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劇場に行くためにどこでもドアが欲しいミュージカルオタクの観劇記録と観るためのあれこれ

【観劇レポ】ミュージカル『パガニーニ』@ Sejong Culture and Arts Center, Seoul《2019.2.16-3.16》

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 去年(2018年)のクリスマスの時期にいち早く観劇したHJ Cultureと大田芸術の殿堂共同制作の新作韓国創作ミュージカルのパガニーニ』(파가니니, Paganini)。希代のバイオリニストで作曲家でもあったニコロ・パガニーニを主人公に据えたこの作品。大田公演に引き続き、ソウルの世宗文化会館Mシアターで上演が開始されたソウル公演も2月の開幕週の週末に早速観に行ってきました。私が観劇した2019年2月16日の夜公演のキャストのみなさまは下記の通り。

 パガニーニ:KoN(イ・イルグン)さん
 ルチオ・アモス:キム・ギョンスさん
 コルレン・ボネール:イ・ジュニョクさん
 アキレ:ユ・スンヒョンさん
 シャルロット・ド・ベルニエ:ユ・ジュヘさん
 アンサンブル
  パク・ミンフィさん、パク・スヒョンさん、キム・ユハンさん、チョ・ヨンアさん、 サ・ダビンさん、ユン・ヨンソクさん、ユン・ヘギョンさん、キム・ジンソクさん、イ・ドフィさん、イ・グァンピョさん

 パガニーニ、ルチオ役はオルタネートの俳優さん1がいるものの大田公演に公演に引き続きほぼワンキャスト。マルチキャスティングされているコルレン、アキレとシャルロットは大田公演で観たキャストと完全に入れ替わったキャストでの観劇となりました。

 さらにその翌月の3月にも2週連続で観劇した『パガニーニ』。1週目の3月9日マチネのキャストは、コルレンとシャルロットが入れ替わり、プリンシパルキャストのみなさまは以下の通り。

 パガニーニ:KoN(イ・イルグン)さん
 ルチオ・アモス:キム・ギョンスさん
 コルレン・ボネール:ソ・スンウォンさん
 アキレ:ユ・スンヒョンさん
 シャルロット・ド・ベルニエ:ハ・ヒョンジさん

 2週目の3月16日マチネのキャストは奇しくもソウル公演1回目のキャストと全く同じ。同じキャストのみなさんだったからこそ、一ヶ月の間に俳優のみなまさの演技の進化と今週末に控えているソウル公演の千秋楽に向けた熱量の高まりを感じる一ヶ月後の観劇でした。

f:id:theatregoersatoko:20190325083822j:plain 2019.2.16と2019.3.16のキャストボード f:id:theatregoersatoko:20190325084341j:plain 2019.3.9のキャストボード

 
 大田公演の観劇レポはやたらと長い三部作になっているのですが、順にリンクが繋がっているのでここでは第一部だけをご紹介しておきます。第一部が簡単な作品紹介とネタバレ控えめな全体の印象、第二部が予習したい方向けの詳しめのあらすじ第一幕分、第三部があらすじ第二幕分とキャストごとの感想になっています。

大田公演からの変更点

 大田公演からソウル公演までの期間はおおよそ二ヶ月半。その決して長くはない期間の間に、『パガニーニ』の舞台は全体的にブラシュアップされていました。一番わかりやすい変更点は二幕のコルレンのソロからはじまるナンバー、「私が笑っている時」(내가 웃고 있을 때) 2 3の追加。シャルロットを巡ったパガニーニとコルレンの対立軸の強化、アキレの登場場面と歌唱パートの追加、経緯がわかりにくかった場面をわかりやすくするような変更などが沢山盛り込まれていました。全体的に「前の方が好きだったのに...」というような変更点は一切なく。さらにソウル公演中も色々と演技プランや台詞が変わっていっている模様。この短い期間の中でここで挙げた以上の変更点を盛り込んで作品の完成度を上げていき、さらに公演をよりよくしていこうとしくスタッフの方々や俳優のみなさまには頭が下がる思いです。

 ソウル公演から加えられた変更点なのか単純に私の物語の理解が進んだだけなのか判然としない部分もありますが、特に印象に残った変更点について少し紹介してみたいと思います。いつものごとく、私の韓国語力の問題で間違って解釈している部分もあるかもしれませんのでその点はご了承ください。

(以下、ネタバレが多く含まれるのでご注意ください)

魔女の手と悪魔の手

 神に対して「これが信じていた貴方の意志だと言うのですか」と言い、手にしていた聖書を投げ捨ててルチオの目の前で自らの命を絶った女性。異端に属することを問われていた彼女は「魔女の手」という異名を持っていたことがわかります。ルチオがパガニーニに関心を示した理由の一つは、彼が「魔女の手」を連想させる「悪魔の手」の持ち主だと呼ばれていたことも少なからずあるのだと思われます。

