私のアランガ祭も中盤に突入。というわけでまたソウルに行ってミュージカル『アランガ』(아랑가)を観てきました。今回私が観たキャストのみなさまは下記の方々。
- [2019.3.9 ソワレ]
蓋鹵(ケロ):カン・ピルソクさん
阿娘(アラン):パク・ランジュさん
都彌(トミ):アン・ジェヨンさん
道琳(トリム):キム・テハンさん
サハン:ユ・ドンフンさん
導唱(ドチャン):パク・イネさん - [2019.3.10 マチネ]
蓋鹵:パク・ユドクさん
阿娘:チェ・ヨヌさん
都彌:キム・ジチョルさん
道琳:ユン・ソクウォンさん
サハン:イム・ギュヒョンさん
導唱:チョン・ジヘさん - [2019.3.16 ソワレ]
蓋鹵:カン・ピルソクさん
阿娘:チェ・ヨヌさん
都彌:アン・ジェヨンさん
道琳:ユン・ソクウォンさん
サハン:ユ・ドンフンさん
導唱:チョン・ジヘさん
2019.3.16 ソワレのキャストボード
前回観れなかったカン・ピルソクさんの蓋鹵王とユン・ソクウォンさんの道琳が観れたので、4回目にて今期『アランガ』の全キャストコンプリートです。 前回の今季初めての『アランガ』観劇レポはこちら。
2019年再演版の『アランガ』のミュージカルナンバーと一部歌詞、台詞を紹介する記事はこちら。
感想
前のレポでは、前回の観劇で観れなかったピルソクさんの蓋鹵とソクウォンさんの道琳の感想を中心に書きたいと思っていると予告していたのですが…ユドクさんの蓋鹵とジェヨンさんの都彌の演技の進化に完全に心を奪われた3回の観劇でした。というわけで私の中の推し度爆上がり中のお二方中心の感想になっています。というか、二人の蓋鹵王の対比とジェヨンさん都彌の素敵さについてあまりに語りたいがためにそれしか今回は書いていません(←)
(以下、ネタバレ満載なのでご注意ください)
対照的な二人の蓋鹵王
今季の『アランガ』では3月9日のソワレが初めてとなったピルソクさんの蓋鹵王。絶対的な支配者の雰囲気と言えばいいのでしょうか。人を従わせる立場しか知らずに生きてきた、なんというか、体温を感じないような冷たい雰囲気をソク様の蓋鹵には感じます。物語の序盤で蓋鹵が「信じられるのは将軍だけだ」と言っても、どこか空々しく感じてしまうくらい心を閉ざした孤独さが印象に残るピルソクさんの蓋鹵。そして全編を通して「呪い」が影響した心の余裕の無さを感じるソク様の蓋鹵。例えば、同じく物語の序盤の「御前会議」(어전회의) の後の場面。「このような時には堪えなければなりません」と言って都彌が玉座の間を退出した後にその言葉を蓋鹵が復唱するのですが、都彌の言葉を自分の言葉に言い換えて自らに言い聞かせるようなユドクさんの蓋鹵に対し、都彌の言葉をそのまま言われた通りに自嘲気味に繰り返すピルソクさんの蓋鹵。主君を奮い立たせるためにかけた臣下の言葉も、ピルソクさんの蓋鹵には呪詛の言葉にしか聞こえないのだ、となんとも暗澹たる気持ちになったのを覚えています。
現実と夢の境界が曖昧で微睡んでいるような、たゆたうような浮遊感を感じるのも今季のピルソクさんの蓋鹵の特徴。それは「呪い」が蓋鹵から生きる希望と滅びの運命に抗う気力をすっかり奪ってしまっていて、どこか現実感のないまま細い糸がこの世に彼をかろうじてこの世に繋ぎ止めているように感じました。初演でもそうでしたが、「何かが変わっていればこうはならなかったのでは」という希望を初っ端から粉砕する雰囲気がある、どうしようもなく孤独な王です。最初から静かに狂っていて、夢うつつのまま道琳の計略どおりに夫婦の幸せや国を壊していくピルソクさんの蓋鹵王は感情移入がとても難しいのですが、その最期のあまりの孤独さにその姿を哀れだと感じて泣かずにはいられません。死にいく演技がとてもリアルなピルソクさんの蓋鹵。吐き出した血が白い衣装を真っ赤に染めるのが見えるように痛々しいその姿。私の中では、ピルソクさんの蓋鹵王は最後まで愛が何かを理解することなく死ぬ孤独な魂。彼が転生したとして、果たして次は人を愛し愛することができるのかと問われると、思わず首を捻って「うーん」と唸ってしまうくらい愛とは縁遠いソク様の蓋鹵王ですが、だからこそその幸せを願いたくなる蓋鹵王でもあります。
