どれほどこの日を待ちわびていたでしょう。とうとう私が愛してやまない日本のビリー、ミュージカル『ビリー・エリオット』(Billy Elliot) の再演が開幕しました。COVID-19の影響で公演中止を余儀されなくなった作品がたくさんある中、「どうかビリーだけは、なんとしてでもビリーだけは演れるようにしてください」と祈り続けた日々。声変わり前で身長が伸びる前の才能溢れる少年たちの一瞬を切り取るゆえに、今回の公演が中止されてしまうとしたらこの作品に出演を予定していた子たちに「次の機会」はないかもしれない。一年以上の期間を掛けて大切に大切にビリーたちを育て上げてやっと開幕を迎えられるのが『ビリー・エリオット』という作品。そんな彼らの努力が是非報われて欲しい。そう願わずにはいられない特別な作品なので、長い公演延期の期間を経て先日無事開幕を迎えたニュースを聞いた時はそれだけで本当に感無量でした。再演公演開幕の日の翌日に私も無事劇場に足を運ぶことができ。そんな記念するべき2020年再演ビリーのマイ初日のキャストのみなさまは以下の方々でした。
ビリー:中村海琉さん
お父さん:益岡徹さん
ウィルキンソン先生:柚希礼音さん
おばあちゃん:根岸季衣さん
トニー:中河内雅貴さん
ジョージ:星智也さん
オールダー・ビリー:大貫勇輔さん
マイケル:河井慈杏さん
デビー:森田恵さん
トールボーイ:高橋琉晟さん
スモールボーイ:大熊大貴さん
バレエガールズ:
北村栞さん1、佐藤凛奈さん2、髙畠美野さん3、並木月渚さん4、古矢茉那さん5
お母さん:家塚敦子さん
ブレイスウェイトさん:森山大輔さん
デイヴィ:辰巳智秋さん
アンサンブル6:
加賀谷真聡さん、茶谷健太さん、倉澤雅美さん、
板垣辰治さん、大竹尚さん、大塚たかしさん、斎藤桐人さん、佐々木誠さん、
高橋卓士さん、照井裕隆さん、丸山泰右さん、小島亜莉沙さん、竹内晶美さん、
藤咲みどりさん、井坂泉月さん、井上花菜さん、出口稚子さん
作品紹介
ミュージカル『ビリー・エリオット』の初演は2005年のロンドン。翌年オリヴィエ賞では最優秀新作ミュージカル賞を含む4部門を受賞しています。同タイトルの映画7をミュージカルにした本作の音楽を手がけるのは数々のヒット曲を世に送り出したエルトン・ジョン (Elton John) で、脚本と歌詞は映画の脚本を担当したリー・ホール (Lee Hall)が、演出は同じく映画の監督を務めたスティーブン・ダルドリー (Stephen Daldry)。2016年の4月にクローズされるまで『ビリー・エリオット』はヴィクトリア・パレス・シアター (Victoria Palace Theatre) で10年以上のロングランを続け、2014年には本作で初めてタイトル・ロールを務めた三人のビリーたちの一人であるリアム・モワー8 (Liam Mower) が劇中で成長したビリーの姿の役であるオールダー・ビリー役として出演したスペシャル公演の様子が撮影されて映画館でライブ配信され、さらにDVDやブルーレイなどの媒体で発売されています。
そんな本作の日本初演は2017年。日本でこの作品を上演するにあたり、エグゼクティブ・プロデューサーの一人であるホリプロの堀社長がSNS等で語った上演権を得るまでの過程と熱い思いだとか、イングランド北部訛りを九州の炭鉱町があった地方の方言に置き換えて書かれた脚本だとか、オリジナルの歌詞に込められた意図を最大限盛り込みつつ耳なじみのいい日本語になるよう練られた素晴らしい訳詞だとか、日本版の『ビリー・エリオット』の制作に関する逸話は盛りだくさん。
物語のあらすじについては、初演が終わってしばらく経った後に自分のこの作品への想いを整理するために書いた下記の記事で紹介しているので良かったら読んでやってください。
(以下、ネタバレが含まれるためご注意ください。)
感想
予感はしていたのです。きっと物語の冒頭でスモールボーイが見ているテレビ画面の奥に炭鉱夫の一人であるデイヴィの姿が見えた瞬間私の涙腺は壊れてしまうんだろうな、と。結果は予想通り。予想通りどころかスモールボーイの大貴くんがロリポップの包み紙を苦戦しながら剥がすのを見守っている時点ですでに泣きそうでした。私、日本のビリーファミリーが大好きで炭鉱夫のみなさんももちろん大好きなのですが、中でも辰巳さんが演じているビッグ・デイヴィがすごく好きで。デイヴィが語りかけるように、力強いながらも優しく「The Stars Look Down」(星たちが見ている)を歌い出すのを聞いた時点ですでにマスクがびっしょりでした。
