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【作品紹介】ミュージカル『アランガ』(아랑가):都彌説話と阿娘歌(アランガ)

ミュージカル『アランガ』(아랑가)

ミュージカル『アランガ』(아랑가)

 ご贔屓様が主演するというニュースを知った瞬間から観たいと思い、 練習風景の様子やショーケースやプレスコールの動画が配信される度に期待を募らせてきた作品ですが、実際にこの目で観てきてやっぱり作品の世界観にとてつもなく惹かれてしまいました。

 商業的には今年が初演になる韓国オリジナルの創作ミュージカルで、題材が三国史記の『都彌説話』を題材にした時代ものということもあって、あまり日本人のミュージカルファンには注目されていない作品のような気がしているのですが、少しでもその魅力が伝わればと思い、いくつかのテーマをピックアップしてこの作品を紹介していけたらな、と思います。 まあ、あまり意気込み過ぎても途中で息切れしてしまうので、あまり気にせずにひとつめのテーマ「都彌説話とアランガ」に早速入ってみたいと思います。

 都彌説話と阿娘歌(アランガ)

  ミュージカル『アランガ』は朝鮮の歴史書『三国史記』に収められている『都彌説話』(도미설화)(とみせつわ、トミソルファ)を下敷きにした物語です。三国史記では、都彌説話は百済の4代目の王である蓋婁王(がいるいおう、ケルワン、在位128-166年)の時代の話だとされていますが、実際には百済が一度滅んだとされている時代の王である蓋鹵王(がいろおう、ケロワン、在位455-475年)の話ではないかとされています。出演俳優さんへのインタビューでも言及されていますが、『都彌説話』では王は典型的な悪役です。

 実際に『都彌説話』はどのような物語なのか?こちらのサイトに、三国史記の『都彌説話』の内容が書かれていたのでそれを和訳したものを紹介します。(訳は機械翻訳にかけた後に、適当に雰囲気で修正しているので厳密な訳ではないことをご承知ください)

都彌は百済人だった。
僻村の小民だが義理を知り、その妻は美しくて節行があり、周囲の人からの賞賛が絶えなかった。百済の蓋婁王は、この噂を聞いて都彌を呼んで

“夫人の徳は貞潔が一番といっても、
仮に暗くて隠れた場所で言葉巧みに誘えば
やり過ごせる女性がないものだ”

と言うと、都彌は、

“人の心は数えきれませんが、
私の妻は死んでも心変わりしないでしょう”

と妻に対する深い信頼を丁寧に申し上げた。すると、王は都彌の夫人を試してみるため都彌を宮殿の中にとどまっているようにした後、臣下の一人を王のように扮装させた後、馬に乗せてお伴の者も付けて夜に都彌の家に行かせるつもりでまずは人を送って都彌の妻に王が来ることを知らせた。

そうして偽王が渡米の家に到着して都彌の妻に

“私は昔から君の美しさについて聞いていて、
あなたの夫と賭け将棋を差して、私が勝った。
明日はあなたを王宮に連れて行き、宮人にしようとしている。
だからもうお前の体は私のものだ。
今夜を共に迎えるだろう”

そうやって偽王が夫人に近づこうとしたら、夫人はこう言った

“国王が妄言を仰るわけがありませんし、
どうして私が恐れ多くも逆らえるでしょうか。
お願いです、大王は先に部屋に入ってくださいませ。
すぐに服を着替えて側にお仕えします”

都彌夫人は退出して美貌の召使いをきれいに化粧させ、代わりにお伽を務めさせた。後に王が都彌夫人の謀に騙された事実を知り激怒して、夫の都彌に都彌夫人の罪までを被らせて両目を抜いた後、小船に乗せて川に流した。そしてその夫人を連れて再び無理やり犯そうとすると、夫人は

“私はもう夫を失った身となりました。
もう一人で生きていくしかない立場になったのですが、
今日恐縮しても、厳かな方に仕えるようになったのだから、
どうしてつべこべ言いますか。
今は月のもので体が汚いので、別の日に穢れを落としていきます”

王はこの言葉を信じ、許諾した。夫人はその隙に逃げて川辺に到達し、大地を叩いて号泣した。その時、どこからか小船一隻が流れてきて思いがけない助けに夫人はその船に乗り、その船は不思議にも泉城島に着いて止まり、船から降りて土地の上に足を踏み入れたが、そこにこれまで思いつめた心で恋しく焦がれていた夫がいた。

目を見ることができない状況になっていたが、夫は死なずに生きていた。その時から夫人は夫都彌の目となって面倒を見ながら草の根を食べてなんとか生きつないで、暮らす船に乗って高句麗蒜山に行くと、高句麗の人たちがこれらの夫婦を哀れに思って服や食べ物を与え、二人はなんとか生きて生涯を終えた。

 私は歴史の専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、『都彌説話』が蓋婁王の話ではなく蓋鹵王の話だとする理由にはいくつかあるようで、ひとつには王が大王と呼ばれていること(蓋婁王の時代はまだ百済はそこまでの大国ではなかった)、もうひとつは蓋鹵王が敗戦の王であるため、戦勝国が自国を持ち上げ、亡国の王を貶めるためにこのような物語が編纂された可能性が高いからのようです。

 また、『都彌説話』では都彌は将軍ではなく平民であり、妻の名前もでてきません。都彌の妻に阿娘(アラン)という名前を与えたのは、アランガと同様に『都彌説話』に着想を得た1937のパク・チョンファの小説『アランの貞操』という小説です。さらに『都彌説話』には道琳(トリム)が登場しません。

 道琳は実際に史実上に登場する僧侶で高句麗の長寿王(ちょうじゅおう、チャンスワン、在位413-491年)によって百済に送り込まれた間者でした。アランガの物語の通り道琳は蓋鹵に側近として重用されました。蓋鹵は道琳が進めるがままに大規模な土木事業を推し進めて百済の国庫を疲弊させてしまい、高句麗百済に攻め入る機会を作ってしまいます。最終的に蓋鹵はその戦で捕えられ処刑されてしまいます。蓋鹵の子である後の文周王(ぶんしゅうおう、ムンジュワン)が王城を抜け出し南に逃れていたため、百済王家の血筋はそこで途絶えることはありませんでしたが、百済が蓋鹵の没年である475年に一度滅んだとされているのはこのためのようです。

 『都彌説話』では都彌とその夫人は百済から高句麗に渡り、貧しいながらも周囲の人々に助けられながら人生を全うしますが、アランガの物語では…。このことがアランガの物語の悲劇性を飛躍的にあげていると思うのですが、その話はまた別のテーマで。