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【観劇レポ】ナショナル・シアター・ライブ『リーマン・トリロジー』(The Lehman Trilogy)《2020.2.20》

The Lehman Trilogy

 2018年以来ものすごく久しぶりにナショナル・シアター・ライブ(National Theatre Live, 以下NTライブ)を観てきました。観たのは渡英した時にソールドアウトで観れず、日本でのNTライブ上映が始まると大絶賛の嵐で気になっていたサム・メンデス (Sam Mendes) 氏演出の『リーマン・トリロジー』(The Lehman Trilogy)。この記事のサムネイルにも使っている上の写真は手持ちの『マクベス』のプログラムに掲載されていたナショナル・シアターの上演予定ラインナップの説明。サイモン・ラッセル・ビール (Simon Russel Beale)、アダム・ゴドリー (Adam Godley)、ベン・マイルズ (Ben Miles) のたった3人の俳優がリーマン・ブラザーズ創始者兄弟だけではなく、彼らの妻や息子たち、取引先や近隣住民たちなどありとあらゆる人物を演じきります。221分に凝縮された三兄弟から始まったリーマン一族とアメリカ金融史の150年超の物語。三幕で4時間弱の時間があっという間に感じられるほどとても面白い観劇体験でした。

作品紹介


NTライブ・ジャパン予告編動画
 

 イタリアの劇作家ステファノ・マッシーニ (Stefano Massini) 氏により、元々はラジオドラマとして書かれた『リーマン・トリロジー』。この作品が舞台化されたのは2013年のサン=テティエンヌでフランス語に翻訳されての上演でした。NTライブで上映されたのはベン・パワー (Ben Power) 氏による翻案で英語に翻訳されたバージョン。ナショナル・シアター版『リーマン・トリロジー』は2018年7月12日から同年10月20日までサウスバンクのナショナル・シアターのリトルトン劇場 (Lyttleton Theatre) で上演された後、ウェストエンドのピカデリー劇場 (Piccadilly Theatre) で2019年5月11日から8月31日までのランを終了。2019年のオリヴィエ賞では「Best New Play」、「Best Actor」、「Best Director」、「Best Set Design」、「Best Sound Design」の5部門でノミネートされています。ロンドン以外では2019年3月22日から4月20日までニューヨークのパーク・アベニュー・アーマリー (Park Avenue Armory) で上演されており、今後2020年3月22日からブロードウェイのネダーランダー劇場 (Nederlander Theatre) 劇場でのオープンを予定しています。今回のNTライブの映像は2019年のピカデリー劇場でのラン中に撮影されたもの。ロンドン、ニューヨークのいずれも同じキャストで上演されています。

VOGUE紙の『リーマン・トリロジー』の記事(英語) www.vogue.com  

 上記のVOGUE紙の記事によると、2008年のリーマン・ショックの当事者たちが多数住んでいるマンハッタンで再度上演するにあたりさらなるブラッシュアップも進めているようです。


The Lehman Trilogy | Behind the Scenes
『リーマン・トリロジー』の舞台裏動画

感想

(以下、ネタバレが含まれるためご注意ください。)

 TOHOシネマズ日本橋での最終上映回に仕事を早めに切り上げて滑り込んで観てきた『リーマン・トリロジー』。今まで私があまり経験したことがない、ナレーションによって大部分が進められる形式の戯曲。ナレーションとダイアローグが瞬時に切り替わり、さらに俳優が演じる役も切り替わりながらも誰がどの役を演じているかを混乱することなく観れる名演と脚本。近代的な都会のオフィスビルのフロアを連想させるガラス張りのシンプルなセット。そのセットが回転し、背景に19世紀半ばから21世紀初頭のアメリカの風景や登場人物達の心象風景を映し出していく映像演出。時によっては誰よりも雄弁に物語を語る生演奏のピアノ音楽。詩の朗読のように心地よいリズムと音で紡がれる物語。リーマン兄弟達から始まったアメリカン・ドリーム盛衰の物語はこの戯曲を通して初めて知る事実も多く、とても面白く観ることができました。

叙事詩、あるいは現代の神話としての『リーマン・トリロジー

 例えば、リーマン・ブラザーズ創始者の兄弟がドイツからの移民のユダヤ人の三兄弟だったこと。まず長男ヘンリー(ハイアム)がアメリカへと渡り、彼がオープンした「H. Lehman」というお店からすべてが始まったこと。後からヘンリーに合流した次男エマニュエル(メンデル)と長兄との間をとり持つために三男マイヤーも呼ばれたこと。兄弟それぞれを称して

The head
The arm
And the potato

と3人の俳優さんたちがリズミカルに口にする様は耳に馴染みよく、さらになんだか微笑ましく。三十代前半の若さで亡くなったヘンリーがいずれニューヨークへ行きたいと語っていたという証言が、残された兄弟を南北戦争の爪跡の大きいモンゴメリーからニューヨークに拠点を移すことを後押しする時にも、

Because Henry is always right.

