イギリスのナショナル・シアターが主催する映画館で舞台作品のライブ・ビューイングを楽しめる「ナショナル・シアター・ライブ」(National Theatre Live, 以下 NTL )。1 2018年上期に上映が予定されていた『エンジェルス・イン・アメリカ』(Angels in America, 以下 AIA と略記することあり)、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(Rosencrantz and Guildenstern are Dead, 以下 ロズギル と略記することあり)の二作品の上映がすべて終わり、どちらの作品も観劇することができたので、まとめて簡単に感想を書きたいと思います。
(以下ネタバレが多く含まれますのでご注意ください。)
エンジェルス・イン・アメリカ
作品紹介
『エンジェルス・イン・アメリカ』はトニー・クシュナー (Tony Kushner) の二部構成の戯曲で、日本のNTLでは第一部の『至福千年紀が近づく』(Millennium Approaches) が2月上旬、第二部『ペレストロイ』(Perestroika) が3月下旬に上映されました。
まずはWikipedia先生から引用したテレビドラマ版AIAのあらすじと、NTL版のキャストをご紹介します。
あらすじ
1980年代、ロナルド・レーガン大統領時代のアメリカ。エイズは同性愛者だけがかかる癌であると思わされていた時代。政治、経済、宗教、人権、法律、医療...アメリカは様々な闇を抱えていた。赤狩りの時代に権力を得た弁護士ロイ・コーンは、目をかけている連邦控訴裁判所の首席書記官ジョー・ピットをワシントンの司法省に送り込もうとする。しかしジョーは妻ハーパーを気遣い返事を保留する。ハーパーは何故かジョーへの不信感を募らせ精神安定剤を飲んでは現実逃避ばかりしているのだ。ジョーと同じ職場で働くルイスは同性の恋人プライアーからエイズであることを告白される。ショックを受けたルイスはプライアーの前から突然姿を消してしまう。そんな中、ルイスとジョーは出会い、ふたりは親しくなっていく。息子ジョーから同性愛者であると告白された母ハンナは急遽上京、ひょんなことからプライアーと知り合い、彼の面倒を見るようになる。そのプライアーの前には、突然天使が現れ、彼には使命があると告げていく。一方、ロイ・コーンもまた主治医からエイズを宣告される。しかし彼の病床を訪れるのは天使ではなく、自分が電気椅子送りにした死者だった。
キャスト
- プライアー・ウォルター (Prior Walter):アンドリュー・ガーフィールド (Andrew Garfield)
- ルイス・アイロンソン (Louis Ironson):ジェイムス・マクアードル (James McArdle)
- ロイ・コーン (Roy Cohn):ネイサン・レイン (Nathan Lane)
- ジョーセフ・ピット (Joseph Pitt):ラッセル・トヴェイ (Russel Tovey)
- ハーパー・ピット (Harper Pitt):デニース・ゴフ (Denise Gough)
- ハンナ・ピット (Hannah Pitt):スーザン・ブラウン (Susan Brown)
- べリース (Belize):ネイサン・スチュアート=ジャレット (Nathan Stewart-Jarret)
- 天使 (The Angel):アマンダ・ローレンス (Amanda Lawrence)
感想
第一部:至福千年紀が近づく
観劇日:2018/2/4
まず最初に観劇後に思ったのは、「ええー!?ここで終わるの!?そんな殺生な...!」です。物語が大きなうねりをもって動き始めたと感じる物語のターニングポイントで無常に降ろされる幕に、高揚した気持ちをどこに持っていけばいいのか、頭を抱えたくなる。NTLの主催者をジト目で睨みたいような気分になったのを思い出します。劇場で生で観ている人や、リアルタイムのライブビューイングで観ている人は翌日に続きを観れるのに、東洋の島国に住んでいるが故に私は続きを見るのに1カ月半も待たないといけないのか、と(笑)
当時は不治の病であったエイズに冒されたことに絶望するプライアー、病魔に蝕まれていく恋人を傍で見守る苦しみに耐えられないルイス。現実から目を背けて薬と妄想に溺れるハーパーとそんな妻や自分のセクシュアリティと上手く折り合いがつけられないジョー。勝ち取ってきた権力でも思い通りにならない不治の病が受入られず最後まで足掻こうとするロイ。どの登場人物も人間臭くて、不完全で、彼らが抱える苦しみは決して他人事ではなくて。現代を生きる人々の苦しみ、痛みのリアリズムを突き付けられて、心を抉られながらスタートした物語が大きく現実を離れて浮遊し、羽ばたく瞬間までが第一部の『至福千年紀が近づく』だと感じました。
第二部:ペレストロイカ
観劇日:2018/3/21
「ペレストロイカ」という言葉について、なんとなく「ロシア」「革命」「ゴルバチョフ」などのキーワードが漠然と並ぶくらいのイメージしかなかったのですが、改めて調べてみると、「ペレストロイカ」(перестройка) はロシア語で「再構築」という意味であるとのこと。改めて考えてみると、この「再び」「築く」というのがAIA第二部の大きなテーマとなっているのだなぁと感じます。
第一部ラストの天使の登場により物語が大きく動き始めた『エンジェルス・イン・アメリカ』の物語。神の不在に動揺し、右往左往しながら人間たちに「動くな」と伝えよと自分勝手に言い放つ天使たち。「使者」などという大層な大義名義分を貰ってもそんなことはご免だ、自分たちは動き続けるんだと死を身近に感じながらも言い切れるまでに強くなったプライヤー。そんなプライヤーが観客を含むすべての人々に "I bless you" と祝福を与えてくれる姿は、彼自身が「アメリカの天使」になったように感じるとても印象的なラストでした。