大人キャストの方々は初演から引き続き出演されている方々が多数占めていることもあるでしょうが、3年ぶりに観る『ビリー・エリオット』の舞台は初演で培われた財産をしっかりと引き継いでいることを強く感じました。そうでありながら、主役のビリーには演じている本人自身が強く反映されるが『ビリー・エリオット』の舞台。中村海琉くんのビリーは、初演の5人のビリーたちとは全く異なる個性を持った彼ならではのビリー。海琉くんのビリーには海琉くんビリーならではの家族や炭鉱の人たちとの関係性があり、彼のビリーならではの物語が展開されているのです。
正直に白状すると、実際に観る前は「初演のビリーたちに対する思い入れがあまりにも強すぎて、新しいビリーたちを受け入れられなかったらどうしよう」という不安が少なからずありました。しかし、それは全くの杞憂でした。初演のビリーたちを思い出さない、というわけでもありません。場面場面で、「この場面で〇〇くんのビリーはこうだったな」「□□ちゃんのデビーはこんな雰囲気だったな」というのはむしろ頻繁に脳裏をよぎります。そうでありながらも、新しいキャストたちが彼らの関係性で紡ぐ物語はそれはそれでしっくりと自分の中に流れ込んでくるのです。これは少し不思議な体験でした。
海琉くんのビリーはどこか小さな王子様のようなノーブルな雰囲気の裏に憂いや悲しみを抱えているように感じるビリー。「Solidarity」(団結を永遠に)でバレエにのめり込んでいく過程にあっても、炭鉱ストでの炭鉱夫たちと警察たちの衝突が続く不穏な空気を敏感に感じ取って怯えているとても感受性の高いビリーのように感じました。おばあちゃんが語るおじいちゃんの話は何回も聞いているビリーのお気に入りの話で、その話を何回も何回も聞いているうちに漠然と無意識のうちに踊ることへの憧れを抱いていたんじゃないのかな、と想像しています。独特の雰囲気とオーラがあり、そこにいるだけで目立つ存在でもあるのが海琉くんのビリー。
柚希礼音さんのウィルキンソン先生も田舎の炭鉱町にいるのが不思議に思えて仕方ない存在感と只人ならぬオーラがある先生。きっと昔は凄いダンサーだったんだろうと思わずにいられないのが柚希さんのウィルキンソン先生です。小さな炭鉱町ではかなり浮き出ている異質な存在に感じる二人なので、ウィルキンソン先生はビリーに昔の自分を重ねて見ているように感じました。先生はもしかしたら早くに故郷を出て都会に拠点を移してしまわなかったことや、故郷を捨てきれなかったのを後悔しているのかもしれません。そんな柚希さんのウィルキンソン先生に対して、ビリーが「帰るたびに会いにいくよ」と言ったことはとても大きな意味を持っているんだろうなぁと想像するのです。ビリーがそう言うことによって、彼女が捨てきれなかった故郷を手放さなかったことに大きな意味が生まれ、きっとそれはずっと割り切れない想いを抱えたまま燻っていた先生の心が救われたのではないかと。
溢れんばかりの愛情を持って息子たちやコミュニティのみんなと向き合う益岡さんの父ちゃんも、痛いぐらいのヒリヒリした鋭さを抱えながらも実は優しい人である中河内さんのトニーも初演から変わらずとてもとても愛おしく。急激に炭鉱ストを巡る状況が悪化する二幕では、「そうだった。このミュージカルめっちゃ辛い話なんやった」と思い出すのです。父親のスト破りを必死に止めようとするトニーの姿も、ビリーのためになんとかしたいと団結しながらも無力な炭鉱夫とその家族のみんなの姿にも涙は止まることを知らず。光と影の鮮やかな対比が生易しくない現実を突きつけてきて心が抉られますが、それでもビリーという星が明るく輝いてみんなの心を照らしてくれる。ビリーがその小さな肩に背負うものの大きさに胸が苦しくなってしまいますが、ほろ苦いながらも希望を一筋の光のように与えてくれるビリーの物語が私は大好きなのだと改めて実感するのです。
炭鉱町に突如訪れた大いなる試練はCOVID-19による打撃を受けた世界各国の演劇業界の状況に重なって見えてきます。出演されているキャストの方々、それを支える制作スタッフの方々にも『ビリー・エリオット』を上演することに対する祈りのような熱い想いを感じるのは気のせいではないと思います。劇場に足を運びたくともそれがままならなかった一人の観客としても、本作品を上演してくださったことに感謝が尽きません。そしてずっと言いたかったこれが言えるよろこびを噛み締めずにはいられません。
「おかえりなさい、ビリー!」
よかったらご協力ください。