名だけど観たことがない大劇場の翻訳ミュージカル作品」を積極的に観てみようとモードを切り替えて取ってみたチケットの一枚がミュージカル『蜘蛛女のキス』(Kiss of the Spider Woman)のチケット。私が観劇した回のキャストのみなさまは以下の方々でした。

 モリー石丸幹二さん
 蜘蛛女/オーロラ安蘭けいさん
 バレンティン相葉裕樹さん
 所長鶴見辰吾さん
 モリーナの母香寿たつきさん
 マルタ:小南満佑子さん
 マルコス(看守):間宮啓行さん
 エステバン(看守)櫻井章喜さん
 囚人、オーロラの男たち、他
  藤浦功一さん、佐々木誠さん、
  俵和也さん、伊藤広洋さん、
  半澤昇さん、当銀大輔さん、
  荒木啓佑さん、矢内康洋さん、
  橋田康さん

作品紹介

 ミュージカル『蜘蛛女のキス』はアルゼンチンの小説家マヌエル・プイグ (Manuel Puig) が1976年に発表した小説を原作としたテレンス・マクナリー (Terrence McNally) の脚本、ジョン・カンダー (John Kander) の音楽、フレッド・エブ (Fred Ebb) の作詞によるミュージカルです。原作の小説はモリーナとバレンティンの二人の会話で展開される形式で記述されており、それを踏襲した形の戯曲がプイグ氏本人の手により制作されていますが、ミュージカルは二人の会話の中で登場するのみだった女優オーロラや監獄の看守たちらが台詞のある登場人物として登場します。

 ミュージカル版の『蜘蛛女のキス』は1990年にニューヨーク州立大学のワークショップの中でハロルド・プリンス (Harold Prince) の演出、スーザン・ストローマン (Susan Stroman) の振付により開発がされましたが、批評家から批判的なレビューを受けることになり、実際に商業公演に漕ぎ着けたのは2年後の1992年。蜘蛛女としてチタ・リヴェラ (Chita Rivera)、モリーナにブレント・カーバー (Brent Carver)、バレンティンにアンソニー・クリベロ (Anthony Crivello) をキャスティングしたトロント公演の同年、同じ三名をキャスティングし、振付にヴィンセント・パターソン (Vincent Paterson)とロブ・マーシャル (Rob Marshall) を迎えたウェストエンドのプロダクションが始まります。作品がブロードウェイに上陸したのはその翌年の1993年。ウェストエンドのプロダクションと同じく蜘蛛女役、モリーナ役、バレンティン役を務めた三名はそれぞれ同年のトニー賞で主演女優賞、主演男優賞、助演男優賞を受賞しており、作品はミュージカルカテゴリの作品賞、脚本賞と音楽賞を受賞しています。

 ミュージカルの日本初演は1996年。オリジナルの演出を手がけたプリンス氏が自身で演出を手掛け、岩谷時子さんの訳詞で上演されたプロダクションは1998年にも再演され、また2007年、2010年には荻田浩一氏による演出と訳詞により上演されたプロダクションもありますが、今回の2021年の公演は劇団チョコレートケーキの主催で知られる日澤雄介さんの演出、高橋亜子さんの訳詞で上演される新しいプロダクション。キャスト陣も十年ほど前のプロダクションとは一新されています。

(以下、ネタバレが含まれるためご注意ください。)

あらすじ

 軍事政権下のアルゼンチン。映画とお洒落が大好きなウィンドウスタイリスト1モリーナは未成年者に対して猥褻行為を働いた罪に問われて投獄されていた。辛い監獄での生活を憧れの大女優オーロラが出演する映画の場面を想像することでやり過ごしていたモリーナ。オーロラの熱心なファンであるモリーナは彼女の映画と演じた役はすべて愛していると言う。不吉なキスによって誰にでも死をもたらす「蜘蛛女」役のただ一つの例外を除いて。

 ある日モリーナの監房に政治犯として逮捕された若き活動家のバレンティンが収容されることになる。現実を変えようと動く血気盛んな革命家の若者と空想に生きる事なかれ主義者のノンポリの中年。相容れない価値観の二人は衝突を続けるが、看守に同性愛者であることを揶揄され侮辱されたモリーナに対してバレンティンが怒りを示したり、酷い拷問を受けたバレンティンモリーナが献身的に介抱したことなどをきっかけに二人の距離は近づいていく。やがてバレンティンが自身の恋人マルタの話を進んでするようになるほどに。しかし、モリーナは所長から病気の母親の情報と引き換えにバレンティンの弱味を探る取引を持ちかけられていた。

 バレンティンと交流を深めるごとに彼に惹かれていき、彼に愛情を抱くようになるモリーナ。そんなモリーナが最後に選び取ったのは…?

感想

 愛と死、抑圧と自由、人生の選択、そして「最後のダンス」。圧倒的な存在感で舞台を支配する「蜘蛛女」が女神を象ったトート2様のように感じること以外にもミュージカル『蜘蛛女のキス』とミュージカル『エリザベート』の共通点は意外と多いのかもしれません。しかし『エリザベート』の主人公がオーストリア皇妃という(実態はどうであれ)権威の象徴であるのに対し、『蜘蛛女のキス』の主人公であるモリーナは動乱の時代を生きるマイノリティで社会的な弱者です。

