再演を心待ちにしていた大好きな韓国創作ミュージカルの『ラフマニノフ』(라흐마니노프, Rachmaninoff) はその名前の通り、タイトルのロシアの作曲家の音楽とその人生を元に制作された二人ミュージカルです。その『ラフマニノフ』が国立中央博物館の劇場ヨン(龍)で1カ月間だけ初演からのオリジナルキャストで再演されるということで、短い公演期間に合わせて2週連続でソウルに言葉通り飛んで観てきました。私が観れたのは3回。以下の日程、キャストです。
- [2018.6.23 マチネ]
セルゲイ・ラフマニノフ:パク・ユドクさん
ニコライ・ダール1:キム・ギョンスさん - [2018.6.30 マチネ]
セルゲイ・ラフマニノフ:アン・ジェヨンさん
ニコライ・ダール:チョン・ドンファさん - [2018.7.1 マチネ]
セルゲイ・ラフマニノフ:アン・ジェヨンさん
ニコライ・ダール:キム・ギョンスさん
2018.7.1 マチネのキャストボード
ピアニストの方は3回とも上記のキャストボード写真のイ・ボムジェさんでした。ちなみに私が初めて『ラフマニノフ』を観たのは2017年のアンコール公演のタイミング。調べてみたらその時のピアニストさんもボムジェさんで、私が観たことのある『ラフマニノフ』の公演は全て同じピアニストの方で体験していたようです。アンコール公演の時のレポもついでにご紹介します。
脚本はキム・ユヒョンさん。彼女はこの作品の脚本でイェグリン賞を受賞しています。作曲、音楽監督のイ・ジヌクさんも韓国ミュージカルアワーズの作曲・音楽監督賞を受賞。もう一人の作曲者がキム・ボラムさん。演出はオ・セヒョクさん、プロデューサーはハン・スンウォンさんです。ここで記載できなった製作スタッフの方を含めて、女性比率の高い製作陣です。
去年に観た時もすごく好きな作品だなぁと思ったのですが、今季の『ラフマニノフ』は観るたびに聞き取れる内容が増えていき、自分の中で理解が進んでいき、私の中で観るたびに本当にどんどんどんどん大好きな作品に育っていきました。
俳優さんたちの役作りの印象
『ラフマニノフ』は二人によって演じられるミュージカルであり、今季の公演でキャスティングされている俳優さんも4人の初演キャストだけ。その俳優さん全員を観ることができたので、せっかくなのでそれぞれの俳優さんの印象を書いてみたいと思います。
(以下、ネタバレが多く含まれていますのでご注意ください)
パク・ユドクさんのラフマニノフ
圧倒的な音楽の才能を感じさせながらいつも何かに怯えている手負いの小動物のような警戒心を持ったラフマニノフ、というのが私のユドクさんラフマニノフの印象です。曲を作ることができなくなってしまったことに途方に暮れて疲れ果ててしまっているラフマニノフでもあります。「記憶の向こうに」(기억 저편으로)2 で自分を称する言葉は「音楽家」(음악가) であるユドクさんのラフマニノフ。作曲家としてだけではなく、ピアニストとしての自身にも誇りと拘りを感じるユドクさんのラフマニノフはピアノの演奏も素晴らしく、難曲揃いのラフマニノフのミュージカルナンバーの音程の揺らぎのなさは妥協を許さない完璧主義者のイメージがあります。観る前は神経質な天才を想像していたユドクさんのラフマニノフですが、職人気質な天才肌ではありながらも庇護欲を掻き立てられる少年のような繊細さ、いじらしさが印象に残るラフマニノフでした。ラストで照れながら客席のダール先生にこっそり合図している姿がすごくかわいい。
アン・ジェヨンさんのラフマニノフ
ちょっとやさぐれてはいますが、真面目でまっすぐで一本気、何事にも全力で一生懸命というのが去年初めて『ラフマニノフ』を観た時から変わらないジェヨンさんのラフマニノフのイメージ。作曲ができなくなったことに対しては、精神的に参って落ち込んでいるというより思うようにできない自分に歯がゆさを感じて苛立っている印象が強いラフマニノフです。「記憶の向こうに」での自称は「作曲家」(작곡가) のジェヨンラフマニノフ。「これと決めたら一直線」というジェヨンさんのラフマニノフらしい回答だと感じます。去年より吹き替えではなくご自身でピアノを弾く部分が増えたような気がするけど、どうなんでしょうか?感情表現がストレートでわかりやすく、家族もピアノも音楽も大好きだということが全身から溢れ出ているのが微笑ましい、歌声も青年らしい若々しさに溢れるラフマニノフです。暴れる時も泣く時も全力なのが大好き。ラストでおもむろにダール先生を探す姿も、見つけた後に全力の笑顔と身振りで手を振る姿もやっぱりかわいい。
