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【作品紹介】ミュージカル『アランガ』(아랑가):パンソリ、白い糸カーテンと紙扇子

パンソリ、白い糸カーテンと紙扇子

 

 今回は韓国創作ミュージカル『アランガ』(아랑가) の演出面に焦点を当てたテーマで書いてみたいと思います。

  『アランガ』では大道具の類は一切使用されず、すべての場面転換は白い糸カーテンに投影されるプロジェクションとライティングで表現されます。プロジェクションで糸カーテンに投影される映像も写実的ではなく、古代韓国の情緒が伝わってくるような抽象的なイメージ映像ばかり。ただ、その映像と照明はシンプルながらも真っ白な舞台、白を基調とした衣装をとても鮮やかかつ美しく彩ります。また、舞台上に立つ人物たちがどこにいるのかもこの映像と舞台自体に投影される手書きの線のような区切り線のみで表現されます。唯一の小道具も各演者がそれぞれに持つ白い紙扇子だけ。このように、『アランガ』では演出の道具は限りなくミニマナイズされており、その制約された道具を最大限使って様々な表現がされていることが印象的です。逆に演出の道具が制約されているからこそ、それを使った表現が活きているとも言えるかも知れません。

 特に象徴的なのは扇子を使った演出。『アランガ』の物語の最中、この紙扇子は実にいろいろな役割を果たしています。

 ある時は、王を悩ます他国の脅威や臣下からの突き上げを表現し、
 ある時は、捏造された偽りの証拠の書簡になり、
 ある時は、命を散らす凶刃となり、
 ある時は、霊魂が離れた虚ろな肉体となり…。

 また、この扇子は『アランガ』を特徴づけるもうひとつの大きな演出の要素であるパンソリの大事な小道具のひとつでもあったりします。

 パンソリ(판소리)は朝鮮の伝統的民俗芸能で、18世紀頃から庶民の娯楽として広まって演じられた口承文芸のひとつです。パンソリは扇子を片手に立って歌う歌い手(ソリックン 소리꾼)と太鼓の奏者(コス 고수)により演じられ、歌い手の独特の歌唱法や鼓の拍子が特徴的です。『アランガ』では、パンソリの歌い手が導唱(ドチャン 도창)と呼ばれる狂言回しとして登場し、表現方法が制約された舞台上でダイナミックに物語が動く場面を表現するために活躍しています。

 実際にパンソリで展開される場面の一部をご紹介するとこんな感じです。

 

2019年公演プレスコールより『百済の太陽』/ アン・ジェヨン、パク・イネ

 

때는 여드레 전
時は八日前
국경 옆 한마을에 이팔 청춘 처녀 총각
国境の側 同じ村に若者 未婚の娘と青年
가시버시 약속하며 혼례상 차리던 날
夫婦の約束をして 婚礼状出した日

굶어주는 들녘에도 사랑은 피었던가
飢えを与える野原にも 愛は咲いたか
마음 불변 약속하며
心が変わらぬこと 約束して
기러기 한쌍을 올려놓고
雁のつがいを差し上げて
정화수를 앞에 놓고
朝一番の井戸水 前に置いて
청실 홍실 증표 삼아
青い糸 紅い糸 証票にして

(中略)

한참 이리 헐째 혼례를 축하하던
しばらくこのように婚礼を祝った
풍악소리 사이로 저어
音楽の音の中混ざって
먼 곳에서 서서히 울리는 북소리가
遠いところで徐々に響く太鼓の音が

두리둥 두리둥 두리둥둥둥둥
ドゥリドゥン ドゥリドゥン ドゥリドゥンドゥンドゥンドゥン
둥둥둥 하더니
ドゥンドゥンドゥン とすると
고구려 도적 떼들 몰려온다
高句麗の盗賊の群れ 押し寄せてきた

무자비한 도적 떼는 앞도 뒤도 보지 않고
無慈悲な盗賊の群れは前も後ろも見ずに
국경을 넘고 마을 앞산 넘고
国境を越えて村の前の山を越えて

잔칫집 앞마당에 당도하여
宴を催す家の前庭に到達して
닥치는 대로 백제 사람
手当たり次第に百済の民
상투 잡고 멱살 잡고 치맛자락 휘어잡고
髷を掴んで 胸ぐら掴んで チマの裾握りしめて
칼을 휘두르고 살을 쏘아대니
刃を振り回して 肉を刺したら
앉아 죽고 서서 죽고 울다 죽고
座って死んで 立って死んで 泣いて死んで 
찢어져 죽고 기워져 죽어
破れて死んで 継ぎをして負けて死んで

(中略)

볼에 찍은 연지조차 마르지 않은 신부는
頰につけた紅も乾かない新婦は
꽃신 한 짝 벗어두고
花の履物 片方脱ぎとって
고구려 도적 칼에 죽은 서방님 얼굴
高句麗の盗賊の刃に死んだ旦那様の顔
물끄러미 바라보다
ぼんやりと眺めた

우물로 달려들어
井戸に飛びついて

퐁!
どぼん!

–백제의 태양 [百済の太陽]

 このように普通の演劇ではなかなか表現できないような場面も、パンソリの語りによって鮮明に描写することができるのです。

 このパンソリによって展開される場面描写、韓国語初心者の私にとってはもちろん、ネイティブの韓国人の方にとってもなかなか聞き取りが難しいようなのですが、独特の唄いの調子や曲調の緩急の変化がなかなかに面白く、キリリと鋭い眼光の導唱の方の表情を見ているだけでもかっこいいなぁと感じるのです。