Sparks inside of me

劇場に行くためにどこでもドアが欲しいミュージカルオタクの観劇記録と観るためのあれこれ

【観劇レポ】ミュージカル『メリー・ポピンズ』(Mary Poppins) @ Tokyu Theatre Orb, Tokyo《2022.4.10-2022.5.5》

ミュージカル『メリー・ポピンズ』(Mary Poppins) @ Tokyu Theatre Orb, Tokyo

 唐突に自分語りから始めてしまいますが、ジュリー・アンドリュース主演の映画メリー・ポピンズ』(Mary Poppins)は私が人生で最初にどハマりした作品です。当時幼稚園児。ブルーレイどころかDVDさえ存在しない時代ですので、父親が買ってきてくれたVHSテープのビデオを再生しては巻き戻し、再生しては巻き戻し、姉特権で少し不服そうな妹にバート役をやらせて、麦わら帽子を被って傘を手にメリー・ポピンズごっこをした回数は数えきれず。考えてみれば、私のミュージカル好きの原点はメリーにあると言っても過言ではないかもしれません。

 そんなメリーが渋谷のロンドンに帰ってくるということで二人のメリー、バートの両組み合わせで観劇してきました。私の観劇回のキャストのみなさまの詳細は下記のキャストボードをご参照ください。4通りのメリーとバートの組み合わせ全部だけではなく、キャスト表一段目のダブルキャストの俳優さんたちも全員観ることができました。

2022.4.10ソワレのキャストボード
2022.4.10ソワレ、2022.4.23ソワレのキャストボード
2022.5.3ソワレのキャストボード 2022.5.5ソワレのキャストボード
2022.5.3ソワレ、2022.5.5ソワレのキャストボード
 

作品紹介

 1936年に発行されたP.L.トラヴァース著の『メアリー・ポピンズ』1を原作としたディズニー映画がジュリー・アンドリュース主演で封切りされたのは1964年。ディズニーのミュージカル映画の代表作とも呼べる本作ですが、映画が舞台ミュージカルになったのはそれから40年経った2004年のこと。ミュージカル界きっての有名プロデューサーであるキャメロン・マッキントッシュとディズニーの共作としても話題となった本作。ディズニーが『メリー・ポピンズ』の映画化の権利を得てからの紆余曲折は2013年公開の『ウォルト・ディズニーの約束』(原題:Saving Mr. Banks)に詳しく描かれていますが、原作者のトラヴァース氏はディズニーによる映画にアンビバレントな思いを抱いており、舞台化を許可する際には一から新たに制作することを想定されていたようです。最終的に、舞台ミュージカル版の『メリー・ポピンズ』はシャーマン兄弟による楽曲や映画の独自設定を生かしつつも、映画では触れられなかった原作のエピソードを取り入れた映画とも原作とも異なる脚本となりました。シャーマン兄弟の楽曲との調和を大切にしながら、ジョージ・スタイルズ氏とアンソニー・ドリュー氏による新たな楽曲も書き下ろされています。


「Saving Mr. Banks」公式トレーラー
原題の作品タイトルがポイント。
この映画もとても好きな作品です

 

 舞台版『メリー・ポピンズ』は2004年にウェストエンドでオープンした後、2006年にはブロードウェイに進出。日本初演はワールドプレミアから14年後の2018年に上演されました。ロンドンのプロダクションは初演から4年後の2008年にクローズしていますが、日本初演の翌年2019年に11年ぶりに初演と同じくプリンス・エドワード劇場で再演プロダクションがオープン。2020年3月にCOVID-19のパンデミックのために公演は中断されていましたが、2021年8月から再オープン。今回の2022年の日本再演はロンドン公演の再オープンの次にオープンした『メリー・ポピンズ』のプロダクションとなっています。

(以下、ネタバレが含まれるためご注意ください。)

感想

 「何もかもパーフェクト」(Pratically Perfect) は自分が完璧だとメリーが自分を自画自賛し、リプライズでは帰ってきたメリーに対してジェーンとマイケルがそれに同調するミュージカルナンバー。"Pratically"は「実質的に、事実上は」などの意味なので、原題は髪の毛一本分ぐらいは日本語訳より控えめなのですが(笑)作品の感想を聞かれて私が最初に頭にパッと思い浮かぶのはこの曲のタイトルフレーズ。ああ、なんて素敵な作品なんだろうとしみじみと感じて、観終わった後に感じる多幸感に胸がいっぱいになって幸せな気分なのに涙がとめど無く流れてくる。今の私にとって『メリー・ポピンズ』はそんな作品です。