個人的にすごく好きなのはプライアーとハンナの関係性。対極のように感じる存在だからこそ、フラットにお互いをあるがままに受け入れることができて、必要としてし、必要とされ、そのことにお互いが素直な感謝の気持ちを伝えられる関係。実は知り合いを介して二人が全く無関係ではないことが判明しても変わらない二人の関係。プライアーがもがき苦しんだ結果、築くことができた疑似家族のような彼らの関係はただただ温かくて心がほっこりするのです。懐と情が深くてかっこいいべリースも大好き!どうも私はこういう気風のいいおねえさまに弱いようです。
『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』
作品紹介
あまりにも有名なシェイクスピアによるデンマーク王子の悲劇『ハムレット』。『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』はそのハムレットの最終幕の台詞がそのままタイトルになった『ハムレット』のスピンオフ、あるいは二次創作と言ってもいいようなトム・ストッパード (Tom Stoppard)の戯曲です。この戯曲の主人公はハムレットの学友であり、先述の台詞ひとつだけでその行く末が片づけられてしまうローゼンクランツとギルデンスターン。『ハムレット』の裏側の物語を彼らの視点で追っていく形で「ロズギル」の物語は進んでいきます。
キャスト
- ローゼンクランツ (Rosencrantz):ダニエル・ラドクリフ (Daniel Radcliffe)
- ギルデンスターン (Guildenstern):ジョシュア・マグワイア (Joshua McGuire)
- 座長 (The Player):デイビッド・ヘイグ (David Haig)
- アルフレッド (Alfred):マシュー・ダーカン (Matthew Durkan)
- ハムレット (Hamlet):ルーク・ムリンズ (Luke Mullins)
- クローディアス (Claudius):ウィル・ジョンソン (Wil Johnson)
- ガートルード (Gertrude):マリアン・オールドハム (Marianne Oldham)
- ポロニアス (Polonius):ウィリアム・チャブ (William Chubb)
感想
観劇日:2018/5/25
「ロスギル」はコメディにおそらく分類される作品で実際劇中めちゃくちゃ笑ったのですが、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』というタイトルそのままにローゼンクランツとギルデンスターンの二人が死を迎える瞬間までを描いた作品なので、観劇後はなんとも切ない気分になってしまい、久しぶりに自分が生きていることの意味、意識があることや私にもいつか訪れる死のことについて少し考えてしまいました。
ローゼンクランツとギルデンスターンは『ハムレット』の物語の中では脇役で、ハムレットの主役級の登場人物のような華々しさはありませんが、「ロズギル」の戯曲の中では『ハムレット』を観たときには感じなかった個性が二人に与えられています。ギルデンスターンは少し臆病でいろんな物事にあれこれと考えをめぐらさずにいられない慎重派。ローゼンクランツは天然でちょっとお調子者の気のいい男。どちらもすこぶる善良で、ジョシュア・マグワイアさんとダニエル・ラドクリフくんが演じる彼らはどこか小動物的で憎めなくてかわいらしい。劇中クローディアスに名前をあべこべに間違われられ、さらに自分たちでもどっちがどっちなのかときにわからなくなる姿が観客の笑いを誘いますが、ちゃんと独立した個性として描かれている彼ら。二人は「ロズギル」の主人公であるはずなのに、自分の置かれた状況を全く理解しておらず、ハムレットやポロニアスなどの『ハムレット』側の主役級の登場人物に振り回されている姿は、面白いんだけどなんとも哀れ。しかも、彼らを待っているのは突然の不条理な死です。そういう物語の構造から、他人に振り回されずに自分の思うような人生を生きることのありがたみを感じずにはいられないのです。特に、それまで楽観的に見えたローゼンクランツが退場前にこぼす台詞が切なかった。そして、ローゼンクランツとギルデンスターンの二人とは打って変わって自由気ままに振る舞う座長をはじめとする旅の一座が漂流する「演じる」人たちであることがなんとも皮肉で、その対比もとても印象に残りました。
このような内容の戯曲なので、正直、『ハムレット』を観たことがない、知らない方にとっては話の流れについていくのが結構辛いかもしれないです。ローゼンクランツとギルデンスターン以上に何が起こっているのかよくわからない不条理劇としてもしかして楽しめるのかもしれませんが。逆に『ハムレット』を知っていると、思わずニヤリとしてしまうような仕掛けが色々あったりするので、これから「ロズギル」を観劇する予定のある方は『ハムレット』の筋を頭に入れてから観劇をおすすめします。
- イギリス本国のNTL公式ホームページ
http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/ - 日本のNTLホームページ
https://www.ntlive.jp/
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日本ではリアルタイムのライブ上映ではなく、日本語字幕がついた後に時間差で上映されています。↩