のリフレインされたフレーズ。これ以外にも繰り返されて耳に残る台詞がとても多く、俳優が語るナレーションによって展開する様子と相まって色んな方々がこの作品を形容して「叙事詩」「詩劇」に喩えていることに大いに納得しました。役者が一人称ではなく三人称を多用することによって発生する役と俳優の絶妙な距離感も不思議な体験。

 バベルの塔ノアの方舟など旧約聖書の『創世記』に登場する物語が一族の人間の転機で象徴的に取り上げられるのもとても印象深く、それが色彩豊かな悪夢の形で現れるのも興味深かったです。戯曲全体に現代の神話的な雰囲気を与えるとともに、リーマン一族がユダヤの家系であること改めて思い出させられました。フィリップの躍進をカードゲームにおける技巧に見立てたり、ニューヨークの摩天楼の間を文字通り綱渡りした伝説の軽業師の物語が暗黒の木曜日を暗示したり、ツイスト・ダンスの流行をサブプライムローンの流行に踊る人々の狂乱に喩えたメタファーも面白く。どんどん短くなっていくシヴァ1の時間に象徴されるようにユダヤの伝統から離れていったリーマン・ブラザーズ。2008年のリーマン・ブラザーズ破産時には一族の経営者がすでにいない状態だったこともこの作品を観て初めて知った事実でした。

 アラバマ州モンゴメリーの個人商店からスタートして綿花のブローカーになり、南北戦争を乗り切った兄弟達がニューヨークへと拠点を移すまでを描いた「Three Brothers」。巧みな話術と計算し抜かれた戦略によって父エマニュエルから受け継いだ会社をフィリップが大きくしていき、いつしか取り扱う商品も実体を伴った商品から目に見えない金融商品に変わっていった過程を描いた「Fathers & Sons」。偉大な父フィリップからブラック・サーズデイの混乱のさなかに会社を引き継いだボビーがなんとかその難局を乗り切った後、一族の手を離れた会社の社長が信頼と安心を売る銀行部門のトップから稼ぎをひたすら追求する投機部門のトップへと移り、アメリカの住宅バブル崩壊と共に経営破綻。その事件が「リーマン・ショック」という通称が与えられ、リーマン・ブラザーズの名前が歴史に刻まれて「The Immortal」(不滅の存在)となるまでを描いた第三幕。最後の最後で創始者の三兄弟の語りで一族の物語が終結を迎えるとともに、それまで舞台上に一切登場しなかった3人の俳優以外の俳優たちがリーマン・ブラザーズの解散を受けて自分たちの荷物を整理するオフィス・ワーカーとして無言で登場し、どこか神話めいていた『リーマン・トリロジー』の物語が私たちが今生きる時代に続き、影を落としている話であることに気づかせられて肌がゾワっとしました。

名優による名演

 出演している3人の俳優さんはみなさんベテランですが、本当に「匠の技をしかと拝見させていただきました!」という気分です。

 サイモン・ラッセル・ビールさんは同じくサム・メンデス演出でNTライブで上映されたの『リア王』のタイトル・ロールを務めることになったときのインタビューで「サンタクロースのような見た目」と自分を称していたことがやけに記憶に残っているのですが、その言葉からも想像できる通りとてもチャーミングでキュート。女性役もマイヤーの妻となる可憐なバベットから悪女の雰囲気漂うボビーの最初の妻ルースまで変幻自在。サーの称号を持つシェイクスピア俳優をつかまえてこういうのもなんですが、一家に一台欲しい愛らしさで何度も悶えました。(←)キュートさばっかり強調しましたが、物語の冒頭でアメリカの大地に降り立ったヘンリーがアメリカン・ドリームに胸を踊らせる高揚感の演技からサイモンさんの演技には心を鷲掴みにされました。

 アダム・ゴドリーさんさんが演じる女性役も長い指先を生かした演技がとてもセクシー。サイモンさん演じるフィリップが嫁候補に対して次々と点数をつけていく場面はその行為自体に対しては「どうなん?」と若干の引っ掛かりを感じつつも「フィリップはそういう男だったということよねー」とスルーしながら、秒で演じるキャラクターをどんどん変えていくアダムさんの演技力に舌を巻きました。野菜ネタをひっぱる三男役も可愛くて好きです。社交的でソツがなく、反発しがちな長男と次男の緩衝材のジャガイモくんとプライドが高いシティ・ガールを同じ人が演じているなんて!

 三兄弟の中で一番長生きした精力的なビジネスマンで次男のエマニュエルやサイモンさん演じる年老いたラビを恐れおののかせる難しい質問をぶつけ、やがてはニューヨーク州知事となるハーバートなどシャープな印象の役が多かったベン・マイルズさん。エマニュエルがアダムさん演じるポーリーン・ソンドハイム(件のシティ・ガール)との結婚の許可を取り付けるまでの涙ぐましい努力のエピソードはこの作品のお気に入り場面の一つです。

 またこの3人のバランスがとてもいいんですよね。それこそ頭と腕とジャガイモのようにこの3人ならではのバランスと化学反応でこの作品の見どころを押し上げていたように感じます。

最後に

 終わってみれば『リーマン・トリロジー』は脚本、演出、俳優の演技が三位一体となった奇跡のような完成度の作品、という印象です。観終わった後しばらくは興奮冷めやまず、その日はなかなか夜寝付けませんでした。NTライブは外れたことがいまだかつてないですが、その中でも5本の指に入る面白い作品だったので日本に字幕を付けて持ってきてくださったことには本当に感謝しています。一週間の限定公開でしたが、アンコール上映を熱烈希望!TOHOシネマズ日本橋では最終日とその前日は全席完売だったため、観たかったけど観れなかった人もかなりいたように思います。あの興奮の観劇体験をまた味わってみたい私みたいな人もたくさんいると思うので、ぜひ検討をお願いしたいです!

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