ピルソクさんの蓋鹵王とはあまりに対照的なユドクさんの蓋鹵王。ピルソクさんの蓋鹵が愛を知らずに死んだ故に来世での幸せを願わずにいられないのだとすると、ユドクさんの蓋鹵は人を愛することを知っている人だからこそ、次こそは愛し愛される幸せな生を願わずにいられない蓋鹵です。この点は初回にユドクさんの蓋鹵を観た時から変わっていないのですが、その約一ヶ月後に観たユドクさんの蓋鹵は、蓋鹵が狂っていく過程の説得力と「抱きしめて差し上げたい」感(←)がさらにパワーアップしていました。
ユドクさんの蓋鹵で何より強く印象に残るのはその心の純粋さ。「信じられるのは将軍だけだ」という言葉は素直な本心からの言葉だと感じるし、道琳についてはもしかしたら自身の父より身近に感じて頼ってきたのではと思わせられます。幼い頃から「呪い」に悩まされつつも純粋さを失わずに蓋鹵が成長できたのは彼の生来の性質もあったのだと思いますが、彼の心を支える「夢の中の女人」の存在が大きかった。道琳に、本当に幸せそうに「夢の中の女人」について語るユドクさんの蓋鹵。純粋であるが故に「夢」を過大評価し、「夢」に反する現実を信じることができなくなったのがユドクさんの蓋鹵の悲劇の物語だと思います。
初回ユドクさんの蓋鹵王を観た時に思ったのは、「すごく良かったけど、あんなに純粋な思慕の感情を阿娘に向けていたのになんで阿娘を切ることができてしまったんだろう」という疑問。今回の観劇ではそれが蓋鹵が「夢」に見出した意味にすべて繋がっていました。夢の中で死にいく自分を救ってくれた「夢の中の女人」(꿈 속의 여인)。その彼女が最も信頼する臣下の妻だという蓋鹵を心揺さぶる現実に対して道琳が与えた「その夢の意味」(그 꿈의 의미) という巧妙な答えと罠。「夢」と「夢の中の女人」を何よりも心の拠り所として生きてきた純粋なユドクさんの蓋鹵だからこそ、あんなに信頼していた都彌をもあっさりと信じられなくなってしまった。そして自分の手を取ってくれない「夢の中の女人」である阿娘の姿を現実として受け入れることができなかった。言い換えるならば、狂い、都合の悪い現実は忘れ、「都彌は自分も阿娘も騙す裏切り者」と信じ込むことでしか蓋鹵は臣下であり、大切な友人でもあった都彌を自らの手で死罪に処したの同然の現実を受け止められなかったのかもしれません。「女人に救われる夢」からどんどんと遠ざかっていく現実と同じくどんどんと狂っていくユドクさんの蓋鹵にとって、「阿娘を騙す都彌」がいなくなっても自分のことを見向きもしてくれない阿娘は、急に現れては呪詛の言葉を吐いて去っていく呪いを体現した導唱と同じ物の怪の類。導唱に対しても釵を振りかぶって「退治」しようとしていた姿がとても印象に残ったユドクさんの蓋鹵。悪夢から目覚めたいという一心で現実と夢の区別がつかないまま、蓋鹵は「ニセモノ」の阿娘を切ってしまったんだと感じました。
信じていたもの、信じることを選び取ったものにことごとく裏切られたユドクさんの蓋鹵。何よりも自分自身に裏切られたと感じているような自嘲の気持ちが死にいくユドクさんの蓋鹵には感じられます。純粋であるが故にそれを利用されてしまった悲劇の王。道琳がいなかったのなら。阿娘と再会することがなかったのなら。冠を頂く王でなかったのなら。「呪い」の予言がなかったのなら。何か一つでも違っていれば、きっとこんな悲劇にはならなかっただろうにという思いが悲しみの気持ちを大きくするのがユドクさんの蓋鹵王の物語。カーテンコールの最後で、空を見上げて朗らかに微笑むユドクさんの蓋鹵。来世ではきっと幸せになれるはずだし、必ずなって欲しいと願わずにいれません。