キム・ギョンスさんのダール先生
常に穏やかで優しい人当たりの裏で、静かに張り巡らせている知略を感じるダール先生。ラフマニノフとの距離の詰め方も相手の出方を伺いながら慎重に少しずつ様子を見ながら近付いていきます。なので厳しいズヴェーレフ先生を演じている時の落差が凄いことになってます。ギョンスさんのズヴェーレフ先生は精神的に圧力をかけていくタイプのドS。シャツの袖を捲り上げた両腕を腰に手を当てた姿の威圧感もハンパないですが、ピアノ指導中に「もっと!もっと!」と怒声をあげた後に高揚した雰囲気で声を立てずに笑っている姿は、サイコパスじみていて怖すぎます。(褒めてます)チャイコフスキー先生を演じている時の独特のセクシーな手と指先の動きも絶妙な奇人っぷり。ダール先生を演じている間は常に穏やかなギョンスさんなので、「もうこれ以上」(이젠 더 이상) で乱暴に書類の束を周りに投げつけ、荒ぶる感情を唯一見せる場面が印象に残ります。ギョンスさんのダール先生はラフマニフに対してしたように、精神科医の領分を踏み越えて治療に挑んだことは今までになかったことなのではないかな、と思います。ビオラを始めたのもラフマニノフに近づくためなのかも。穏やかな顔の裏に秘めた熱い想いが印象的な先生です。
チョン・ドンファさんのダール先生
いつもニコニコしていて明るくてマイペース、自分のペースに人を巻き込みながら周囲を明るくさせる陽のエネルギーを感じるドンファさんのダール先生。ラフマニノフとの距離の詰め方もそんな性格を反映して、相手の反応にはお構いなくダール先生のペースでグイグイいきます。「ビブラートを練習しているんですよ」と言いながら得意気にビオラのビブラートをラフマニノフに聞かせるのもいかにもドンファさんのダール先生らしくて笑ってしまいます。私の偏見ですが(←)、過去の部活での経験なんかからもビオラの演奏家ってどこかマイペースで変わった人が多いイメージがあり、ドンファさんのダール先生はまさにその典型(笑)一転、ドンファさんのズヴェーレフ先生は厳格、少し短気で癇癪持ちなイメージ。ピアノもあまり長くは聞いてくれません。ドスンドスンと足を踏み鳴らす音に本気でびっくりしてしまう怖くて厳しい先生で、やっぱりダール先生との落差が激しい。カーテンコールでラフマニノフに握手のために手を差し出された時の本当にうれしそうな顔がとても素敵なダール先生です。
好きな場面
作品まるっと大好きなので、好きな場面だらけなのですが今期の3回の観劇で理解が進んで新たに加わった好きなシーンを中心に書いてみたいと思います。そう書きながら私の韓国語力の問題で解釈が間違っている部分も多々あるかもしれませんので、その点何卒ご容赦ください。本筋から横道に逸れた感想などは一部注釈のほうに書きました。
ズヴェーレフ先生との思い出
12歳の時にズヴェーレフ先生の弟子となり、先生の家に下宿しながらモスクワ音楽院に通うことになったラフマニノフ。ダール先生がラフマニノフの家に訪れた時、求めた握手を握手する関係にないからしないと拒絶する件がありますが、これはラフマニノフがズヴェーレフ先生に初めて会ったときに先生から言われたことだったことが判明します。そんなことからも、いろんな面でラフマニノフがズヴェーレフ先生の影響を受けていたことがわかります。
ダール先生に「どんな先生だったのですか?」と聞かれ、「良い先生でした」と答えるラフマニノフ。ダール先生はさらに、「良い先生だったのなら、ラフマニノフ氏が苦しんでいるのをどれだけ悲しむでしょうね」と問いかけます。ダール先生の言葉を遮って「悲しむことはありません」と答えた後にラフマニノフから語られるズヴェーレフ先生との思い出は、とても胸を締め付けられるほろ苦いものでした。