 物語の終盤で判明するのは、実はこの「魔女の手」の存在をバチカンに密告したのが高利貸しであったコルレンの父、ジャック・ボネールだったこと。コルレンは父を通して「魔女の手」の事件を原因にバチカンを離れた異端審問官ルチオの存在を知り、彼を利用することを思い付くに至るのです。コルレンの人格造形、彼がシャルロットに従順であることを求める背景にもどうも彼の父親が少なからず関係していそうな気がします。

パガニーニが演奏会を強行する理由のひとつ

 シャルロットがコルレンに軟禁された後にコルレンの元を訪れるパガニーニパガニーニはシャルロットは特別な才能があるのだからそんな彼女を自由にしてやるべきだ、というような趣旨のことをコルレンにいいます。その時にコルレンは「カジノ・パガニーニ」に掛かった投資額などを引き合いにしてパガニーニに取引を仕掛けます。色んな条件を挙げ連ねて万単位のフランの金額をパガニーニに吹っかけるコルレン。シャルロットの自由を約束するならば、と二つ返事で全額を負担することを請け負うパガニーニ。自分で大きな額を吹っかけながら、どうやってそんな額を用意をするつもりなのだと馬鹿にしたように尋ねるコルレンに対し、パガニーニは「私を誰だと思っているんだ。私はパガニーニだぞ」(多分)と言って去って行きます。パガニーニが病魔に侵された身体に鞭を打ちながら演奏会の準備をする理由には、シャルロットの自由のために大金を稼ぐ必要があったことも含まれていたのです。

コルレンの従者の告白

 コルレンに閉じ込められたシャルロットは、パガニーニではなくルチオの手によってその軟禁状態から解放されます。ルチオがシャルロットを解放できた理由は、彼がコルレンの従者であるピエールからシャルロットが幽閉されている部屋の鍵を手に入れたからなのですが、大田公演ではピエールがルチオに鍵を渡す一連の場面がほぼ無言のマイムのみで演じられていたため、なぜルチオがシャルロットを助けるのかがよくわかりませんでした。ソウル公演ではピエールがルチオに対して罪を告白して懺悔したいと申し出て、それをルチオが聞届ける内容の一連の台詞が追加。ルチオが迷いながらもシャルロットを助け、バチカンからコルレンが呼び寄せた司祭たちに先回りをして、パガニーニを自らの手で「救う」ために動く動機がよりわかりやすくなっていました。

感想

 悲しいかな、観劇回数を重ねていくうちに最新の観劇体験でどんどん記憶が上書きされていっているので、直近の観劇の感想を中心に書きたいと思います。

 大田公演と合わせるとオルタネートキャストのお二人以外は全員観れた『パガニーニ』。特に通しで着ている衣装もそれぞれに違うコルレン役のスンウォンさんとジュニョクさんの役へのアプローチの仕方の違いが印象的でした。

 大田公演の感想でも書きましたが、スンウォンさんのコルレンは憎めない雰囲気の小悪党がどんどんと手に負えない悪魔のような人物に変貌していくのに対し、序盤からかなり腹黒そうな雰囲気を醸し出しているジュニョクさんのコルレン。ルチオにパガニーニの存在をチラつかせて唆そうとしている時も、ルチオが自分の考えに没頭して視線が自分から外れている間はあからさまに罠にかかりつつあるターゲットを見下すような底意地の悪い笑い方をしています。そんな本性を隠している時でさえ演技とわかっていても若干イラッとしてしまうのに、その本性を隠す労力もかけなくなった後は引きつった笑いが出てしまいそうなカンジの悪さ。(←褒めてます) シャルロットに対して態度を急変させる場面もまるで狂犬のような噛みつきっぷり。

 王家の血の流れを汲む由緒ある家の出であるシャルロット。コルレンは自分の立身出世のためにシャルロットと彼女の父親に近づいたと思われます。いわゆるお金のない貴族が裕福な商家と縁組する愛のない政略結婚。そんな中、スンウォンさんのコルレンはシャルロットに心を寄せていたように感じるのですが、ジュニョクさんのコルレンがシャルロットに見せる優しさは上っ面だけのように感じます。スンウォンさんのコルレンは愛憎の果てに自分の欲のために愛をいとも簡単に捨てた男、ジュニョクさんのコルレンは愛だの恋だのを端から信じていないドライな男、という印象です。

 そんなコルレンの婚約者シャルロットですが、シャルロット役のジュヘさんとヒョンジさんもまた違った雰囲気。ヒョンジさんのシャルロットの印象については大田公演の感想でも書きましたが、音楽への憧れというひとつの変わらない軸を持ちながらも信心深く、人に影響されやすい深窓の令嬢というイメージ。対してジュヘさんのシャルロットは、もう少し自我が強い現代的な女性のイメージがあります。愛のないコルレンとの婚約も自分が音楽を続けるための手段として割り切っている雰囲気もジュヘさんのシャルロットには感じます。これはジュニョクさんのコルレンとジュヘさんのシャルロットの組み合わせだからこそ感じることかもしれないので、スンウォンさんのコルレンとジュヘさんのシャルロット、ジュニョクさんのコルレンとヒョンジさんのシャルロットの組み合わせでも観てみたかったなぁとも思います。