正義感溢れる忠義の将、都彌
再演ではかなりその人物造形が強化された都彌将軍。都彌が百済と高句麗の国境に赴くことになった経緯は再演版『アランガ』の大きな変化点のひとつです。初演では自ら蓋鹵に進言して国境行きを買って出た都彌。再演では道琳の蓋鹵から都彌を引き離す計略の一環として、道琳の進言を受けた蓋鹵から国境の様子を見にいくように命じられます。「夢の中の女人」に瓜二つな阿娘が都彌の妻だと知って動揺、混乱し、都彌を遠ざけてしまう蓋鹵。蓋鹵に煙たがれても辛抱強く進言を続ける都彌。そんな忠義の厚い将軍ですが、そんな都彌将軍の気性を細かい演技で示してくるジェヨンさんに完全にやられました..._:(´ཀ`」 ∠):
例えば件の御前会議の後。ジェヨンさんの都彌将軍は御前の元を離れる際に一切背後を王に見せることはなく、後ろ向きに下がって部屋を退出してから初めて踵を返して移動します。そして「闇の中の光」(어둠 속의 빛) の直前。国境に赴くことになって阿娘としばしの別れの挨拶を交わした後、完全に職務モードに入って背後を振り返ることなく足早に歩いていくジェヨン都彌。愛する妻を残し、王命を受けて国境へと急ぐ中でも蓋鹵が座る玉座の裏で一度足を止め、蓋鹵が全く見ていない中でもゆっくりと丁寧にお辞儀をする都彌将軍。無言で主君に敬意を示した後、また足を早める姿になんだか胸がグッと締め付けられて、それだけでウルウルしてしまいました。
とても真っすぐで正義漢のジェヨンさんの都彌将軍。前回観たときの「百済の太陽」(백제의 태양) の冒頭では、綺麗に両目からツーっと流れる涙を流しつつもまだ将軍としての顔を保っていたように感じたジェヨン都彌。今回はその時とは打って変わり、国境のあまりの惨状に将軍という職務を離れて一人の人間として衝撃を受け、悲しみと怒りに心を揺らす都彌の姿がそこにはありました。前回から変わったジェヨンさん都彌の演技で一位二位を争うくらい好きなのがこの「百済の太陽」のジェヨン都彌。「百済の太陽」では導唱のパンソリによる国境の惨状の描写が続きますが、その中で祝言を挙げた直後に高句麗の盗賊に夫の命を奪われた花嫁が井戸に身を投げる描写とともに導唱が紙扇子を取落す場面があります。(下記のプレスコール動画の7:33あたりです)
ザ・ミュージカル ミュージカル『アランガ』プレスコールハイライト動画 第二部
初回の観劇の時はプレスコ動画と同じように落としてしまった扇子にゆっくりと近づき、それを拾って手渡していたジェヨンさんの都彌。今回の観劇では、2回とも導唱が扇子から手を離した瞬間に慌てて手を差し伸べて扇子が落ちるのを止めようとしたジェヨンさんの都彌。虚しく空を掴んだ手はしばらく静止し、それからゆっくりと丁寧に扇子を拾い上げ。またイネさんの導唱は扇子を両手で都彌の腕ごと掴んで暫く離そうとしないので、その姿が冷たく動かなくなった花嫁を彼女の親族に引き渡した都彌とそんな将軍に縋り付く国境の民の姿に重なって見えて、ここで早くも涙が止まりませんでした。その後、何かを振り払うように一心不乱に剣を振る都彌将軍。決意の意志と共に将軍の顔に戻り、「百済の太陽を掴み、あの瑞山の上に昇らせよ」と力強く歌う将軍。あああああああああ....(←)
都彌に関して、初演から変更された点でもう一つすごくいい変更だと思っているのが、裏切り者の烙印を押されて御前で裁かれることになった都彌が蓋鹵を挑発する「血の色、二つの目」(핏빛, 두 눈) 中の都彌の台詞。
폭군이여!