出会った時から批判された交響曲を書く目標を恩師にいまだ認められないまま、ラフマニノフの学院での生活の日々は過ぎていきます。そんなある日、ラフマニノフは尊敬する作曲家であるチャイコフスキーに出会います。敬愛するチャイコフスキー先生に作曲の才能を評価され、天に上るような気分になるラフマニノフ。ラフマニノフの才能を評価したのはチャイコフスキーだけではなく、ラフマニノフはその優秀な作曲の成績によりモスクワ音楽院の金メダルを受賞します。意気揚々と金メダルを持ち帰ったラフマニノフにズヴェーレフ先生がかけた言葉はいつも通り「ピアノの前に座れ」とピアノの練習を促す言葉だけ。それどころか、ラフマニノフの金メダルは先生により床に落とされ、ギョンスさんの先生に至ってはその金メダルを何度もラフマニノフの眼前で踏みつけさえします。出会いの時からラフマニノフが作曲することに否定的だったスヴェーレフ先生。先生は才能あるピアニストが作曲に時間を費やすのは時間の無駄遣いだという考えを持っていたのです。先生に認めてもらえない悔しさ、悲しさからラフマニノフは練習をするようにいいつける先生に逆らい、平行線を辿る二人は激しい言い争いを始めます。
私が実際に観て比較できたのはギョンスさんのズヴェーレフ先生に対してだけですが、先生に怯えながらも勇気を振り絞りながら反抗する様子のユドクラフ3に対して、真正面からぶつかっていくジェヨンラフ。対するズヴェーレフ先生の反応も、ユドクラフに対しては隠しきれない戸惑いを迷いを見せながらも声を荒げ、やはりジェヨンラフに対しては全力で正面からぶつかって応酬します。
이제서야 깨달아
やっと気づいた
무얼 원하는지
何を望んでいるのか과거 나를 버리고
過去は私を捨てて
기다리지 않을 거야
待たないんだ이제는 내 음악
これは私の音楽당신 허락 따위
貴方の許可など
더 이상 필요 없어
これ以上必要ない!
そう言い捨てて先生と喧嘩別れをしたままモスクワ音楽院を卒業した後、ズヴェーレフ先生は亡くなってしまいます。卒業後に発表した『交響曲第1番』が受けた酷評。「劣等感」(열등감) の曲中の歌詞にあるズヴェーレフ先生の
그래 지켜봐 주마
そうか 見てやろう네가 마주할 실패의 순간
お前が向き合う失敗の瞬間나를 배신한 네 얼굴
私を裏切ったお前の顔
という言葉がラフマニノフの心に重くのしかかったことは想像に難くなく。先生と袂を分かつことになったからこそ、絶対に成功しなくてはいけなかったのにという思いもあったに違いありません。「あの天の上で先生はなんて思うだろう」と嘆くラフマニノフ。ここはちょっと聞き取りに自信がない部分なんですが、そんなラフマニノフに先生がかけた言葉4は、「自分がここにいられる理由を証明しろ」と初対面時にラフマニノフがピアノの腕を試された時と同じく、
나쁘지 않았어
悪くなかった
という言葉といつも通りの「早くピアノの前に座れ」という言葉。先生から差し出される手を取ることができないラフマニノフ。考えるに、厳格なズヴェーレフ先生が言う「悪くなかった」というのは先生流の最大の賛辞だったんじゃないかと思うのです。作曲することを先生に認められなかったとラフマニノフ自身は長年思っていたのでしょうが、きっと先生は作曲の才能以上にピアニストとしての才能を高く評価していただけで、とっくの昔にラフマニノフの才能を認めていたのではないかと思うのです。だけど、ラフマニノフ自身は誰からも認められるような大成功と共にズヴェーレフ先生に認められたかったんだろうな、とも思います。
部屋の脇に置かれたトルソーにかけられた赤い燕尾のコートを折りたたみ、金メダルと共にズヴェーレフ先生の墓前に供える一連のシーン。実際にラフマニノフが先生のお墓参りをしたというよりは、ラフマニノフが恩師との思い出話をダール先生に話すことにより、長年重石のようにのしかかっていたラフマニノフの後悔を認めて受け入れるための儀式のように感じました。先生の墓標の前で涙を流すラフマニノフ。すれ違いながらもお互いを思い合う師弟の心のうちを感じて涙なしには観れないほろ苦いエピソードですが、ラフマニノフの心とダール先生との関係が一歩前進したことが感じられて本当に大好きなシーンです。5
