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劇場に行くためにどこでもドアが欲しいミュージカルオタクの観劇記録と観るためのあれこれ

【観劇レポ】ミュージカル『スモーク』(SMOKE) @ Asakusa Kyugeki, Tokyo《2018.10.6ソワレ》

 2018年10月初旬の三連休初日、韓国の詩人イサン(李箱)の詩と人生にインスピレーションを受けたミュージカル『スモーク』(SMOKE, 스모크) 1日本初演を浅草九劇に観に行ってきました!正直、「日本版はどうなんだろう?」と様子伺いなところがあったのですが、期待していた以上にとても良かったです!オリジナルの雰囲気をかなり残しつつも、浅草九劇の狭い空間を上手く使った演出。耳馴染みがよく、自然な翻訳歌詞。熱量の高い俳優さんたちの演技と歌。役者さんの持ち味と役の解釈で異なる表情を見せ、引き込まれる緊張感溢れる物語。私がソウルでハマった『スモーク』がそこにはありました。たった三人の俳優さんで全編演じきる『スモーク』の舞台。私が観劇した10月6日ソワレのキャストのみなさまは下記の通り。

 超(チョ)日野真一郎さん
 海(ヘ)大山真志さん
 紅(ホン)池田有希子さん

 ピアニスト:河谷萌奈美さん

日本公演の観劇のきっかけと全般的な印象

 ちょうど今年(2018年)のミュージカル『スモーク』の韓国ソウル公演の千秋楽の直後だったでしょうか。突然舞い込んできた日本で翻訳公演で『スモーク』を上演するというニュース。


 

 2018年の再演の千秋楽直前に韓国版『スモーク』沼に勢いよくドボンした私。「次に観る作品も決まっているのに『スモーク』沼引きずってて全然脳内のモード切り替えられないな」と思っていたところにこの報らせ。大好きな作品が日本でも上演されるというニュースに飛び上がってよろこんでもいいようなものですが、冒頭にも少し書いた通り、「日本で日本語で日本人キャストで『スモーク』を演る」ということに対しては最初はアンビバレントな気持ちでした。

 具体的に何がひっかかていたのかというと、まずはミュージカルの題材。イサンは韓国でこそ文学賞の名前に使用されているほど有名な詩人ですが、日本人ではごく一部の方以外彼の名前や詩を知っている人はほとんどいないと思われます。私自身はソウルでミュージカルを観るために、ある程度作品の背景なんぞやを予習してから観に行っていますが、何も知らない日本の方が初見で観ても大丈夫なのかという懸念。もうひとつは、日本に持ってこられる過程で私がソウルで観た大好きな『スモーク』とはまた全く異なる作品に変容してしまうんじゃないかという不安。さらにもうひとつは、私自身があまりにも素晴らしくて身震いした千秋楽間近のソウルの公演の記憶に引き摺られて、素直でまっさらな気持ちで観ることができないんじゃないかという心配。

 だけど考えてみれば、日本版『スモーク』は私が夢中になって止まない韓国の芝居要素が強くて音楽が素晴らしい小劇場ミュージカルを日本のミュージカルファンの方に知っていただくには、願ってもいない良い機会。こういう作品が日本でもどんどん上演されるようになればとてもうれしい。それを応援する意味でも観に行こうとチケットを入手したのでした。

 結果的に私があれこれ思っていた心配事は杞憂で終わり、日本版の『スモーク』はオリジナルの雰囲気と熱量を感じつつも、《超》、《海》、《紅》を演じる日本のキャストのみなさまの組み合わせならではの『スモーク』になっていました。イサンについても、オリジナルの脚本と歌詞にかなり忠実ながら、彼の詩や人生を知っていればより楽しめるけど、彼のことを何一つ知らない方が観てもまったく問題ないような仕上がりになっていたと思います。

 ちなみに観たその日の夜から翌日の朝方にかけて、熱に浮かされたように勢いで書きあげた今年の韓国公演のマイ千秋楽の観劇レポはこちら。紹介しておいてこう書くのもなんなんですが、作品の性質上、ネタバレなしでレポを書くのがとても難しいことを差し引いてもネタバレしかない感想なので、観劇を予定されている方は観劇前に読むのは避けることをおすすめします。せっかく日本語の翻訳公演で観れるので。