 現実から逃避するように大好きなオーロラの映画の世界に耽るモリーナ。看守のマルコスとエスタバンからぶつけられる暴言の数々は聞くに耐えず、バレンティン政治犯として収容された囚人たちが受ける拷問は思わず目を背けたくなるようなものばかり。現状を変えようと戦うのではなく、オーロラが彩る鮮やかで優しいファンタジーの世界に逃げ込むモリーナの姿はバレンティンの苛立ちを誘いますが、「持たざる者」であったモリーナに許された唯一の自己防衛手段であったことを考えるとただただ私の胸は痛むばかり。柳がしなやかに吹く風に揺られるように辛い現実をやり過ごすモリーナはある意味強い存在のようにも思えますが、なんでもないことのように振る舞う彼女が心の奥底に諦観して受け入れる以外に道がないことに言い知れない虚しさと悲しみを抱いていただろうことは想像に難くありません。

 容赦無く人間の醜い部分を見せつけ、心の柔くて傷つきやすい部分を問答無用で刺しにかかってくる刑務所の環境に対して、モリーナの妄想の中に登場するオーロラ、ママ、かつての想い人のガブリエルらの優しい人々の存在は観ているだけでもなかなか辛い物語の清涼剤であり癒し。特に様々な衣装で美しくチャーミングな銀幕の大スターを演じる安蘭さんのオーロラの七変化の様子は見応えたっぷり。とにかく素敵すぎてモリーナがオーロラに夢中になる気持ちには納得しかありません。男女の魅力をどちらも兼ね備えた白燕尾服のオーロラに感じたトキメキには宝塚沼にハマる方々の気持ちが垣間見えた気がしました。野性的な雰囲気を放つ囚人役での登場シーンとは一転し、オーロラの取り巻きの男たちとして華麗なダンスを披露するアンサンブルキャストの方々も見事。キレのある機敏な動きに目が釘付けになってどなたが演じているのかついつい気になってしまいます。舞台後半でモリーナの頭の中ではかなり美化されていたことがわかるガブリエルと、モリーナのイメージのまま優しく包み込んでくれるママの姿の対比も印象に残りました。

 目力の強さに変革の実現に燃える若き革命家らしさをとても感じた相葉さんのバレンティン。革命の仲間たちに囲まれてバレンティンが歌う「あしたこそは」(The Day After That) のナンバーでは彼の後ろにうず高く積み上げられたバリケードの幻が見えるような気がしました。バレンティンモリーナの関係性で言うと、モリーナが吐き捨てるように言う「あなたといると悪い方に引っ張られる」3という台詞が印象に残っています。お互いそれぞれ打算があり、利用し合う関係でありながらも少なからず心を通いあわせた二人。それが実現したのはモリーナが持つ優しい性質と戦いを避け、相手を労わる生き方があったからこそだと私は感じるので、バレンティンが良かれと思って「男になれ!」と願う無自覚に残酷な姿には少なからず絶望を感じてしまいます。今までの自分の生き方を否定するかのように、自分の人生を犠牲にしてまでもモリーナが愛に殉じてバレンティンの希望を叶えることを選んだこと。愛が人に与える底知れないパワーを感じるとともにいかに愛がエゴイスティックな感情なのかを実感させられます。自分はモリーナの愛に値しない人間だと絶叫しながらも最後はモリーナの意志を尊重し、その死を背負うことにしたことはバレンティンモリーナから受け取った優しさの発露なのかもしれません。石丸さんが演じる自然体で可愛らしく、健気で優しさに溢れるモリーナが喜びに満ちた表情で蜘蛛女と「最後のダンス」を踊る姿。オーロラが演じたタチアナのように愛する人を守って逝ったモリーナはきっと幸せだったのでしょう。モリーからしてみれば大きなお世話なのかもしれませんが、彼女がそんな形の幸せしか選びようがなかったことが、そういう時代と環境だったことがとても辛くて、でもモリーナがあんな笑顔になれる選択ができたことが強く心に残って。華やかなグランドフィナーレの余韻にアンビバレントな気持ちを引き摺りながら劇場を後にしたのでした。

 観劇後、タイトルソングの「蜘蛛女のキス」に脳内をジャックされた回数は数知れず。劇中の安蘭さんの歌唱シーンでは歌声でビリビリと震える感覚を久しぶりに味わいました。迫力満点で伸びやかなアルトの歌声が最高にかっこいい。ミュージカル『蜘蛛女のキス』は暗くて重いテーマのお話なので観る人を選ぶ作品ではあると思いますが、辛い気持ちになりながらも「観てよかった!」と思える作品でした。シンプルかつスタイリッシュで映像を効果的に使った演出とセットも好み。このタイミング、このキャストと演出で観れて良かったです。

[2021.12.8追記]

 自分の中でモリーナがゲイ(性自認は男性で恋愛対象が男性)なのかトランスジェンダー性自認が女性で身体が男性)なのかが判然としないまま便宜的に「彼」と書いてしまったことに迷いがあり、それをコメントで追記したところ石丸さんはモリーナをトランスジェンダー女性として演じているとの情報をいただきました。ゲイ男性もトランスジェンダー女性も一括りに「オカマ」と呼ばれていた時代のお話なのかもしれませんが、教えていただいた石丸さんの役作りに合わせて文章を見直しました。モリーナに対する思いは自分の中で色々と言語化が上手くできていない部分が多く、それ以外にもちょこちょこ修正しています。また時間を置いて色々修正したくなるところが出てくるかも知れません。

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  1. ショーウィンドウに飾るマネキンのスタイリスト

  2. ドイツ語で「死」を意味するTodの日本語読み。ミュージカル『エリザベート』の主要登場人物の一人で死を擬人化した存在。宝塚版では主人公で黄泉の帝王という設定。

  3. うろ覚えなので正確な台詞は少し異なるかもしれません。