ダール先生がラフマニノフの治療を希望する理由
ズヴェーレフ先生の思い出を話をしたことや、前向きな言葉の暗示の治療によって距離が接近したラフマニノフとダール先生ですが、ラフマニノフを治療していることが新聞記事として書かれことを知り、ラフマニノフはダール先生が自分が名声を得るために治療を引き受けたのではないかと疑い、ラフマニノフは再びダール先生に対して心を閉ざしてしまいます。
내 욕망이 내 두 눈을 속여
私の欲望が私の両目を欺き
쌓이는 동안 난 여전히 이곳에
積もっていく間 私は依然としてここに몰아치는 나의 말들이
急き立てる私の言葉が
닫혀버린 네 마음 더 굳혀
閉ざしたあなたの心をさらに固くし네 마음속에 높아만 지는 벽
あなたの心の中で高くなるばかりの壁
부수려 아무리 애써 봐도
壊そうといくら頑張ってみても여전히 그대로 너는 제자리
いまだそのまま あなたは元の場所
어떻게 마음에 닿을 수 있나
どうやって心に触れられるだろうか
一方、ラフマニノフも作曲への情熱を思い出せなくなくなるくらいの虚無感に襲われます。いつも全力なジェヨンさんラフマニノフの茫然自失したような表情、いつになく全身で苦しみを表現するユドクさんのラフマニノフ。
治療を急ぎすぎたことを後悔し、ラフマニノフに言われた通り出ていくために一度荷造りまで始めたダール先生。先述のとおり、ギョンスさんはそれまでの穏やかさから想像できない荒々しさでラフマニノフの治療記録の書類を撒き散らし、ドンファさんはそれまでのマイペースな剽軽さがかけらも感じられない差し迫った表情で荷造りをします。長い逡巡の末、ダール先生はラフマニノフのもとに留まり、ウィスキーの力を借りつつも正直な胸の内をラフマニノフに話すことを決意します。6「天才ピアニスト、ラフマニノフを治療した偉大な精神科医ニコライ・ダール。素敵じゃないですか」といい、名声を得たい気持ちがあった事実を素直に認めながらも、ダール先生は自身の思い出話をラフマニノフに話し始めます。
それは昔ダール先生がアメリカに留学7していた時のこと。ある晩、通りを歩くダール先生が耳にしたのは誰かがピアノを弾く音。印象に残ってダール先生の心に残り続けたその音色。
내 안에 들어와
私の中に入ってくる
내 맘에 따뜻하게 녹여준 소리
私の心を温かく溶かしてくれた音그 멜로디 내게 힘을 줬지
そのメロディ 私に力をくれた
희망을 포기했던
希望を放棄した
날 붙잡았던 멜로디를 들어
私を引き留めたメロディを聞く소리 내 안에 울려
音が私の中で鳴る
귀에서 마음으로
耳から心へ
귀에서 마음으로
耳から心へ
들려오죠
聞こえてきます
너의 마음 내 마음으로 와
あなたの心 私の心に近づいてくる
ダール先生が鼻歌で口ずさんだメロディは後に先生に献呈される『ピアノ協奏曲第2番』の一節。劇中では明示的には語られていなかったと思うので私の勝手な思い込みかもしれませんが、ダール先生の心を強く揺り動かしたピアノの音、旋律、それはラフマニノフのピアノの音色だったのではと思っています。遠い異国の地で聞いた故国の作曲家の美しいメロディ。貴方は音楽を通してずっと心の声を聴かせてくれた。貴方の音楽に力を貰った、だから貴方の手助けがしたい。ダール先生の言動は単なる精神科医の領分を超えて、長年の友人を励ますような親密さに満ちていると感じるのですが、そんなダール先生だったからこそ、ラフマニノフは再び心を開き、一歩踏み出そうとすることができたのではないかと思います。
「貴方はすでに愛されている音楽家です」
これは去年のレポでも書いたんですが、やっぱり『ラフマニノフ』の好きな場面としては外せないのでまたもう一度。
ダール先生の催眠療法を経て、ラフマニノフのどうしても作曲家として成功しなくてはならないという脅迫概念の根底には、若くして亡くなった姉のエレナに対する罪悪感があることに辿り着きます。その気持ちを涙とともにダール先生に吐露した後8、ラフマニノフは憑き物が落ちたように感情が安定しはじめます。
나는 새로운 곡을 쓸 것입니다.