 ソウル公演に入ってからの私の観劇回ではアキレ役はずっとスンヒョンさん。スンヒョンさんはもう一人のアキレ役のギュウォンさんより年下ですが、アキレの役作りとしてはスンヒョンさんの方が大人びた青年のイメージがあります。これは大田公演とソウル公演の違いなのかもしれませんが、ギュウォンさんのアキレはもう少し感情に訴えかける感じで父の無罪を主張していく雰囲気があったのに対して、スンヒョンさんのアキレは感情にも訴えながらも冷静に理詰めでルチオをはじめとする原告側の主張の矛盾点を突いていく雰囲気を感じました。理知的で冷静な青年だけど、ソウル公演から追加された過去の回想に入っていく部分では、アキレも幼い少年としてその場にいて父とその周囲を好意的に見つめていたんだなぁという雰囲気が感じられて。父がバイオリンを演奏する姿を邪気のない笑顔で見つめているその表情とのギャップがとても良かったです。

 ソウル公演が始まってからの一ヶ月で一番変わったと思うのはKoNさんのパガニーニ。演技に対する感情の入り方が「ギアが二つ分ぐらい上がったのでは?」というくらいの熱量になっていて、コルレンとの対決の場面、病体をおして公演の準備を進める「私は生きたい 」(난 살고 싶어) の迫力が凄かったです。「『パガニーニ』はラノベ風二次元創作ファンタジーだし、泣く感じの作品ではないかな」と思っていたはずなのですが、KoNさんの演技の熱量にびっくりしてちょっと泣いてしまった自分がいたり。「悪魔のコンサート」(악마의 콘서트) では即興部分もあるのでしょうか?オケの演奏もなくなって、パガニーニの独奏だけになる部分がソウル公演初期とは違うメロディになっていたりとそんな部分でも新鮮な驚きがありました。

 そして最後にギョンスさんの司祭様。ギョンスさんの演技が観るたびに何かいつも違う発見があるのは今に始まったばかりではないのですが...。やっぱり一番記憶に残っているのは3月半ばの観劇で盛り込んできた新しい要素でした。もしかしたらジュニョクさんのコルレンとのやりとり限定なのかもしれないですが、最初にコルレンがルチオの元を訪れた時ではなく、再度コルレンがルチオのいる教会を訪れたときのコルレンのめんどくさい感じの絡み方(←)にまたまた両手を握りしめて教壇を叩く司祭様。その後コルレンがルチオの過去の秘密を暴いていき、置き土産として「魔女の手」の女性が自らの命を絶つために使用した銃を置いて去っていった後、思い詰めた表情でその銃を自身のこめかみ突きつけた司祭様。私が観た回では今までそのような素振りはしていなかったギョンスさんのルチオ。キリスト教、特にカトリックでは自殺は大きな罪ですから、ギョンスさんの演じるルチオの差し迫った表情と相まってルチオの追い詰められ具合がもの凄い緊張感ととともに伝わってきました。ルチオは「魔女の手」の事件以来十年間ある意味呪いに掛かっているようなもので、「魔女の手」の事件で彼女を教会に密告したのはコルレンの父。その息子によってパガニーニが同じような死を迎えることを防ぐことによって初めて自分の罪は赦される。パガニーニの音楽の才の「魔力」とは別に、ルチオがあれほどパガニーニを「告白」させることによって救うことに拘り、執着するのはそんな理由があるからなのだと思います。「私の手で神に赦されないのであれば、いっそ私の手で死ね!」と言わんばかりにパガニーニに銃を向ける司祭様の執着具合はもはや粘着ヤンデレストーカーのようですが(←)

 「悪魔のコンサート」の後ルチオが登場する最後の場面で、十字架を切ろうとした手と腕を途中で力尽きたように重力に任せてだらりと下ろした司祭様。これは宗教裁判の原告として立つルチオの姿なのか。「悪魔のコンサート」の招待状を受けて、パガニーニの演奏会を見届けた彼の姿なのか。パガニーニが没してもなお彼を断罪する原告側としてアキレの前に立ちはだかるルチオはいまだにパガニーニも自分自身も赦すことができていないのかもな、と思いました。

 観劇レポを書くのを溜めすぎて、もはや明日に迫っている次回の『パガニーニ』の観劇で千秋楽。さらにボルテージの上がっているだろう『パガニーニ』の舞台を観るのを今から楽しみにしています。


  1. パガニーニ役のオルタネートキャストはベンジさん(B.I.G)、ルチオ役のオルタネートキャストはファン・ミンスさん。

  2. コルレンの人物造形、コルレンがここでシャルロットに対して豹変したように振る舞うことを鑑みたときにここで一人称の"내"をどう訳すかがまた悩ましい!

  3. [2019.4.1訂正] 元々は「コルレンのソロナンバー」と書いていたのですが、正確にはコルレンのソロから始まり、コルレンとパガニーニのデュエットのバックにシャルロットのコーラスのつくナンバーです。