 日本公演の公式サイトはこちら。

作品紹介

 ミュージカル『スモーク』は韓国のDouble K Film and Theatre(通称ダブルK)プロデュースのミュージカルの第二弾2として2016年にトライアウト公演、2017年に初演、2018年に再演と順調に公演を重ねている大学路(テハンノ)ミュージカルの人気作品です。先述した通り、ミュージカル『スモーク』は二十六歳3の若さでこの世を去った大日本帝國統治下の時代の韓国の詩人のイサン、本名キム・ヘギョン(金海卿, 김해경)の人生と詩の世界をベースに創作されたミュージカルです。独特の作風から「天才」と「自己欺瞞的」とその評価が真っ二つに割れるイサンの詩。その筆名のハングル表記「이상」は「理想」も「異常」のどちらをも意味するイサン。そのイサンの詩の世界観がピアノを主旋律とした美しい音楽と三人の登場人物、《超》(초)、《海》(해)、《紅》(홍) が織り成す心理劇として表現された作品です。4


2018年の『スモーク』韓国公演のスポット動画1
 

 日本語の上演脚本、訳詞、演出を手掛けるのは、ミュージカル『あなたの初恋探します』、原題『キム・ジョンウク探し』(김종욱 찾기) の日本版で同じく上演脚本、訳詞、演出を担当された菅野こうめいさん。『あなたの初恋探します』は2010年に韓国では映画化もされた2006年初演、今もなおロングランを続けている大学路ミュージカルの人気ラブコメディ作品です。


2018年の『スモーク』韓国公演のスポット動画2
 

 今回の日本初演は2018年の韓国再演版をもとに日本語上演脚本と訳詞が作られたと思われます。海へ行くための資金稼ぎのために「三越デパートの令嬢」である女性を誘拐する二人組の男の《超》と《海》。《紅》と名乗る誘拐された女性。彼らはなぜ海へ行きたいと考えたのか。それを紐解いていく過程で判明する彼らの真の関係は?情感溢れるメロディにのった歌と熱量の高い演技によって謎解きのように展開される物語にぐいぐいと引き込まれるブロードウェイやウェストエンドのミュージカル作品にはないタイプの韓国の小劇場作品ならではの魅力に溢れた大好きな作品です。

李箱の詩の世界

 物語の鍵となっているイサンの詩。ここで少し『スモーク』の劇中にも登場する『烏瞰図』(オガムド, 오감도)「詩第十五号」 (最初の部分)をご紹介します。(和訳は私が韓国語の原詩を訳したものなので、実際の日本公演で採用されている訳とは異なる部分もあるかもしれないことをご了承ください。)

나는거울없는室内에잇다.
거울속의나는역시外出中이다.
나는至今거울속의나를무서워하며덜고잇다.
거울속의나는어디가서나를어떻게하려는陰謀를하는中일까.

私は鏡のない室内にいる
鏡の中の私はやはり外出中だ
私は今鏡の中の私を怖がりすり減らしている
鏡の中の私はどこかで私をどうしようかと陰謀中だろうか

 イサンの代表的な詩には『鏡』(거울) というまた別の作品がありますが、事前予習派のみなさんには『烏瞰図』の「詩第十五号」とこの『鏡』あたりを調べて事前に読んでいくとさらに作品を楽しめると思うのでオススメです。(「李箱」「鏡」あたりでググってみると検索でヒットすると思います。)

感想

(以下、ネタバレを多く含んでいるためご注意ください。)

 

 韓国版の観劇レポでも書きましたが、『スモーク』は、登場する《超》、《海》、《紅》のそれぞれがどのような存在であり、彼らの関係性はどうなっているのかが演じる俳優さんの解釈と組み合わせによって変わる作品だと思っています。その化学反応の妙と、美しい旋律に感情を乗せた熱量の高い演技が私が考える『スモーク』の最大の魅力。

 「天才」と評価されることを望んだのにも関わらず、世間から理解されない一人の芸術家が鏡の中に映る自分に見出した「すべてを超越した」孤高の存在となった自身を体現した《超》。鏡の中の自分にすべてを押し付けて、自分の精神世界である鏡の世界に閉じこもり、幼い日にその夢を諦めた記憶さえも忘れて絵描きになる夢を追い続けている《海》。三人の中で唯一実体を持つ存在である《海》が 鏡の世界に閉じこもるために捨てた愛と憎しみ、希望と絶望、夢と現実であり彼にとっての生と死が具現化した存在である《紅》。

 日野さんが演じる《超》は彼と鏡写しの存在である《海》が捨てた《紅》の前では弱さを見せるものの、《海》の前では彼が「理想」とする強い自分として振る舞おうとする姿が印象的な《超》でした。特に印象に残っているのは《超》がその正体を《海》に明かし、二人が舞台中央に設置されたテーブルに向かい合わせになって鏡像のように動くときの目の表情。少し冷たく感じるのに《海》を挑戦的に見返しているように感じる泰然と、超然とした雰囲気を感じる視線。それはまさに鏡の中の《超》たる自分という雰囲気ですごくよかったです。私の席からは《海》役の大山さんは反対方向を向いているため確認できなかったのですが5、対する《海》がこのシーンでどんな表情をしているのも見たかった!