私は新しい曲を書くでしょう내가 새로운 곡을 쓰게되면, 관객들은 나를 사랑하게 줄 것입니다.
私が新しい曲を書くようになると、観客たちは私を愛してくれるはずです
「曲を書きたい」と言うラフマニノフに対し、前向きな言葉を何度も復唱させるという方法を採ったこともあるダール先生。ラフマニノフが快方に向かっているのを見届けて、ダール先生はラフマニノフに贈る言葉を短い手紙に残し、借りていた部屋をそっと後にします。
당신은 이미 사랑받는 음악가입니다.
貴方はすでに愛されている音楽家です당신이 새로운 곡을 쓰던 쓰지 않던 관객들은 당신을 사랑해 줄 것입니다.
貴方が新しい曲を書いても書かなくても 観客達は貴方を愛してくれるでしょう
いつも通りの優しい笑顔を浮かべながら読み上げたその言葉は、一音、一音に万感の思いが込められているように感じられて。「観客たち」という言葉を借りながら先生がラフマニノフに伝えたかった強い思いを感じて泣いてしまうのです。
一方、どこかダール先生がラフマニノフの元を離れる予感を感じていたような雰囲気を感じるラフマニノフ。でもその表情はあくまで穏やかです。人の気配が無くなった部屋を覗き込んだラフマニノフが見つけたのはダール先生のビオラとその弦に残された置き手紙。劇中で一番穏やかで温かな微笑みを口元に浮かべるラフマニノフ。それは見ているこっちまでも幸せな気分にさせて、心底良かったとほろりとさせるような笑顔で…。
握手
『ラフマニノフ』のミュージカル本編はラフマニノフが自ら指揮する『ピアノ協奏曲第2番』の演奏会でラフマニノフが客席の中からダール先生を発見する所で幕が降りますが、その直後に開始されるカーテンコールも物語の一部のように演出されています。再び舞台の上に登場する二人が歌うのは劇中でダール先生が歌う「エレナ」(엘레나) のリプライズ。
난 기억해
私は覚えている
내 손 잡아 줬던
私の手を握ってくれた
따스한 너의 손을
温かいあなたの手を아픈 날
苦しむ私を
웃게 해줬던
笑わせてくれた
고통 잊게 해준
苦痛を忘れさせてくれた이제는
もう
아파하지 마
苦しまないで
난 괜찮아
私は大丈夫들어줘 피아노 소리
聞いて ピアノの音
너에게 선물했었던
あなたに贈った
그 멜로디
そのメロディ들려줘 피아노 소리
聞かせて ピアノの音
나에게 선물했었던
私に贈った
그 멜로디
そのメロディ기억나 너의 목소리
覚えている あなたの声
날 부르던
私を呼んだ
보여 미소가
見える笑顔が
어젯밤 꿈에 보았었던
昨晩夢で見た
너를 위해서
あなたのために
연주했었던
演奏した
언제나 꿈꿔왔던
いつも夢見てきた
멜로디
メロディ
歌い始めはラフマニノフ、次にダール先生、最後に二人のデュエットと続きます。「手」と「ピアノの音」がキーワードになっている「エレナ」の歌詞。劇中で姉エレナの言葉としてダール先生が歌った歌詞がそのままラフマニノフからダール先生への言葉になっていて、そしてこの「エレナ」もラフマニノフがダール先生に捧げた『ピアノ協奏曲第2番』の旋律をベースにしているという構成のニクさ。
マイ千秋楽となった2018.7.1マチネのカーテンコールのファンカム動画
キム・ギョンス(ダール)、アン・ジェヨン(ラフマニノフ)
出会いでは、ダール先生が差し出した手をけんもほろろに拒否したラフマニノフ。握手をすれば、そこから関係が生まれる。だから人生を通り過ぎていくだけの人とは握手しない。そんな恩師譲りの考えのラフマニノフが自らダール先生に握手のために手を差し出すことは、二人の間に今後も続いていく絆ができた証明以外の何物でもなく。そのことを噛みしめるような先生の表情、二人の笑顔にやっぱり涙してしまうのです。
ミュージカル『ラフマニノフ』の魅力をまとめると
演技力、歌唱力のどちらも折り紙つきの俳優二人の濃密な演技と、偉大なヴィルトーゾで作曲家のラフマニノフの美しい音楽にのせられた豊な感情の表現と演奏が堪能できる楽曲。カタルシスを得られること間違いなしの傷付いた魂の再生と友情の物語。どこをとっても本当にラフマニノフは大好きなところだけです。できることならもっともっと、色んな人に観ていただきたい本当に大好きな作品です。