暴君よ!내 죽어도 두 눈 시퍼렇게 뜨고
私が死んでも両目をギラギラと開き
허공을 떠돌며
虚空を彷徨い
그댈 저주할 것이다
貴方を呪うだろう
という都彌の挑発に乗り、「これでも死んでも両目を見開くというのか!」と都彌の両目の光を奪ってしまう蓋鹵。蓋鹵に目を潰された都彌は、初演では
폭군이여, 저주 받으라!
暴君よ、呪われろ!
と「呪われた太子」と呼ばれ続けてきた蓋鹵に対してあまりにあまりな呪詛の言葉を叫ぶのですが、再演ではここが
폭군여, 눈을 떠 백제를 보라!
暴君よ、目を開けて百済を見よ!
という風に変わっていて。自分が殺されることになっても、最後まで王が目を覚ましてくれる望みを捨てずにいた都彌将軍。その命懸けの賭けも虚しく、王の心を動かすことができなかったばかりか、阿娘の犠牲により辛うじて命を繋ぐことになります。ここで軍人としては死ぬ都彌将軍。光を奪われることによって国を護るその職務から強制的に解き放たれ、阿娘の言葉にただ一人の男としての自分にとって大切なものが何かを思い出したように感じる都彌。船で流される前に叩頭礼をするかのように、地に頭が着くくらい深くこうべを垂れて両手をついてからゆっくりと立ち上がっていたジェヨンさんの都彌。その姿は、都彌がただ一人の男に戻る前に、自分の命を賭しても王を思い留まらせることをできなかった不甲斐なさを百済の民に、さらには蓋鹵に対し詫び、将軍としての自分を止めることをできなかった身勝手を阿娘に詫びているようにも感じました。あああああああああ....(←)
決して届かない蓋鹵の阿娘への想いも切ないですが、これだけ一方通行な都彌の忠義も辛くて。今回ジェヨンさん都彌との組み合わせで観たのがそんな臣下の姿など何処吹く風な感じのピルソクさんの蓋鹵王なので全く報われない都彌がより一層悲しくて。でも、純粋に都彌を信頼していたユドクさんの蓋鹵王との組み合わせだったらそれはそれでめちゃくちゃ切ないし、「それ私めっちゃ観たい」と思って必死にキャスケを探したり。いや、観てるんですけどね、最初にお二人を観たときがこの組み合わせだったので。でも二人とも演技が進化しすぎているので今の二人で観たい。が、それが叶うのは来月までお預けとなりそうです。最近キャスケの神様が優しくない...。
というわけで中盤に入り、さらに盛り上がってきた私のアランガ祭り。多分次に書くレポが今季最後になると思うので、今回は触れられなかった登場人物、俳優さんの感想も総まとめとして次回こそは書きたいです。手持ちの『アランガ』のチケットは後3回分。終盤のアランガ祭りもめいいっぱい楽しみたいと思います。