音楽は好きだけど、重くて暗い話なので回数観るのはどうしようかなぁと悩んでいたミュージカル『ミス・サイゴン』。複数回観劇チャレンジ前提で抽選に申し込んで発売日に参戦したものの、結局ご用意いただいたチケットが一枚だけだったので一回のみの観劇になったのですが、その一回がとても良かったので結果的にはとても満足しています。私が観た回のプリンシパルキャストのみなさまは以下の通りでした。
エンジニア:伊礼彼方さん
キム:屋比久知奈さん
クリス:海宝直人さん
ジョン:上原理生さん
トゥイ:神田恭兵さん
エレン:松原凛子さん
ジジ:則松亜海さん
タム:前田桜来さん
eplusの貸切公演でした。
感想
屋比久さんのキムはとても繊細で感受性が豊かで、その幼さが本当に17歳の少女だと感じられるキムでした。大きくて表情豊かな瞳が口よりものを言う雰囲気で、これはクリスじゃなくても庇護欲を駆り立てられるだろうなというのは想像に難くなく。クリスとの出会いから3年経った彼女は短い期間でも母として生きた年月を感じてそれも素晴らしかったです。屋比久さんのキムがあまりにも純粋で幼いように感じるからこそ、色々と際立ってくる対比がこの回ではありました。
神田さんのトゥイは強権を発揮しつつもキムへの真摯な愛情を感じられるトゥイで、それを屋比久キムも感じているからか、完全にトゥイを憎悪できていない感じの二人の関係性込みでかなり好きなトゥイとキムの組み合わせでした。
基本的に私はクリスを好きになれないのでクリスに対する評価が辛いのですが、海宝くんのクリスはそれでも嫌いになりきれない真っ直ぐさがあって、観ていてとてもアンビバレントな気持ちになりました。表現がとても難しいのですが、善良で真摯なんだけど、キムへの気持ちは特殊な状況に置かれているからこそ発生しているように感じるいびつでグロテスクな部分もあって、その危ういバランスが絶妙で。「子供だ」と感じたキムを抱いて自分の恋人にすることによって保護しようと考えるのは、帰国してから彼がエレンを選んだことから考えても平時の彼の考えではなくて、そういう状況にクリスを追い込む戦場、戦争という異常事態の気持ち悪さがより一層際立つ感じがしました。そういった選択をしたクリスを許せるかは別問題として、海宝クリスは間違いなくサイゴンでは病んでいたんだと感じるというか。クリスが帰国後エレンを選んだのはその反動もあるのかなぁと想像したり。
期待していた伊礼さんのエンジニアは期待して以上に凄く良かったです。ギラギラしているんだけど生きるための切実さがあって、茶化しているけどどこかタムに自分を重ねているように感じるエンジニア。エンジニア自体がベトナムとフランスのハーフのブイドイで、自分のアイデンティティをアメリカという今の自分がいる場所じゃない「夢の国」に置いてる彼の複雑さのリアリティが絶妙でした。器用に抜け目なく世間を渡って行けそうに見えるのに「自分はこんなところで終わる男じゃない」と燻っていて、母親を「売る」ことで生きていた幼少時代に苦い記憶を持っているのにその再生産である「ドリームランド」で若い女の子たちを踏み台にしている。そんな生き方しか知らないという面もあるのかもしれませんが、考えれば考えるほどエンジニアは自己矛盾に満ちています。伊礼さんのエンジニアはその小賢しさだけではなく、そういったエンジニアのいびつな部分にも意識が向くエンジニアでした。
ある意味エンジニアと対照的なのはジョンなのかもしれません。サイゴンでの彼は割とクズなのに、3年の間に人の痛みやマイノリティとしての自分に向き合えるようになったように感じます。ジョンは戦時から現実的ではありましたが。サイゴンでのジョンは自分がマイノリティとして差別される側の人間であったのに、弱者であるサイゴンの女の子たちを「消費」することに罪悪感を一切感じていないように見えたのに、その結果のブイドイたちを見て負の連鎖を断ち切るために奔走しています。ジョンの変化は帰国後も苦しむクリスを見ていたからなのかもしれないとも思ったりします。クリスとエレンの善良であるからこその残酷さが一番わかっているのがジョンなのは、彼が自分が受けてきた傷を正面から直視して、傷ついた自分をも受け入れたからなのでは。
上手く文章としてまとめられていませんが、この回の観劇がとても私の中で心に残ったのは、私がこれまで観た『ミス・サイゴン』の舞台の中でもこの話を綺麗でドラマチックなラブストーリーに見せるのではなく、戦火の中の人間関係の特殊さ、その異様さだったり気持ち悪さを感じる部分をそのまま生々しく伝えようとしていたように感じたからかもしれません。