 観るタイミングや立場によって受け取るものが変わってくると思われる本作。幼い頃、私は大好きなメリーが映画の中で起こす魔法に夢中で、指をスナップするだけで散らかったおもちゃを片付けたり、階段の手すりを遡ってみたり、絵の中に飛び込んでみたり、傘を広げて空を飛んでみたく、自分がメリーになれたらいいのにと夢想する子供でした。年齢を重ねて社会に出て働いて、自分にもジェーンやマイケルぐらいの年の子供がいてもおかしくないくらいの歳になって心に残るのはメリーの魔法そのものよりは、バンクス家を中心として彼女が周囲に与える影響とそれによって変わる関係性です。いつの間にか、私はメリーになりたいと願うよりはメリーが自分の元にも来てくれたらいいのにと願うようになっていた。もしかしたらそれが大人になるということなのかもしれない、というのが久々にメリーに再会して感じたことです。実は今から10年ほど前にブロードウェイでも観劇しているのですが、その時はそこまで心に深く刺さることがなかったのはそんな自分の変化も関係しているのかもしれません。

 二人のメリーとバートは、それぞれに個性があり、組み合わせによって感じられる関係性も違っていたので4通りの組み合わせで観れて良かったなと思います。今回最初に観た笹本さんメリーはツンッとした職業婦人らしさが原作寄りのメリーで、ツンツンしているのにとてもキュートで、バートの真っ直ぐすぎる求愛にもツンツンしながらも案外満更でもなさそうなメリーで、ただただ「可愛い」心の中で叫び続けたくなるメリーとバートでした。どこか浮世離れした雰囲気に、実はメリーと同じ魔法の世界の住人だったのだと疑っている大貫さんのバート。大貫バートが踊ると自然と視線は吸い寄せられ、スッとした立ち姿にも惚れぼれ。ロンドンに暮らす人々が大好きで、彼らと一緒に暮らす時間が長くなるにつれて魔法の国に帰る力を失い、でもそれも悪くないと思いながら日々を楽しく暮らしている、などと勝手に妄想設定を考えたりしました。メリーはロンドンの人々を見守るミッションで薄く繋がっていた大好きな憧れの先輩でしょうか。次に観た濱田さんのメリーと小野田さんのバートの組み合わせは、「昔、バートはメリーに子守りしてもらったことがある」という設定がとてもストンと腑に落ちる組み合わせでした。濱田さんメリーは温かくてとても愛情深いけど、バートの求愛行為に対しては全く相手にしていない様子。小野田バートがメリーに向ける愛情は園児が幼稚園の先生に向ける思いのような純粋で真摯なものを感じられて、マイケルが「大好きだよ、メリー・ポピンズ」と告げるやり取りは過去にバートとメリーがしたものととても似ているのかもしれないと考えるととても切ない気持ちになりました。永遠の少年のように振舞いながら、ロンドンの人々の心の機微を深く、広く、煙突掃除屋の視点の高さで見渡しているように感じる小野田バートは生粋のロンドンっ子だと思います。

 映画の楽曲は昔から大好きですが、ミュージカルで追加された楽曲も好きなナンバーがとても多く。特に最初に挙げた「何もかもパーフェクト」「どんなことだってできる」(Anything Can Happen) は今でもふとした瞬間に脳内再生されることが多い楽曲です。舞台上でメリーのオウムの傘が大きくなり、それが広がり、星空が広がってカンパニー一同で歌われる「どんなことだってできる」のパート2。人生の色々から守ってくれるメリーの傘下に自分も入ったような気分になって聞く全面肯定の歌の幸福感たるや。お別れの時が来たことに寂しく切なく思う気持ちと、寂しくとも自分たちはもう大丈夫だからと胸を張るバンクス家の姿に情緒をグチャグチャにされながら幸せな気持ちで胸をいっぱいにして泣きながら毎回劇場を後にしていました。大好きだよ、メリー・ポピンズ

 素晴らしいアンサンブルキャストによる見応えたっぷりのタップやその他ダンス場面、芸達者で生意気さがピカイチのジェーンとマイケルたち、不器用な人間らしさと愛情深さが愛すべきジョージとウィニフレッド夫妻、涙なしに見れないセント・ポール寺院前のデュエット、ドールハウスのような素敵な舞台セット、モノトーンとテクニカラーの対比が鮮やかな背景画、捨て曲なしのミュージカルナンバーと見所はいくらでもあるのに、重めの愛と自説をねっとり書き連ねるだけの記事になって申し訳ない。その辺はよそ様の記事にお任せしました!

1, 2分で書ける簡単な匿名アンケートを実施しています。よかったらご協力ください!  

  1. ミュージカルと同様『メリー・ポピンズ』表記の翻訳書もありますが、原作の訳出としてはメリーではなくメアリーの方が多数派のようです。