先日千秋楽を迎えた『ラフマニノフ』の再々演ですが、今年は秋に中国公演も予定されています。『ラフマニノフ』が海外で上演されるのは、この中国公演が初めてになるようです。日本の方々にミュージカル『ラフマニノフ』の魅力をもっともっと知ってもらうために、いつか日本公演、もしくは来日公演が実現する日を夢見ながら、またラフマニノフとダール先生の笑顔に再会できる日を楽しみにしています。
チケットセールを告知するHJ Cultureのツイート
[#뮤지컬라흐마니노프-중국진출] 뮤지컬<라흐마니노프> 11월 중국공연 진출확정! 감사한 마음 담아 중국진출할인 30% 진행합니다!
— HJ컬쳐(주) (@HJCULTURE) 2018年6月25日
중국진출할인 6.26-7.1 공연예매(6.25-7.1 예매 시)
인터파크▶ https://t.co/YmDSZAc9x1
예스24▶ https://t.co/vYeuBpFcRt pic.twitter.com/ru9zKB4MkI
[2022.6.6更新]
「劣等感」の動画がリンク切れになっていたので別の動画に差し替えました。
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日本語表記ではニコライ・ダーリと表記されることのほうが多いですが、ここではハングルの表記に合わせてダールとします。↩
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動画のユドクさんは私の知ってるユドクさんのラフマニノフとあまりにキャラが違うので戸惑いを隠せません。対ギョンス先生だと怖すぎるからああなって、対ドンファ先生だとあんなスレたラフマニノフになっちゃうのか。演技プランを再演では変えてきたのか。このペアも観たかった…。↩
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【2022.6.7追記】実際にズヴェーレフ先生が言った言葉ではなく、先生は貴方にこう言ったんじゃないですかというダール先生の言葉なのですが、この場面ではどちらを演じているのかが若干曖昧な演出になっています。↩
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英語版のWikipediaによると、実際には、ラフマニノフとズヴェーレフ先生の確執はラフマニノフが作曲に集中するために籠れる場所とピアノを借りるための支援を求めたことで始まったようです。劇中の通り、才能あるピアニストにとって作曲活動は時間の無駄遣いだと考えていたズヴェーレフ先生はラフマニノフの要求を却下し、一切ラフマニノフに対して口を利かない期間が続いたようです。そんな二人の関係が変化したのは、ラフマニノフが一幕オペラ『アレコ』で最優秀成績で金メダルを獲得した際。試験の評価委員の一人だったズヴェーレフ先生はラフマニノフに自身の金の懐中時計を贈り、二人の長いわだかまりは解けたようです。実際に二人がこのように和解できたと知れるとなんだかほっとしてしまいます。↩
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ギョンス先生は動画の通りお酒の力をだいぶ借りている感じですが、マイペースなドンファ先生はほとんどお酒の力は借りずに告白しているところも二人のキャラの違いが見えて面白いです。そして2016年の初演のプレスコールの時はギョンスさんのダール先生はネクタイしてなかったんですね。ネクタイなしのギョンス先生はさらにいつもと違う雰囲気で新鮮。↩
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【2018/7/13 修正】友達に教えてもらい、アメリカには旅行ではなく留学していたと話していたことがわかったので訂正しました。コマウォヨ、チングヤ!↩
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7/1の公演では、ジェヨンさんラフマニノフの罪悪感の告白の後にギョンスさんの先生も流した涙を拭っていて、そんな先生の肩にジェヨンラフはそっと手を置いて、先生もその手に自分の手を重ねていたのがすごく印象に残っています。↩