 大山さんが演じる《海》役は2018年の韓国再演では同役にキャスティングされた俳優さんの四人中三人が二十代の若手俳優だった役。幼く純粋で無垢な存在としての演技が要求される《海》役を大人の包容力を感じる容貌の大山さんがどのようにアプローチして演じるのかがすごく興味を惹かれていました。すべてを忘れてしまったがために純粋で感情がストレートな《海》としての演技も、記憶を取り戻して《超》と融合し、《紅》を受け入れた《海》、すなわちキム・ヘギョンとしての演技のどちらもとても良かったです!《海》はベテランの俳優さんにとっても、若手の俳優さんにとっても挑戦しがいのあるチャレンジングな役であることを改めて実感しました。大山さんの歌声もかなり好みです。

 池田さんが演じる《紅》は苛烈さと温かさが同居する包容力と母性に溢れる《紅》。母なる海、そこをめぐる潮、さらには体を流れる温かい血潮を連想させる池田さんの《紅》。あるときには優しく包み込むように、あるときには厳しく諭すように《海》と《超》に自分を受け入れて「また前向きに生きてみよう」と呼びかけるその熱心さがとても印象的でした。池田さんの《紅》は《海》が絵を描く夢を諦めた年頃に封印した感情、好きだった世界を中心にその姿が具現化されているように感じる《紅》で、その豊かな表情の演技がとても素敵でした。

 そして『スモーク』の魅力を語る上で外せない音楽を役者さんの演技に合わせて生演奏で演奏されるピアニストの方。私の席はちょうどそのピアニストの河谷さんの様子もよく見える席だったので、時折俳優さんの演技の様子を伺いながら演奏を始めるタイミングを測っているその姿を見ることができたのも印象深く。ピアニストの方はある意味ミュージカル『スモーク』の影の主役と言っても差し支えないのでは、と思います。

 全体的に期待していた以上で大満足だった『スモーク』日本初演。勢いで観劇後に同じキャストの組み合わせでリピーターチケットを買い足し、今更ながら「でもやっぱり『スモーク』の魅力は役者さんが変われば雰囲気も変わるところにもあるし、もう片方のキャストでもやっぱり観たいなぁ」とさらにチケットを増やしてしまいました(←)回数を重ねて深まっていくだろう俳優さんたちの演技、別キャストで観ることによって見えてくるだろうまた異なる『スモーク』の世界、どちらもとても楽しみです。

おまけ

 おひとりさま観劇が断然多い私ですが、今回は韓国ミュージカル友達のフォロイーさん数名と約束して日程を合わせての観劇。観劇前後のお茶とごはんもとても楽しく、とても盛り上がりました。ご一緒させていただいたみなさま、ありがとうございました!


[2018.10.11更新]
ピアニストの方のお名前がわかりましたので、追記・修正させていただきました。


  1. 日本版のタイトルは英語の『SMOKE』表記が正式なものなのだと思うのですが、韓国版の感想記事と表記を統一するためにはこの記事ではカタカナの『スモーク』としています。

  2. ダブルKプロデュースのミュージカル第一弾がこのブログでもたくさん感想レポの記事を書いており、日本でも度々来日公演がされているミュージカル『インタビュー』(인터뷰, Interview) です。

  3. イサンは1910年9月14日生まれ、1937年4月17日没。日本語の公式サイトやウィキペディアでは「二十七歳の若さで亡くなった」と書かれていますが、1937年の誕生日を迎える前に亡くなっていますので、「二十七歳」というのは数え年(誕生日を無視して現在の年(西暦)から生まれた年(同)を引いた「ヨン・ナイ」)での没年齢と思われます。

  4. 韓国版の脚本、演出はチュ・ジョンファ (추정화) さん、作曲・音楽監督はホ・スヒョン (허수현) さん。

  5. 日本版『スモーク』の舞台は客席が東西南北の四方に分かれてぐるりと囲む形で配置されているため、座る席によってまた違った雰囲気を楽しめると思います。ちなみに私はNブロック(北)の三列目の出入り口に近い席で観劇。